ハート・ロッカーはキャスリン・ビグロー監督による2008年の戦争映画です。
イラク戦争で多発した爆弾テロに対しての爆弾処理班の活躍を描いた作品で、低予算で作られながらも緊張感のある画作りでアカデミー作品賞や監督賞を獲得しました。
これによってキャスリン・ビグローは歴史上初めて監督賞を受賞した女性になったのです。
鑑賞した人からは賛否両論が噴出しましたが、映像作品として見ごたえがある「ハート・ロッカー」について、考察を交えながらご紹介していきます。
ハート・ロッカー(2008年)
イラク戦争中の2004年、バグダッド郊外でアメリカ軍の危険物処理班は路上に仕掛けられた即席爆破装置と呼ばれる無差別テロ向けの爆弾を除去すべく作業にあたっていた。
爆弾はその場で爆破して処理する決まりだったが、処理用の爆発物を取り付けた隊員が近寄るのを見計らって何者かが遠隔爆破し、隊員は殉職してしまう。
罠にかかり殉職した隊員の代わりに上級曹長であるジェームズがやってくるが、スタンドプレーが目立つ彼の行動に補佐するサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は不安を覚える。
爆弾解除のプロフェッショナルであるジェームズたちは、炎天下の中で見えない爆弾魔との戦いを繰り広げていく…。
ハート・ロッカー(ネタバレ・解説)
「ハート・ロッカー」は女性監督に初めて監督賞をもたらしただけでなく、数々の記録を残した映画として名を知られることになりました。
アカデミー賞で大いに評価された本作のトリビアをお届けします。
ジェームズ・キャメロンとキャスリン・ビグローは元夫婦
「ハート・ロッカー」を監督したキャスリン・ビグローは、映画監督のジェームズ・キャメロンと結婚していた時期がありました。
「ハート・ロッカー」もキャメロン監督に勧められて脚本を読み、監督を引き受けた経緯があるのです。
そんな二人ですが82回アカデミー賞で、キャメロン監督の「アバター」とビグロー監督の「ハート・ロッカー」が作品賞、監督賞などで候補に上がり、元夫婦対決となりました。
結果は興行収入などで当時の記録を塗り替えるなどした「アバター」を抑え、作品賞と監督賞などの主要部門ををビグロー監督が獲得することになったのです。
録画されたフッテージは上映時間の100倍
この映画はスーパー16mmカメラ複数台を用いて撮影されましたが、撮影にかかった時間が長く、2時間の映画に対して撮影されたフィルムは200時間にも及びました。
このため編集作業はとても困難だったそうですが、その甲斐あってかアカデミー賞で編集賞を獲ることができたのです。
ジェレミー・レナーは本物の防護服を着ている
ジェームズを演じたジェレミー・レナーは、爆弾処理の際に着る防護服を実際に身につけて撮影しています。
熱波が厳しいヨルダンでの撮影だったので、熱中症になる可能性を考えてボディ・ダブルを用意するアイデアもあったそうですが、ジェームズの歩き方に特徴があるため代えが聞かず、すべてのシーンでジェレミー・レナーが演じています。
撮影時期とラマダンがかぶってしまった
イスラム教徒が9月に行う断食の行、ラマダンが撮影中に始まってしまい、イスラム教徒であるエキストラたちは日の出から日の入りまで飲食ができませんでした。
イスラム教徒でないクルーはテントやホテルで飲食をしていましたが、イスラム教徒に敬意を表して窓をカーペットなどで覆い、外から見えないようにして過ごしたそうです。
戦争映画として高く評価された「ハート・ロッカー」
「ハート・ロッカー」はフィクションとしてイラク戦争を描き、初めてアカデミー賞を獲得した作品です。
それまでに第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベトナム戦争などを描いた作品はあったのですが、現代戦を描いた映画はありませんでした。
戦争をテーマにした映画として、作品賞は「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年)、監督賞としては「戦場のピアニスト」(2002年)以来の受賞となります。
最低興行収入のアカデミー賞作品だった
最初は全米で4館しか上映せず、興行収入は50億円と非常に低い成績でした。制作費は16億円だったので、かなり少ないと言えます。
アカデミー賞を受賞したことで知名度が伸び、ある程度は伸びたと思いますが、歴代アカデミー賞受賞作の中でも際立って興行収入が低いのです。
監督が求めた画面づくりについて考察
ハート・ロッカーは友情や努力といった人間ドラマはほとんど無く、ある意味淡々と戦場で起きている日常を描いています。
キャラクターによるアクセントや変化で映画として成立させていますが、視点は非常にドライです。
キャスリン・ビグロー監督が描きたかったものについて考察していきましょう。
過酷な環境にいる兵士の現実を知らせるため
迫害されている市民を開放するためのイラク戦争が、結果的にイラク国民同士の内乱を生む結果になってしまいましたが、作品では戦争が起きたことについての是非は問いません。
あくまで戦場で危険な任務に付いている兵士がいて、置かれている環境や現状について観客に理解してもらい、それぞれの意見を持ってほしいと思っているのです。
イラクでは日常的に起きている爆弾テロに対して危険な任務についている兵士がいて、彼らがどのように戦争と向き合っているのかが3人のキャラクターから描かれます。
赴任期間で彼らが体験している事実を、エンタテインメント性を抑えつつも見応えがあるように編集して見せているのが「ハート・ロッカー」なのです。
イラク人の描き方が曖昧
市民に紛れているテロリストは正体を見せず、倒すべき敵として描かれてはいません。彼らは簡単に作れる爆破装置で事件を起こし、多くの人を死傷させています。
敵対する人間の顔が見えないというのは、明確な敵が見えていないアメリカ軍の葛藤を描いているように思えます。
米兵と仲良くしているDVD売りのベッカムのようなイラク人もいますが、彼らの目的は友好ではなく米兵が持っている金です。
ジェームズはベッカムと親しくなり、優しさをみせます。ですが人間爆弾にされた少年をベッカムと見間違えてしまったように、イラク人の区別はあまりついていません。
監督はイラク人は敵なのか、守るべき市民なのか、あえて曖昧に表現しています。これは米軍兵士が抱えている不安を表しているのではないでしょうか。
戦争による人間性の変化
エルドリッジは前任のトンプソン曹長が戦死したことに恐怖と責任を感じており、軍医のケンブリッジによるカウンセリングでも反抗的な態度を示すのです。
これは戦争時におけるストレスに対応できていないことを表し、戦場にいることに不安を抱えています。
エルドリッジは戦争を体験していない観客が自分を投影できるキャラクターであると同時に、戦場では容赦なく選択を迫られるというメッセージを伝える役目を持っているのです。
実際にはあり得なかった米軍の描写
イラク戦争の従軍者からは、この映画に対して「事実と異なる点が多く、米兵への尊敬が欠けている」と不満が噴出しました。
ですがイラク戦争のなかで米兵や民間軍事会社が起こした問題は少なからずあり、それをビグロー監督はあえて盛り込むことで問題提起をしているのです。
「ハート・ロッカー」のなかで問題と思われた行動と、それを描いた理由を考察していきます。
兵舎での飲酒
ジェームズたちが狙撃戦から生き残り、基地に帰還して打ち解ける3人が酔っ払うシーンがありますが、イラクの兵舎では飲酒厳禁で命令違反になります。
3人が死線を越えて絆で結ばれたシーンを描くために、酔っ払ってふざけているところを入れたかったのでしょう。
実際の駐留軍でも無断で酒を飲んで問題を起こし厳罰に処された兵士もいるので、ありえないシーンではないのですが、不満に感じる人がいそうな描写です。
階級が下なのに上官に対して反抗的
階級的にはジェームズの部下にあたるサンボーンがジェームズを殴るシーンがありますが、これも本来ならありえないことです。
新任であるジェームズが上司とはいえスタンドプレーに走るため、サンボーンがたしなめるために殴ったのでしょうが、上官を殴ったうえに叱責するところに違和感があります。
またエルドリッジ技術兵がカウンセラーのケンブリッジ大佐に命令口調で話しているシーンは明らかに反抗的な態度です。
佐官に対して下士官がぶつけていい言葉ではありませんでしたが、ケンブリッジは怒らず受け止めます。
どちらも戦場におけるストレスによる軋轢のシーンですが、あえて反抗的に描いているとしたら駐留軍の上下関係に疑問を感じざるをえません。
軍基地からの無断外出と不法侵入
ベッカムとテロリストとの関係を疑ったジェームズは基地に出入りしていたDVD売りの業者を使い、ベッカムの家まで行くように告げます。
ですがそこはベッカムの家ではなく、イラク人教授の自宅でした。英語がわからなかった業者は英語のわかるイラク人教授の家にジェームズを送り、逃亡するのです。
不法侵入したジェームズはベッカムについて訪ねますが話が噛み合わず、結局教授の妻に追い出されたジェームズは途方に暮れ1人基地へと帰ります。
つまりジェームズは無断で基地を離れた上に許可無しでの家宅捜索という二重の軍規違反を起こしていますが、大事になっていません。
仲良くなったイラク人がテロリストと繋がっていたのではないかという思い込みで動いていますが、軍人らしからぬ行動に違和感を感じます。
ここはドラマを優先しすぎてリアリティが薄くなってしまったと感じる、残念な部分です。
ジェームズにとって戦場とは
爆弾の解体に夢中になるあまり、チームのことも考えずスタンドプレーに走り、仲間を危険に晒すことも多いジェームズは危険に身を置くことでしか生きがいを感じられません。
そんなジェームズの描写を中心に、作品が描いている戦争の恐ろしさをピックアップしていきます。
本来の爆弾処理は爆破するのが基本
オープニングで町中にある爆弾にトンプソンがロボットで起爆装置を運び、爆発させて処理しようとしています。
イラクで行なわれている爆弾処理はこの方法が一般的で、信管を抜いて解除するジェームズの方法は異端です。
爆破処理は町中で爆弾を破裂させるので危険ですが、隊員が死亡するリスクは減らせます。
このことからジェームズの存在はフィクションですよ、と監督が前置きしているようにも思えます。
なぜジェームズは爆弾を解除するのか
ジェームズは爆弾を解除しているときに何を考えているのかと問われ、「何も考えていない」と答えます。これは解体中、無我の境地にいるのだと思われます。
極限まで集中して爆弾を処理し、それが終わったときの開放感が彼の生きがいになってしまっているのです。
大量の爆弾を前にして防護服を脱ぐのは作業の邪魔になるからということと、万が一爆発して中途半端に手足だけ吹き飛ばされて生き延びたくない気持ちの表れでしょう。
死の瞬間が訪れることよりも、爆弾を解除する任務を継続できないことのほうがジェームズにとっては重要に感じます。
戦争は麻薬である
映画の冒頭に表示される一文「戦争は麻薬である」というのは、戦場で得られる高揚感は中毒的に人間の精神を蝕んでしまうというメッセージです。
任務が終わって母国に帰った時、ジェームズは妻子といるときも爆弾の話をし、日常会話に溶け込めません。
それどころかスーパーでシリアルを1つ買うのにも、何を選んで良いのかわからず立ちすくんでしまします。
ジェームズはおそらく、死ぬまで戦場を回り続けるのではないでしょうか。現代のアメリカにジェームズを満足させるものはないのです。
その悲しい事実を「ハート・ロッカー」は虚実を織り交ぜながら雄弁に語っています。
まとめ
戦争はなぜ起きるのか、そしてなぜ戦争はやめられないのか、といったイデオロギーにはあまり触れず、兵士と彼を取り巻く環境で戦争やテロの恐ろしさを伝えた本作。
いち兵士の生き様から戦争の弊害や恐怖といった問題点をあぶりだし、観客の心を揺さぶります。
観るものの精神力を確実に削りますが、観る価値のある戦争映画として改めておすすめしたいです。