「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は小説家・七月隆文原作の同名映画で、原作は第3回京都本大賞を受賞した“泣ける恋愛作品”です。
福士蒼汰と小松菜奈のW主演で、恋愛映画の名手、三木孝浩が監督を務めました。
女性だけでなく、男性をもその切ない内容から虜にしてしまう、この作品。
そんな「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のネタバレ・考察、あらすじや小話まで一気に紹介していきたいと思います!!
ぼくは明日、昨日のきみとデートする(2016年)
京都の美大生である南山高寿(福士蒼汰)はある日、大学に通う電車の中で福寿愛美(小松菜奈)に一目惚れをする。
電車を降りた愛美に声をかけた高寿。
二人はこの運命ともとれるような出会いから、仲を深め恋人同士として幸せな毎日をおくっていた。
そんなある日、高寿は愛美から思いも寄らない重大な真実を打ち明けられ…。
ぼくは明日、昨日のきみとデートする(ネタバレ・考察)
そこに一つの物語があれば、それにまつわる小話や裏話があるのも映画を始めとする芸術作品にはつきものです。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」から映画にまつわる小話や裏話をいくつか紹介していきます。
福士蒼汰は敢えてもてなさそうな役作りをした
福士蒼汰、といえば今をときめく若手俳優の一人です。
イケメン、爽やかで高身長、飾らない人柄、女性だけでなく男性にも好印象を与えている俳優さんと呼べるでしょう。
そんな福士蒼汰ですが、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」では性格も見た目も地味な、如何にももてなさそうな青年を演じました。
これはこの映画のための敢えての役作りで、髪型や仕草、目線や喋り方その全てを研究しつくしてできた人物が高寿という人物なのです。
そんな福士蒼汰演じる高寿は愛美と出会い、愛情を育んでいく中で、見た目は勿論、内面でも変化を見せていきます。
小松菜奈が役作りで心がけたのは“常にニコニコしている事”
愛美という人物は映画内で常に笑っているイメージの強い女性です。
これは心の中にたくさん悲しみや寂しさを抱えている愛美だからこそ、できた人物像といえるでしょう。
まさに顔で笑って心で泣いて、という表現がぴったりの役どころです。
高寿との不遇な運命は愛美だけが知っている事なので、その複雑な胸中を考えるとぐっと心に迫るものがあります。
しかしながら、小松菜奈は本当に可愛くて、愛らしいです!
たくさんの作品に出演している彼女ですが、その度に違う顔を見せてくれるのが、彼女の魅力といえるでしょう。
美大生役だが、福士蒼汰は絵が下手
美大に通う一人の青年として、作品中に出てくる高寿が描くキリンのデッサンなどは素晴らしいものがあります。
しかし意外や意外!福士蒼汰は絵があまり上手ではないとの事…。
どれくらい下手なのかは謎ですが、裏話エピソードに出てくるくらいなので、相当絵には自信がないのでは?と思われます。
しかし作品中に出てくる絵や芸術作品、特に高寿が描く愛美のデッサンは相当に美しく素晴らしいです!
小松菜奈は撮影中に20歳の誕生日を迎えた
若手の中でもその抜群の演技力と美貌から、色々な役をこなしている小松菜奈。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の時はなんとまだ20歳だったのです!
小松菜奈といえば、映画「渇き。」で鮮烈な映画デビューを果たし、その過激な内容に驚いた方も多いかと思われます。
その際に監督の中島哲也から“この子は大物になる”という主旨の事を言わしめたエピソードがあるんです。
中島監督の予想通りですね!
その他にも「世界で最も美しい顔2019」にノミネートされ、日本人最高位の31位を獲得したエピソードもあります。
二人の恋愛を盛り上げる要素
5年に一度、“30日間”しか会う事の出来ない高寿と愛美。
そんな二人の恋愛を盛り上げさせる要素とは一体どんな所にあるのでしょう?
そこを考察していきます。
織姫と彦星のような関係
二人の関係性を見て、限られた時間しか会えないというのは、二人のハードルでもあり、まるで織姫と彦星を連想させます。
少しでも繰り返す日々にミスがあると巡り会えない、そんな二人の障害が二人の純愛を盛り上げさせる最大の要素といえるでしょう。
愛美が熱心に二人に起きた出来事をメモするのは、やはり高寿でないといけないという理由があるのです。
愛美の高寿への想いの方が勝っているのでしょう。
そして、この二人だけが知る“障害”がこの恋愛を盛り上げるいいスパイスにもなっているのです。
美しい京都の街並み
二人が暮らす“京都”という場所が二人の恋にとって彩りを添える最大の武器にもなっています。
三木監督は“光”というものにとてもこだわりがある監督です。
伏見稲荷の鳥居から射し込む光は当初は撮影予定にはなかった場所でした。
この伏見稲荷のシーンでは三木監督がこだわった光の要素をふんだんに使う事で映画内のファンタジー感が一層増しています。
このファンタジー感もとても大切な要素であり、この映画が夢か現実なのか?と感じさせる演出方法です。
京都、という幻想的な場所がこの映画において重要なキーポイントとなっているのです。
タイトルが中盤で出る事の意味
映画というと、一般的にタイトルは物語の最初か最後で画面に映し出される事が多いです。
しかし「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」では映画の中盤くらい、物語が相当進んだ段階で映画タイトルが画面に出現します。
この意味とは、真の物語はここから始まる、という事を表しているのです。
含みを持たせる事で、観客に物語の本番はここから!と示唆しているといえます。
高寿と愛美のただの恋愛ストーリーに終わらせるわけではないよ、という意味が込められているのです。
高寿が恋愛を通じて成長していく物語
全てを知っている高寿と秘密を全部自分で抱えようとする愛美。
この二人を比較してみると、愛美の方が“大人だ”という事が見えてきます。
途中で、喧嘩をしてしまう二人ですが、全てを知っている愛美はいつもニコニコとし、高寿の前で号泣するなどの素振りは見せません。
この幸せな時間がいつまでも続くわけではないと知っていながら、愛美が泣く時はいつも一人でその切ない想いを抱えています。
この物語は高寿が愛美の気持ちや涙の意味に気付き成長していく物語なのです。
人が人を想う、その真の意味に高寿が気付いて、一歩大人へと進んでいく映画といえます。
愛美の最後の台詞の意味
「彼の元へたどり着いた」という愛美の台詞で物語は幕を閉じます。
この台詞が示すものはずばり、“愛美の高寿への一途さ”といえます。
なぜ、高寿でないといけないのか?という理由については高寿が愛美の命の恩人であったという事が大きく関係しています。
愛美も、高寿が小さい時に川で溺れたのを助けたという関係から、出会うべくして出会った、という言葉がぴったりの二人なのです。
まさしく、“運命の赤い糸で結ばれた二人”なのでしょう。
20歳という同じ世界でやっと出会えた。たとえそれが愛美にとって最後の日であったとしてもです。
愛美は二人の歴史を壊さぬよう、大切に大切に温めて生きています。
高寿は未来に向かって生きている、一方の愛美は過去に向かって生きている。
ここで「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」というタイトルの意味が身に染みてわかる仕掛けとなっています。
主題歌はback numberの「ハッピーエンド」
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のエンディングを歌うのは今、若い人を中心に絶大な人気を誇るback numberです。
タイトルは「ハッピーエンド」ですが、この「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」という作品は果たしてハッピーエンドなのでしょうか?
筆者はこの映画はある種のハッピーエンドだと感じます。しかし、それは観た人それぞれが決める事です。
たとえ、別れてしまってもそれがバッドエンドだとは一言では言えません。
“別れ”という形ではあっても恋人同士にはその二人にしかわからない記憶や思い出が無数存在します。
別れが全てバッドエンドだとしたら、その時に相手に向かって真剣な想いを抱いていた自分が可哀相過ぎるのではないのでしょうか。
別れる事がハッピーエンドに繋がる事もあるのです。
まとめ
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のネタバレ・考察から、あらすじや映画の小話まで紹介してきましたが如何でしたでしょうか!?
この作品は原作の小説だけでなく、漫画にもなっています。
“活字を読むのは少し苦手…”という方は漫画から入ってみるのも一つの手段です。
小説・映画・漫画とそれぞれの良さがありますが、この映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は観て絶対損はない映画となっています。
男女問わず楽しめる作品となっていますので、恋人同士で観るとより一層二人の絆が深まる!?可能性を秘めた映画です。
時間が交錯するパラレルワールドが舞台となる作品なので、最初は少し難しくもありますがそれがこの映画の魅力なのです。
ただの恋愛映画で終わらない、1度観たらもう1度観たくなる、非常に魅力的な映画です。