草原でおおかみこども二人を抱きかかえる母親花

細田守の監督作品「おおかみこどもの雨と雪」は長編アニメ映画として2012年に日本で公開されました。

”おおかみおとこ”である父を早くに失い、人間の母と”おおかみこども”である雪(姉)と雨(弟)の3人で暮らす家族の絆と“生き方の選択”を描いた物語です。

姉弟の成長で訪れる、それぞれが選ぶ生き方の分岐は、別れではなく旅立ちを感じさせるものになっており、悲しい話ではなく温かい気持ちにさせてくれます。

都会と田舎の描き分けで表現する大自然の美しさや厳しさ、”おおかみこども”を育てる初めての体験として母親の気持ちを共有できるなど、観客の感性で見どころが変わる作品です。

キャラクターデザインは「時をかける少女」(2006年)「サマーウォーズ」(2009年)に引き続き貞本義行が担当、脚本は奥寺佐渡子と細田監督が共同執筆しています。

高い評価を受けていた細田守監督が、より高い段階の表現者として成長し、制作する作品の方向性が見えた本作を、様々な情報を元に考察していきましょう。

おおかみこどもの雨と雪(2012年)

見どころ
監督は『時をかける少女』の細田守。宮崎あおい、大沢たかお、菅原文太などが声優を務める。母親の優しさ、たくましさに胸を打たれること必至で、親子でも楽しめる。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
人間の姿をしているオオカミ男と出会った大学生の花。2人は恋に落ち、やがて子供を授かる。2人の子供はやはり人間とオオカミの二つの顔を持っていた。家族は都会の片隅で正体を隠しながら暮らしていたが、父の死をきっかけに田舎に移住する。
出典 : video.unext.jp

おおかみこどもの雨と雪(ネタバレ・考察)

日本のアニメ映画を牽引する存在として、作品ごとに挑戦を続けている細田監督。

田舎と大家族、電脳世界と現実のリンクを描いた「サマーウォーズ」(2009年)とは変わり、本作は田舎で暮らしながら家族の成長を見守る内容になりました。

常に万人向けの作品を目指しているという監督が採用した世界のモデルや、映画好きへの目配せなどトリビアの数々をお伝えしていきます。

細田監督のイメージする”子育て”

「サマーウォーズ」を作っていた頃の監督は、結婚したばかりで急に親戚が増えたことをヒントに、大家族が力を合わせるSFという作品を生み出しました。

ですが監督は当時、子供を授かっておらず、知人から子育てについて「家の中で暴れている子供はまるで怪物だぞ」と聞かされたことから、本作を思いついたとのこと。

身近なものが映画のテーマとして目に入ってくるという監督は次作「バケモノの子」で”父の不在”を、次次作「未来のミライ」で”体験した子育て”を題材に作品を誕生させます。

細田監督が手掛けた家族をテーマにした作品群の中で、唯一「おおかみこどもの雨と雪」だけが実体験を元に作られていないためか、設定も含めてファンタジーを感じるのです。

「龍とそばかすの姫」(2021年)では家族の喪失と電脳世界を描いているとか!
いままでの細田監督が扱ってきたテーマの集大成になるのではないでしょうか。

映画『竜とそばかすの姫』は、母親の死により心に大きな傷を抱えた主人公・すず/ベルが、”もうひとつの現実”と呼ばれる50億人が集うインターネット上の仮想世界“U(ユー)”で大切な存在を見つけ、悩み葛藤しながらも懸命に未来へ歩いていこうとする物語。

一橋大学に聖地巡礼したい!

序盤で花が大学に通っているとき、”おおかみおとこ”の彼も授業を受けに来ます。

2人が通っている大学は一橋大学をモデルにして描かれており、キャンパスはもちろん花がバイトしているクリーニング店も実際にあるのです。

劇中に登場したカフェも映画とコラボしており、雨と雪のスイーツが出されたこともあります。

しっかりとした頭の良さを求められ、都会に寄り過ぎない立地で、他の学生にたいしても開放的ということで選ばれ、一橋大学出身者は映画を観て大喜びしたそうです。

あまり裕福ではない花が良い成績を収め学校に通い、こっそり授業に潜り込んでいる”おおかみおとこ”と運命の出会いを果たすのにピッタリの場所でしょう。

なお花は雪と雨を育てるために休学し、最終的には中退してしまったことが、劇中に映る花の履歴書から読み解くことができます。

イギリスのエリートお笑い集団「モンティ・パイソン」って知ってる?

雪が学校で受けている授業の中で、荷物を積んだツバメの飛行速度という、不思議な題材がテーマにされています。

これはイギリスの誇るコメディ集団「モンティ・パイソン」が撮影した映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975年)の中に出てくるコントの一節です。

イギリス人であるモンティ・パイソンが有名なアーサー王伝説を徹底的に笑いのネタにした作品で、B級映画の金字塔として語られ、多くの人が影響を受けました。

万人向けの映画をテーマに創作活動をしつつ、オールドスクールなコントや映画ファンにだけ分かる小ネタを挟んでくるあたりに、監督の遊び心を感じるのです。

名優・菅原文太が主人公を応援

「仁義なき戦い」(1973年)などで活躍し、多くの映画関係者に影響を与えた名優である菅原文太が、田舎に引っ越してきた花を陰ながら助力する老人の役で出演しています。

収録当時の菅原は、自身が演じた”韮崎のおじいちゃん”のような農業を営む生活をしており、名前も菅原が暮らしていた長野の韮崎市から命名されました。

アニメーション映画に出演するのは「ゲド戦記」(2006年)以来となり、頑固で厳しいが花の背中を押してくれる老人を印象に残る演技で表現しています。

上映の2年後に亡くなってしまい、本作が菅原文太の遺作となりました。心の機微を表す名優の演技を堪能してください。

本作で注目したい”音”と”絵”の表現力

「おおかみこどもの雨と雪」は地上波で放送されたこともある作品ですが、誰もが知っている超大作というような扱いではなく、知る人ぞ知る名作という位置づけになります。

また観客によって同じ気持ちを共有するような、わかりやすいエンディングでもないため、人によっては凄さがわかりにくいかもしれません。

映画を観た人が共通項として”ここがすごい!”と感じるポイントを提示しますので、是非チェックしてみてください。

監督直々のオファーがあった俳優と音へのこだわり

”おおかみおとこ”と恋に落ち、2人の子の母として奮闘する花を演じているのは、日本を代表する女優である宮崎あおいです。

どんな困難が訪れてもくじけない強さと、夫や子どもたちの個性を受け入れる優しさを併せ持つ母親像として、子供の成長を見守る主人公を演じています。

出番は少ないものの、花と出会ってドラマの発端になり、人狼というファンタジー要素を持つ不思議な”彼”を演じたのは大沢たかおです。

宮崎は声優経験がありましたが大沢は初めての挑戦になり、初めての共演現場は難しかったようですが、細田監督はこの2人にしか演じられないとオファーを出しています。

また録音もこだわり、通常の現場で使用されるマイクと違い、指向性が極端に狭い代わりに高音質で録音できるガンマイクを使用しているのです。

生き生きとしたシーンも穏やかなシーンも、目に入ってくるビジュアル以上に観客へと訴えかけてくる声の気持ちよさは、視聴するたびに新しい発見があります。

演技の抑揚が凄いと思ったら、こだわりがあったんですね!
監督の意向でシーンの順番どおりに収録する”順撮り”をすることで場面の変化による感情を捕らえているね。

細田監督が挑戦した新時代の情景描写

ドラマ部分について言及されがちな「おおかみこどもの雨と雪」ですが、細田監督のビジュアルセンスは本作でも冴えており、観客を魅了します。

幸せな雰囲気のときは観るものに喜びを与える色彩で演出し、不安や別れを描くときは悪天候を伴った暗い空気感を出すなど、色使いが見事です。

これは「サマーウォーズ」で世界設計などを含めCGを担当してきたデジタル・フロンティアの描写能力が上がったことで実現しました。

今までのアニメでは為し得なかった、吹き抜ける風やアスファルトに溜まって泡立つ雨、山の茂みにうごめく生き物といった微細な表現も可能にしたのです。

本作が出たことで映像表現のハードルが上がり、他のアニメ監督からは恨み節が出たという話もあるほど、革新的なCGとアニメーションの融合は一見の価値があります。

特に花と子どもたちが、誰も居ない雪山を自由に駆け抜けるシーンは躍動感とスピード、背景の細やかさを併せ持ち、”誰にも縛られることのない自由な世界”を感じさせるのです。

いままでの手法を捨てて描いた”家族映画”の新しい形

細田守監督はブレイクするまでは冒険ものや電脳、SFなどが下地になる作品群を手掛けてきましたが、「サマーウォーズ」以降はテーマに”家族”が入るようになります。

さらに「おおかみこどもの雨と雪」では劇場公開作品でありながら、他のアニメ映画と違って”盛り上がる山場”や”空想世界で観客を魅了”というお約束を外しているのです。

この作品で細田監督は子育てと自立、人とは違う自分を受け入れて生き方を決めるといったテーマを観客に問いかけ、娯楽作品とは少し違うアプローチで描いています。

その上で幸せな時間のきらめきや、悲しいシーンでの無情さなどはアニメだからこそつけられる演出と描写で表しているのです。

一般的な”売れる作品”とは逆の方向を選びながらも観客に支持された「おおかみこどもの雨と雪」の構造を考察していきます。

自我がない子供は怪物である

雪と雨は物心がついていても、自分たちが特別な存在であることを認識しておらず、花の教育にも関わらず”おおかみこども”らしさを発揮してしまいます。

遊び盛りなため他の住人からはペットを飼っているのではと疑われ、児童相談所には予防接種などに来ないことから育児放棄ではと勘ぐられるのです。

社会が機能していても、サポートを受けられない人や性質が異なる人には負荷になるということと、自分を律する事ができない時期の子供はいかに恐ろしいかを描いています。

”彼”と2人で過ごしていた頃はあんなに輝いて描かれていたマンションはボロボロになり、家庭環境の変化と苦悩を表しているのです。

”おおかみこども”の生き方として人を選ぶか、おおかみを選ぶか、どちらの結果でも幸せに育つように、花たちは富山に引っ越します。

花の笑顔に見る心の支えと強がり

花は、村の奥にあるリフォームもしていない平屋を選び、そこで生活を始めますが、収入がない花は貯金を切り崩しながら畑を耕すなど試行錯誤の日々。

都心から来たシングルマザーに対して村人は、「生活の違いに耐えられるのか」という興味と疑いの眼差しで見守ります。

村人たちに対してはもちろん、困難な時も常に笑顔でいる花に対して、韮崎のおじいちゃんが声をかけるのです。「なぜ笑う。笑ってたら何もできんぞ」

花は「いつでも花のような笑顔でいてほしい」と名付けられたのですが、花はどんな辛いときも笑顔でいることで、自分の中の不安を隠していたのではないでしょうか。

そんな花の心中を汲み取ったのか、おじいちゃんは作物の植え方を教え、村人には手助けするよう助言し、花は村の人々と交流を深めるようになります。

花の出産、夫との別れ、子育ての苦労を見てきた観客はおじいちゃんと同じように花を応援する気持ちが生まれているため、花の変化に喜びを感じるでしょう。

ここで努力が実ったことにより、話の焦点は成長していく雪と雨に移っていきます。

細田監督の提示する話題が花から、2人の獣人の成長という未知の世界に入るのです。

”おおかみ”の生き方と”こども”の生き方

細田監督は姉の雪と弟の雨を対比構造で描くことで、タイトルに含まれている”おおかみ”と”こども”という別の道を作っていきます。

姉弟それぞれの性格がどのように変化して、何をきっかけに自立するに至ったのかが本作後半の主眼になるのです。

獣人というマイノリティである自分を認識し、理解した上で生き方を自分で決めていく2人の成長に関して、どういう意味が込められているかを考察します。

おてんばな雪は人間になりたい

姉である雪は山や森のある村で過ごすことによって、野生に近い特性を示します。蛇の骨や虫を集めるなど、かなりのおてんばさんです。

そんな彼女ですが学校で他の女子と交流することで、”女の子らしさ”という概念を得て、自分も女の子らしくなりたいという変化を見せます。

その成長を嬉しく思った花は、雪に手作りのワンピースを仕立てて着せてあげたことにより、女の子同士が好む共通の話題”ファッション”で後押しするのです。

そんな雪の前に現れたのが、転校生の草平です。彼はいきなり花に向かって「獣臭い、ペットを飼ってるのか?」と質問をします。

これは雪にとって”可愛い女の子”ではなく”おおかみこども”であると指摘されたのに等しく、またデリカシーにも欠ける問いだったためショックを受け草平を避けるのです。

悪意がない草平はなぜ自分を避けるのかと雪を追い回しますが、雪はおおかみにならないおまじないを唱えながら必死で逃げ回ります。

結果的に草平に対して”おおかみこども”の姿で傷を負わせてしまい、雪は自分の正体が知られてしまったのでは、と学校を休むのです。

怪我をした草平は雪のせいではないとかばい、休んでいる雪を毎日訪ねていくうちに打ち解けて、2人は仲良くなり、雪は”人間”として生きる道を選ぶようになります。

おとなしい雨はおおかみになりたい

弟の雨はもともと内向的で本を読むのが好きなタイプであり、山村に来てからは動物におっかなびっくりしながら触れていくなど、雪とは対照的な存在として描かれています。

小学校は不登校が多いため、韮崎のおじいちゃんから「俺とエジソンも小学校は行かなかった、見どころがある」と評価されているのです。

いじめが原因のようにも見えますが、雨は自分自身が”おおかみこども”であると雪より早く感じており、そのために他の子供達とは馴染めなかったのではないでしょうか。

その上で”おおかみ”である自分を持て余していますが、山で生き物を捕まえたことをきっかけに力を自覚します。

花が学芸員として仕事をしている現場に付き添っていた雨は、施設にいたシンリンオオカミと対話し、捕らわれてしまったオオカミの悲劇を知るのです。

その結果、人間社会には踏み込まず、山に入り長であるキツネから教えを受けることで、雨は”おおかみ”としての生き方を望むようになります。

嵐の夜にみるアイデンティティの確立

台風が迫る夕刻、雪は花が迎えに来るのを待ちながら、草平と教室で2人きりになり、自分が”おおかみこども”であることを明かし、草平を傷つけたことを謝ります。

草平はすべてを知っていて、その秘密を誰にも言いませんでした。家族以外に自分の存在を認められた雪が、社会の中に一歩近づくシーンです。

雨は長であるキツネが怪我をし、先が長くないため自分が山の長を継ぐと花に伝えて嵐の山に入ります。それを止めようとする花ですが、山の斜面から落ちてしまいます。

気絶した花を雨は安全なところまで運び、花が起きたのを確認してから変身して別れを告げます。人間社会から離れ、自然の中で生きていく決意を持った親離れの瞬間です。

雨はおおかみとして生き、雪は全寮制の学校へ草平と進み人間として生きると決めたことが分かるラストは、自分の居たい世界を選べる自由を感じさせます。

滅びの道にある”おおかみ”と、人間社会にいる”おおかみこども”たち

”おおかみおとこ”は”彼”が最後の生き残りでしたが、花という伴侶を得たことで血を繋ぎます。

雪と雨が受け継いだ特性は人に知られてはいけない性質を持つため、人間として生きていく雪が子を為したとしてもありのままで育てることは出来ないでしょう。

人の世に生きる”おおかみ”という設定が意味することを、2つの視点から考察します。

花が示す”おおかみがすき”という許容

絵本を見ている時に、雨はオオカミが絵本だと悪者にされていることに疑問をもちます。自分がおおかみであることを自覚したからこそ、存在が悪なのか気になったのでしょう。

それに対して花は「でもお母さんはおおかみが好きよ。みんながおおかみを嫌っても、お母さんだけはおおかみの味方だから」と応えます。

この”おおかみ”の部分はすべてのマイノリティに置き換えることができるため、観るものにハッと気付きを与えるシーンになるのです。

花は良い悪いという二元論ではなく「私はおおかみが好き」という許容を見せることで、子供に愛情を示しながら価値観を正しました。

誰かの視点で語られる良い、悪いではなく、自分は好きなものを好きと言えることが大事というメッセージが観客に伝えられ、寛容さを促すのです。

なぜオオカミは悪く描かれる?

狩猟民族であったころの人間はオオカミを尊敬していたため争うこともなく、お互い干渉せず、獲物を狩るために森を共有していました。

しかし人間が開拓を始めて森を破壊し、家畜を飼うようになると、森という住処とそこで得られる獲物を失ったオオカミは家畜を襲うようになるのです。

神聖な存在から害獣へと認識が変わり、人々の教えの中にオオカミに対する敵意が加わった結果、狩りつくされオオカミは激減します。

悪評しか知らない街の人々にはオオカミは悪者とされ、作家たちの世界でもオオカミを倒すことが物語のハッピーエンドとされるのです。

近代になってようやく種を保存する目的で保護対象となっていますが、元の生態系に戻ることもできず、日本のオオカミは絶滅の道を辿ってしまいました。

オオカミの大切さや保護を訴えながら、オオカミは悪者であると子供に教える矛盾のなか、社会はオオカミを受け入れられるのかと問われているのです。

雨の問いかけに居心地が悪くなった観客も多いかも?
子供の頃のオオカミは悪い、危険を表すアイコンみたいな扱いでしたからね。

まとめ

2人がそれぞれの道を選び、巣立っていくことをドラマとして描いて終わるため、映画としては「終わったんだ!」という、クライマックス感は少ないでしょう。

しかしキャラクターたちの生き様や監督からのメッセージは、鑑賞した人の中にそれぞれの形の違う何かを残してくれるはずです。

アニメ映画でありながら、”現実では撮影できない表現”は最低限に抑え、人間ドラマを美しく描いた本作。

長年タッグを組んできた脚本家の奥寺佐渡子と細田監督が初めて合同脚本を務めたため、「サマーウォーズ」以前とは違う作風となり新しいスタイルを見いだせるのです。

多くの賞を取りながらも、次作ではエンタテインメント路線に再び舵を切った監督が観せてくれる”世界の美しさ”を是非堪能してください。

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