「ミッドサマー」は2019年に公開された、非常に独特なテイストを持つホラー映画です。
監督は本作が長編2作目となる新鋭のアリ・アスターで、脚本も手掛けています。
白夜が続く夏至の北欧を舞台にしているため、ホラー映画にありがちな暗い夜の殺害シーンがほとんどありませんが、陽光のもとに恐怖ははっきり映されるのです。
全てのシーンが伏線になっており見返すことで解釈が深まるものの、理解度が上がることで内容の重さが心に負荷をかけるため、複数回観るときは間隔を空けて欲しい本作。
豊富なトリビアや知られていない情報、通常版とディレクターズ・カット版の差異にも触れながら、祝祭に潜む狂気の正体を考察していきましょう。
ミッドサマー(2019年)
見どころ
『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター監督の第2作。白夜の太陽と色とりどりの花々に彩られた美しい祝祭が、想像を絶する悪夢へと変貌していく物語はトラウマもの。
出典 : video.unext.jp
あらすじ
家族を不慮の事故で失ったダニーは、恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる“90年に1度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に踊る楽園のように思われた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め…。
出典 : video.unext.jp
ミッドサマー(ネタバレ・考察)
現世から隔離された集落であるホルガ村はまるで地上に現れた理想郷のようですが、その美しさからは想像もつかない恐怖を秘めています。
恐ろしさについて触れる前に、本作のトリビアなどを学ぶことで少しでも作品に対して耐性がつけば幸いです。
すでに鑑賞済みの人も、これから体験する人も楽しめるトリビアの数々をご覧ください。
デビュー作が公開される前に2作目の制作が決定
アリ・アスター監督のデビュー作「へレディタリー/継承」(2018年)の全米公開は2018年の6月でしたが、この映画が話題になる前に「ミッドサマー」は制作が決定していました。
時間軸で追うと2018年5月18日に「ミッドサマー」の制作が決定し、同年6月8日にホラー映画「へレディタリー/継承」が全米で上映されています。
「へレディタリー/継承」は大ヒットし絶賛されますが、この評価は制作陣にとって予想の範疇だったので、次の作品の準備を進めていたのでしょう。
それを証明するかのように「へレディタリー/継承」大ヒットのニュースで監督たちが取り上げられる際には「ミッドサマー」を製作中であることをアピールしています。
注目を浴びることを先んじて分かっていたかのような宣伝戦略を考え、コストをかけずにメディアに取り上げてもらうことで、本作は観客の期待を集め盛り上がっていきました。
制作スピードが異常に早い
撮影準備の段階で必要なシーンや織り込む伏線、設定などが出来上がっていたせいか、「ミッドサマー」は複雑な構造をした映画にも関わらず短時間で造られています。
2018年の春には北欧で準備を開始し、素早く撮影と編集を終え、2019年の6月18日にはプレミア上映、同年7月3日には全米公開となりました。
ハリウッドで大作を作ろうとすれば構想を含めて5年から10年をかける物もある中で、舞台となる村をを2ヶ月で作成、撮影も短い期間で終えるなど非常に手早く進めています。
編集作業を含めて1年1ヶ月で完成させたことになり、大規模な映画作品と思えないほどの速さで完成しているのです。
スウェーデンでの評価は「地元あるある映画」?
”スウェーデンの集落で夏至に行なわれる恐ろしい祝祭”という設定の作品にも関わらず、スウェーデンでの公開が夏至を過ぎたため、現地のホラーファンはやきもきしたそうです。
アメリカ公開の数週間後にようやく公開された「ミッドサマー」は、スウェーデン人からは「うちの地元がこんな風に解釈されてる!」という笑いに転換されたとのこと。
現地の映画評論家は、ホラーではなくブラック・コメディとして「ミッドサマー」を評価しました。
舞台となったスウェーデンの人々は、「ミッドサマー」に対しておおらかな気持ちで接しており、国民性が伺えるエピソードは味わい深いものがあります。
日本で話題になった”本物の夏至祭”
日本では強烈なホラーとして認識され話題になったころ、ツイッターで、”スウェーデン大使館観光情報サイト”のアカウントが実際の夏至祭を紹介したのです。
ツイートを見た多くの人たちは映画の印象が強く、恐ろしい祭りというイメージしかなかったため、夏至祭ツイートに対してのリプライは映画の話題で盛り上がります。
それに対して大使館は「映画の影響は大きいね。がんばって忘れて」という反応で、映画の内容を知りつつユーモラスに日本のフォロワーたちを励ましていました。
「ミッドサマー」から受ける印象は、国によってかなり違うことがはっきりしており、温度差を楽しむのも一興です。
実はハンガリーで撮影されている
「ミッドサマー」は北欧の伝承などを取り込んだ儀式を、スウェーデンのホルガという集落で展開していますが、実際の撮影はハンガリーのブタペストで行なわれました。
これはスウェーデンの物価が非常に高いうえに同国での撮影現場における労働基準法が特段に厳しく、スタッフを雇える環境になかったことが原因です。
ブタペスト郊外の土地を借り、2ヶ月かけてホルガ村を作り出した監督は、「これがスウェーデンだったら家が1つできるぐらいだよ」と物価の高さを嘆いていました。
経緯はどうあれ、地上の楽園のような美しさを持つ村と自然の風景は非常に印象的で、脳裏に残るビジュアルになっています。
昔の映画から受けている影響とは?
日本公開に合わせて宣伝のために来日したアリ・アスター監督は、今村昌平監督の「神々の深き欲望」(1968年)と「楢山節考」(1983年)を参考にしたと発言しました。
「神々の深き欲望」は離島に住む伝統的な信仰を重んじるコミューンを、「楢山節考」は閉鎖的な寒村で行なわれる老人の口減らしなどを描いているのです。
特に「楢山節考」はカンヌ映画祭でパルム・ドール(最高作品賞)を獲るなど世界中で高く評価されており、村の掟を守らせる住人たちの表現などに影響を見て取れます。
「ミッドサマー」を鑑賞する前後で、今村監督の2作品を併せて観ておけば、アリ監督が描きたかったカルトの村がどうやって生まれたかの理解が深まるのです。
前提として、舞台となる北欧の昔から伝わる文化や祭事などを徹底的に調べた上で制作されているので、ベースとなっているのはキリスト教伝来以前の自然信仰などになります。
そこへ日本映画から伝わった「村社会特有の因習とプライベートの無さ」を見いだせれば、国内外の映画好きは楽しい時間が過ごせるでしょう。
たった5日間で起きる奇祭の惨劇
- 祝祭一日目:勧誘と招待
- 祝祭二日目:献身と転生
- 祝祭三日目:儀式と消失
- 祝祭四日目:舞踏と交配
- 祝祭五日目:生贄と業火
北欧やヨーロッパではクリスマスと並ぶほどの季節イベントであるミッドサマー(夏至祭)は、キリスト教伝来以降から開催されてきました。
クリスマスがキリストの誕生日であるように、夏至祭は聖ヨハネがキリストの半年前に生まれたことに由来しており、夏休みの始まりと併せて祝うものになっています。
ホルガ村で開催される夏至祭はキリスト教伝来以前から信仰されている北欧の文化を多く取り入れており、9日間開かれるはずの夏至祭は5日めにして大詰めを迎えるのです。
現実に行なわれていた祭典や俗習をベースに作られた、どこかリアリティーのある祝祭の恐怖を、5日間に分けて解説していきましょう。
祝祭一日目:勧誘と招待
スウェーデンでの夏至祭は毎年6月19日から26日の間の、夏至に最も近い土日を選んで開催され、夏の到来を盛大に祝うものになっています。
若者たちをホルガ出身の留学生が勧誘して連れてきますが、彼らは特別なイベントに招待されたことに興奮し、綺麗な景色に目を奪われていて、不穏な空気に気が付きません。
祝祭二日目:献身と転生
次世代の村人へ転生するために、一定の年齢を迎えた老人が飛び降り自殺する儀式がありますが、これは北欧に伝わる口減らしのために自分から死を選んだ風習から来ています。
墜落死に失敗した老人がハンマーで頭を潰される描写もただの恐怖シーンではなく、スウェーデンに古くからある親殺しの伝統を示しているのです。
祝祭三日目:儀式と継承
村の娘がクリスチャンに対してケーキや飲み物に自分の体液を混ぜるのは、儀式として交わる相手を決め村の外の血脈を得るためです。
実際には結婚を願う女性が草花を集め枕の下に置くことで恋が叶うなどロマンチックなおまじないですが、この村では近親交配を避け一族を継承するための大切な手順となります。
祝祭四日目:舞踏と交配
メイポールと呼ばれる飾り付けられた柱の周りを踊る風習は、ヨーロッパ各地でキリスト教以前から伝わっており、選ばれたメイクイーンは豊穣の象徴として祀られます。
また婚姻にも繋がる風習であることから、村の外の人間であるクリスチャンを誘惑し、交配させるシーンに繋がっているのです。
祝祭五日目:生贄と業火
火をつけて生贄を燃やす儀式は”ウィッカーマン”と呼ばれる、巨大な人形の中に人間や家畜を詰めて火を放つ人身御供の風習から着想を得ています。
この儀式は紀元前から伝わっているとされ、過去にヨーロッパ内で互いに影響があったケルト文化と北欧の伝承を掛け合わせて「ミッドサマー」では描かれているのです。
死生観と数字の関連性
ホルガ村の若者であり、村の外から友人を連れてきたペレが、ここでは人生が4つの季節に分けて考えられると告げるのです。
春である0歳〜18歳は子供の季節として無事に育つことを重要視されます。
夏である18歳〜36歳は巡礼の旅をする季節として、村の外へと出ていき、交流を深め、時が来れば村へと戻るのです。
秋になぞらえている36歳〜54歳は労働の季節として、村で働き存続させるための維持が中心になります。
冬となる54歳〜72歳は人々の師となる季節として、子どもたちを指導し、72歳を迎えるとアッテストゥパンという儀式で自ら命を断つのです。
72歳で迎える死のその後を描いていないのは、死んでからの18年が何らかの時期として用意されており、生後90年の時点で生まれ変わるのではないでしょうか。
この仮定は、ホルガ村の様々な伝統や儀式が、一定のルールの元に開催されていることから導き出せます。
説明した数字はすべて9の倍数になっており、祝祭も90年ごと、祭りの期間も9日、生贄も9人、映画のタイトルの英文「midsommar」も9文字になっているのです。
この共通性は、ホルガ村の信仰している教えの根底に、北欧神話の伝承などをモチーフにしたものがあるからでしょう。
世界を9つのエリアに分けて構築しているという思想は、北欧神話では基本的な概念として共有されているため、9の数字が様々な事象で使われている理由の根拠になります。
また北欧神話の主神であるオーディンが、世界樹に自らを吊るして身体を槍で貫き、9日間自身を捧げることでルーン文字などの知恵を授かることも着想の元となっているのです。
村の中に多くルーン文字でメッセージが描かれていることからも、多神教かつ北欧文化の影響を受けた村の教えにおいて、9が聖なる数字となっていることは間違いないでしょう。
メイクイーンは祭の6日目以降に死ぬ?
ダニーはドラッグの入った飲み物を摂取してダンスし、違う言語を話しているため会話が通じなかった村の女性達とコミュニケーションが取れるような感覚を得ます。
集団が同じ環境でドラッグを使用することで体験を共有できている感覚を受けるのは多くの研究で知られており、ダニーはこの体験で今までにない高揚感を味わうのです。
結果的に最後までダンスを踊り続けたダニーは、この年のメイクイーン(5月の女王)に選ばれ、特別な者として扱われます。
色鮮やかな花で飾られたメイクイーンの仕事とは、生贄に捧げる最後の1人を、村の者かクリスチャンか、どちらか選ぶことです。
村の娘と交わっていたクリスチャンを目撃し、悲しみの頂点に達したときにホルガ村の人々と心を通わせたことで、ダニーは個の感情を放棄しました。
自分を支えてくれず、厄介な存在と思われているという負の感情から開放されたダニーは失った家族をホルガ村で得ることになり、ホルガに取り込まれてしまうのです。
クリスチャンを生贄に選んだダニーは完全に狂気に飲み込まれており、自分の彼氏が生きながら燃やされる様を見て笑顔になるのです。
見方によっては、家族を得てダメダメな彼氏と縁を切ったダニーが究極のハッピーエンドを迎えたようにも受け取れます。
しかし祝祭は9日間行なわれるとされ、祭壇を燃やしたのは5日目です。加えて過去にメイクイーンとなった女性がその後どうなったかについては全く触れられていません。
このことを考えると、描かれなかった祝祭の残り4日間はもちろん、その後もダニーが家族として生き延びられる保証はないのです。
ダニーに思いを寄せていたペレの妻になるのか、それとも祝祭の最後にダニーも供物として捧げられるのか、あえて考える余地を残して映画は幕を閉じます。
祝祭の生贄と処刑方法
ペレはアメリカからダニー、マーク、ジョシュ、クリスチャンを招き、ペレの兄弟分であるイングマールはイギリスからサイモンとコニーを連れてきました。
ダニーを除いてペレ以外の全員が死亡し生贄として捧げられますが、彼らが殺害された理由は劇中で告げられています。
殺害された理由と殺害方法を示しつつ、その処刑にどういう意味があったのかを考察していきます。
マーク
・殺害方法:不明
・遺体の処置:顔面と下半身の皮を剥がれる
セックスとドラッグのことしか頭にないマークは、ホルガ村で若い女性に声をかけられて、のこのこと付いていった先で殺されます。
それだけではなく顔面と下半身の皮膚を剥がされ、村人が身につけているのです。
顔面に他人の皮膚をかぶるホラー作品と言えば「悪魔のいけにえ」(1974年)に登場するレザーフェイスを想起させます。
下半身の皮を剥いで身につけているのは、北欧に伝わる「死のパンツ」と呼ばれる民間伝承で、陰嚢にコインを入れておくと富を呼ぶと言われているのです。
記録によるとパンツにするためには剥がされる者の了承を得る必要があるらしく、マークはただ殺されただけではなく拷問を受けて了承させられたことが伺えます。
ジョシュ
・殺害方法:撲殺による脳内出血
・遺体の処置:花壇に埋められる
ジョシュはホルガ村に伝わるルビ・ラダーと呼ばれる聖典を見せてもらいますが、より詳細に情報を集めるために夜中に侵入し、スマートフォンで撮影します。
するとそこに現れたのはマーク。ジョシュはマークがふざけていると思い注意しますが、それはマークの顔面の皮を付けた別人だったのです。
それに気づく前に頭を強打されたジョシュは倒れ、いびきをかき始めますが、これは典型的な脳内出血の症状で、非常に危険な状態といえます。
ジョシュがいびきをかいているシーンは、意図的に音響でいびきを明確に聞こえるように加工してあるため、気分が悪くなる観客も多く出ました。
マークの皮を貼り付けた男のアップと相まって、観るものの不快指数を上げてくる場面です。
コニー
・殺害方法:川の女神に生贄として捧げられ溺死
・遺体の処置:祭壇を焼く儀式の供物として燃やされる
サイモンは村の儀式を理解できず、その場を婚約者のコニーと立ち去ろうとします。
ですがコニーが気付かないうちに、サイモンの姿が消えているのです。
ホルガ村の人に聞くと「1人で先に駅に向かうトラックに乗せてもらって去った」と言われますが、コニーは信じることができず探し回ります。
ダニーが村の人からパイ作りに誘われて料理をしているとき、遠くの方で女性の悲鳴が聞こえますが、これがコニーの断末魔です。
通常版では祭壇を燃やす儀式に使うため、びしょ濡れで飾り付けをされたコニーが手押し車で運ばれているシーンで死体を確認できます。
サイモン
・殺害方法:生きたまま背中から肺を引きずり出され吊るされた
・遺体の処置:カカシのように整えられて儀式の供物にされる
サイモンは老人が高所から飛び降り自ら命を断つだけでなく、生き残ってしまった老人の頭をハンマーで砕く村の奇習に激昂し、ホルガ村を否定します。
その結果、生きながら解体され苦しみを与え続ける「血のワシ」と呼ばれる処刑方法で吊るされるのです。
古代北欧でヴァイキングなどによって実際に執行されており、背中から肋骨を剥ぎ取り、肺を背中側に引き出して翼のように広げることからこの名前が付きました。
村を逃げ回っていたクリスチャンが鶏小屋で発見するのですが、広げられたサイモンの肺は呼吸で収縮しているので、かろうじて生きていることが解ります。
監督が目指したものはホラーではなかった?
アリ・アスター監督は本作をホラー映画とは定義せず、失恋と家族の物語だと表明しています。
確かにグロテスクなシーンはありますが、表向きは恐怖を煽っているシーンはありません。
ですが脚本を自ら担当し、画面の中に多すぎるほどの情報が詰め込まれている本作は、理解度が上がるほど監督の意地悪なクリエイターとしての手腕に驚くことになるのです。
「ミッドサマー」を見て考察できる”ホラーとは断定できない要素”について考察していきましょう。
失恋と家族がテーマ
アスター監督は、この物語の原案を持ちかけられたときに、ちょうど失恋をしてしまったそうです。
それを聞くと、この作品にあふれかえる負のエネルギーをひしひしと感じます。
精神的に不安定で、恋人は理解がなく、支えてくれる存在がいないダニーは家族まで失ってしまい心の負担は限界です。
そんな彼女が現代社会のしがらみから解き放たれ、自分を肯定してくれて、悲喜こもごもを共有してくれるホルガ村で、不満だらけの恋人と別れ家族を得るのです。
この部分だけ切り取ると、監督が受けた失恋のダメージを癒やしてくれるセラピーのようにも感じられます。
ダニーの不幸が積み重なっていき、最後に問題が全部解決して開放されると考えると、カタルシスを得られる人も多いでしょう。
鑑賞後の感想が人によって違うのも、誰に共感して鑑賞したかという、観客の多様性に応じられる作品になっているからです。
明るい色彩
「ミッドサマー」は白夜の時期に開催されている北欧が舞台なので、夜のシーンが極端に少ないです。
アッテストゥパンの儀式も、サイモンが吊るされているシーンも、日中の出来事として描かれており、ホラー特有の暗闇から怪物が!といった展開にはなりません。
花は咲き乱れ、緑が地を覆い、飾り付けられた夏至祭の風景は美しい北欧のイメージを目一杯織り込んで観る者の心を揺さぶります。
ですがその風光明媚な場面で訪れる”人の死”を描き、従来では夜や闇などで底上げしてきた怖さとは違う純粋な恐怖が提供されるのです。
美しい世界にこそ狂気が潜んでいる、と言われているように感じる人は、日常の中で違うものが見えてきてしまうかもしれません。
感情の共有と群体としての生き方
アッテストゥパンで足を折った老人の苦しむ場面や、クリスチャンが村の女性と性交しているとき、ダニーが号泣しているシーンなどで、村人は一緒に声をあげ感情を共有します。
実際にホルガ村の人たちはシンクロしているわけではなく、村で起きた喜怒哀楽に関して同調することで、この地の住人たちに”個”が無いことを示しているのです。
この村は集落自体が1つの生き物であり、そこに加わっている人々は個人と言う概念がなく、村が存続するために必要であれば人数の増減も当たり前に受け入れます。
小さい単位で言えば家族や会社など、大きな単位でいえば自治体や国などで1つの単位になり、その視点では、個という意味は非常に薄くなるのです。
登場人物の多様性を描きながらも、グループ全員が共同で力を合わせている世の中の仕組みには多様性が無いのでは?という監督からの皮肉かもしれません。
通常版とディレクターズ・カット版の違い
「ミッドサマー」は劇場公開時、レーティングを下げて多くの人が観られるように、裸の人物にぼかしを入れるなどの編集が入りました。
その結果R15+で公開されていたのですが、上映中にR18+区分の「ディレクターズ・カット版」が併せて上映されることになったのです。
ホラーテイストな部分は殆ど変わらず、性交シーンの男女にあったモザイクが消え、23分に渡るカットテイクが復元された状態で公開されました。
結果的に、エンディングで主人公であるダニーがどういう経緯で最後の選択をし、笑顔でエンディングを迎えたのかがより詳細に描かれています。
VODでも通常版とディレクターズ・カット版に分かれているので、初見の人はいきなりディレクターズ・カット版を観るほうがオススメです。
ここではディレクターズ・カット版で追加されたシーンと、その意味について指摘しながら考察をしていきます。
旅行の計画がダニーにバレて口論
クリスチャンたちは男だけの旅行を計画しており、その事がクリスチャンの彼女であるダニーにバレて口論になります。
通常版よりも口論のシーンが長く、ダニーは言いすぎたかもしれないと弱気になり、クリスチャンに謝るのです。
クリスチャンはダニーの機嫌を取るために「サプライズで言うつもりだった」と取り繕うのですが、ジョシュやマークはクリスチャンに早く別れろと思っているフシが観られます。
このシーンが長く描かれたことで、ダニーがクリスチャンに依存していても、クリスチャンからは面倒な女と思われていることがより深く伺えて、展開が解りやすくなるのです。
ドライブ中に登場人物を詳しく紹介
ペレが友人たちを連れてスウェーデンをドライブしているシーンが長めに撮られており、下品なマークと退屈で寝てしまうダニーの姿が見られます。
また文化人類学を修めているジョシュが、ナチスが傾倒していたルーン文字についての書物を持っており、北欧に由来する文化体系に興味があることもここで解るのです。
マークは北欧の女性が性に対して寛容であることを期待して、セックスとドラッグを目的に参加するのですが、ジョシュは学術目的で参加しています。
おそらくジョシュは自身の研究にプラスになる未知の文化を体験ができるという誘いを受けていますが、未開の地に行くのが怖くてマークたちを誘ったのでしょう。
クリスチャンは文化的な興味と、ダニーから離れて羽根を伸ばしたいという両方の理由から、男性だけの旅行に賛成しています。
ダニーの誕生日をペレから聞かされる
村の外部から呼ばれたゲストたちを泊める宿舎で、ペレがクリスチャンに対して、ダニーの誕生日を忘れていることを伝えるシーンが追加されました。
これによって通常版ではよく分からなかった、ダニーに贈られたクリスチャンからのお祝いの言葉とケーキは、ペレのサポートがあったからということが解ります。
クリスチャンがダニーに対して思い入れが無いことを明らかにしており、クリスチャンが迎える最期に対しての伏線になっているのです。
クリスチャンへの非難と儀式の謎
儀式として老人が自ら死を選ぶ”アッテストゥパン”を観たことで、外から来た若者たちはこの村が普通ではないと感じます。
その後にジョシュに対してクリスチャンが「ホルガの論文を俺も書く」と言い出して口論になるのですが、通常版と比べるとジョシュの非難がより明確になっているのです。
クリスチャンはたまたま目にしたホルガ村の風習に色めき立ち、特に知識もないのに脚光を浴びて目立つチャンスと考えていることをジョシュに看破されます。
ジョシュは「電子図書館の使い方も知らないモラトリアムが俺の論文を横取りするな」と大学院にいるくせに明確な目標も行動も無いクリスチャンを罵倒するのです。
さらに追加シーンとして、痛いところを突かれてしまったクリスチャンは村から離れたいと考えている他のメンバーを尻目に、村の女性たちに話を聞きに行きます。
自己弁護として本気で研究しているというポーズを取り繕うためですが、ここで村の娘から重要なヒントが告げられるのです。
クリスチャンは今まで何回のアッテストゥパンを見たのか尋ねると、娘は村の老人が72歳になるたびに見ているので、たくさん見たと返しています。
通常版には無かったこのシーンで、90年ごとに開催されている祭とアッテストゥパンの儀式は別のものということが明らかになるのです。
なぜコニーは溺死したのかが明らかに
通常版で最も長くカットされたシーンが、白夜では珍しい夜のエピソードになります。
川で行なわれる儀式では、飾り付けをした木を川の女神に対しての捧げものとして投げ込みますが、それだけではまだ女神は満足できないというのです。
そして投げ込まれた木と同じ飾り付けをした少年が、自ら贈り物になると名乗りを上げ、大人たちは重石を少年に抱かせて川に投げ込もうとします。
それを見ていたダニーは止めようとしますが、ホルガ村の女性が「少年は勇気を見せたから」と儀式を終わらせ、誰も死ぬことはありませんでした。
このシーンは、通常版で儀式の供物に捧げられたコニーの死体がなぜ濡れていたかを教えてくれます。
コニーは少年と同じ飾り付けをされており、川の女神に対しての生贄として、少年とは違って本当に沈められ、溺死していたのです。
ダニーの弱さと依存の解決
ダニーは村の儀式を体験するうちに、この村はおかしいという感覚を覚えます。
恋人であるクリスチャンに立ち去るべきと伝えますが、彼はホルガ村についての論文を書くから出ていかないと主張するのです。
ダニーは、村の風習からしても論文を書かせてくれるはずはないと正論を告げますが、ジョシュに論破され意固地になっているクリスチャンは逆上して判断力を失っています。
さらにダニーが花をくれたのは、自分がダニーの誕生日を忘れていたことに対してのあてつけだと言い出すなど、クリスチャンの矮小さを描いているのです。
これによってダニーはクリスチャンに見捨てられるのではという強迫観念から、置いてきぼりにされる悪夢を見ることになり、通常版で描かれた悪夢の原因が解ります。
そして翌日、ダニーは自分が悪くないにも関わらず、自分からクリスチャンに謝ってしまうのです。
ヒロインとしてのダニーが精神的に不安定なせいで、ダメ人間であるクリスチャンに依存するしかないという事実をディレクターズ・カット版では明確にしました。
序盤で家族を失い、ストーリーの最期でホルガ村の住人という新しい家族を得たダニーは、自分が依存していたものを断ち切り笑顔になるのです。
まとめ
民俗を扱ったフォークホラーとして、ドルイド教の儀式などを取り入れていることからも、「ウィッカーマン」(1973年)の系譜を感じさせる「ミッドサマー」。
映画で使われている絵やルーン文字など微細なところまでこだわって作り込まれているので、北欧の文化や風習を学ぶとより深い階層で映画を楽しめるでしょう。
最初の鑑賞は作品に登場する人々の心情が変化するさまと村の恐ろしさを堪能し、興味が湧く方はアリ・アスター監督が仕込んだ全ての伏線を追ってみるのも一興です。
ただのホラーで終わらせない仕上がりの「ミッドサマー」を鑑賞して、押し寄せる恐怖と絶景の組み合わせを堪能してください。