出典 : amazon.co.jp
「デス・プルーフ」はクエンティン・タランティーノ監督による、スラッシャーホラーとカーアクションが楽しめるB級映画への愛情を込めたアメリカ発の娯楽作品になります。
車を使って女性を殺害することで性的興奮を得るド変態な殺人鬼の恐ろしさと、殺人鬼よりクレイジーな女性たちが変態を追い回してボコボコにする2部構成にそれぞれ見どころがあるのです。
B級映画をたくさん楽しんできた70年代映画ファンの体験を2000年代の観客に共有させるために、傷だらけのフィルムやシーンが繋がらない編集などが入っており、“B級映画らしさ”が表現されています。
フェチズムやカーアクション、登場キャラのくだらない話といった監督の偏愛と、「映画マニアであるほど楽しめる映画」として支持される本作の趣向を隅々まで考察していきましょう。
デス・プルーフ(2007年)
見どころ
その設定や物語、荒い粒子の映像など、Q・タランティーノが愛してやまない、場末の劇場で上映されていた低予算映画へのオマージュが満載。壮絶なカースタントも必見だ。
出典 : video.unext.jp
あらすじ
チューンナップした車を駆って、美女を惨殺する殺人鬼スタントマン・マイク。ある映画の撮影に関わっている女性たちを新たな獲物として定めたマイクは、彼女らの運転する車に追突していく。しかし、思いもよらぬ反撃を受けてマイクは狩る側から狩られる側に。
出典 : video.unext.jp
デス・プルーフ(ネタバレ・考察)
大作を上映できない地方の映画館で活用されていたB級映画の2本立て上映を懐かしむ「グラインドハウス」という企画からこの作品は誕生しました。
企画の中心になったロバート・ロドリゲス監督は「デスペラード」(1995年)などで知られており、作品内での演出や雰囲気から漂う“ロドリゲス式カッコよさ”がファンに支持されています。
彼の盟友であり、映画好き仲間として知られるタランティーノが協力し、2本の映画と予告編映像を集めた3時間を超える上映企画が開催され、コアな映画ファンから熱狂的に支持されました。
B級映画を愛する監督たちの集まったこのお祭りは、全作品の制作費が合計で77億円かかり興行収入はその半分しかなかったため、配給会社に大きなダメージを与えましたが、開催に意義のある企画になったのです。
本作「デス・プルーフ」と一緒に上映された映画「プラネット・テラー」と、名だたる監督たちが参加した「予告編」で構成された「グラインドハウス」についてお伝えしていきます。
長すぎ!合作上映イベント「グラインドハウス」のプログラム
3時間11分にも及ぶ「グラインドハウス」はロドリゲス監督のウソ予告編と映画「プラネット・テラー」から始まり、予告編4本を挟んでから「デス・プルーフ」で締める構成でした。
過去の大作映画のように休憩時間を入れるという配慮がなかったため、映画館での鑑賞中にトイレへ行きたい人はどこで行けばいいのかタイミングを探っていたのです。
そのため、「デス・プルーフ」の冒頭では女の子が「オシッコ漏れちゃう!」と股間を押さえながらトイレに急ぐシーンが入っており、メッセージとして「トイレに行くなら今だよ」と観客に伝えています。
本作の冒頭はこのあとガールズ・トークをグダグダと続ける展開になっており、トイレに行って観られなかった人があとから配信やソフトで確認しても「あ、これはトイレタイムだったんだ」と納得できるのです。
グラインドハウス形式の映画館で上映された作品は比較的短い作品が多かったので問題ありませんでしたが、企画的に当時の再現をしつつ上演時間が長くなることを想定したタランティーノの気配りを感じます。
B級映画の定義と魅力
B級映画の定義としては「低予算」「撮影時間とキャスト、スタッフは最低限」「条件を守って面白いものであれば何でも良い」というものでした。
そのため監督も新人が担当することが多く、いかに監督がスタッフやキャストを巻き込んで面白いと思えるアイデアを映画にできるか?という挑戦の場でもあったのです。
普通では企画が通らないような設定でも、元々の予算が低く「作品として完成していればまず損はしない」仕組みであったため許されました。
そういった挑戦の場から大作映画に格上げされて続編が作られたり、有能なクリエイターが誕生したため、企画に参加した監督たちはB級映画の重要さを知っているのです。
手の込んだウソ予告と「ウソ予告コンテスト」
作品が撮影されておらず、予告編だけ作った「ウソ予告」が5本あり、有名監督を中心に力作を披露し観客を楽しませました。
そのうちの1つは「ウソ予告コンテスト」として映画クリエイター志望の参加者から作品を募集し、300本以上の応募作から選ばれた優勝作品が「予告」だけ公開されたのです。
ウソ予告タイトルと監督、代表作<
- 「マチェーテ」ロバート・ロドリゲス
- 「ナチ親衛隊の狼女」ロブ・ゾンビ
- 「Don’t/ドント」エドガー・ライト
- 「感謝祭」イーライ・ロス
- 「ホーボー・ウィズ・ショットガン」ジェイソン・アイズナー(ウソ予告コンテスト優勝、同タイトル映画化(2011年))
主催した制作会社がサイトに「ホーボー・ウィズ・ショットガン」の予告を優勝作品として掲載したところ、「映画化しないのか」という問い合わせが殺到し、実際に映画がつくられました。
また予告だけのはずだった「マチェーテ」も個性派俳優で知られるダニー・トレホが参加していたせいか、ファンから映画化を熱望され2010年に長編映画として公開となり、トレホの初主演作になったのです。
夜パートの展開とキャストの関係
B級映画に捧げるオマージュでありながら、潤沢な予算で作られた「デス・プルーフ」は「B級風映画」として雰囲気は当時を思わせるものの、クオリティは非常に高いのです。
前半では“エッチな女の子”を生贄として沢山出演させ、後半では“セクシーかつクレイジーな女の子”を軸に据えるなど、過去のカルト映画で人気だった要素を盛り込み再構築してみせます。
また映画自体が2本立ての構成になっており、殺人鬼が恐ろしさを発揮する「夜のシーン」と、殺人鬼が手を出してはいけない相手にちょっかいをかけて逆に襲われる「昼のシーン」で展開やジャンルが変わるのです。
変態の殺人鬼であるスタントマン・マイク(カート・ラッセル)を筆頭に、映画やドラマシリーズなどで活躍している女優など大物が多数参加しており、「B級風のS級映画」を表しています。
登場する女性たちが異常性癖の殺人鬼に襲われるホラーテイストな夜パートに出演する俳優たちと、注目すべきポイントを考察していきましょう。
前半で登場するパリピ美女軍団の役割
前半では地元のラジオDJを務めるジャングル・ジュリアとその仲間たちが、バーで酔っぱらいながらバカ話をしているシーンがメインになります。
暑い場所で過ごしているため全員ホットパンツとTシャツというセクシーな格好なのですが、これは60年代に流行したセクスプロイテーション(性的搾取)映画の影響を受けているのです。
このジャンルでカルト的な人気を誇るラス・メイヤー監督は巨乳ばかりを好んで扱いましたが、タランティーノは尻と脚に執着した演出で対抗しつつ、自分らしさと性癖を主張しています。
ジャングル・ジュリアは、映画ファンには有名な黒人初のアカデミー主演男優賞を獲得したシドニー・ポワチエの娘であるターニア・ポワチエが演じていますが、求められていたのは脚線美でした。
そのため登場シーンから死亡シーンまでずっと脚をさらしており、車に乗って脚を窓から出していたため、死に様まで脚がちぎれて飛んでいくという「脚担当」を徹底させられています。
またラジオで勝手にネタにされ、男性と出会ったらラップダンス(ショーダンサーが見せるような性的な踊り)をするように仕向けられた子はアメリカのTVドラマで有名なヴァネッサ・フェルリトです。
声をかけてきた男性と6分間でセックスを済ませたり、セクシーなラップダンスを披露したりと“尻担当”として存在感を見せますが、セクシーな子は殺されるB級ホラー映画の文脈に従って死にます。
このように役者の格などは関係なく、前半の美女軍団は派手に死ぬための前フリとしてバカ騒ぎし、殺人鬼の餌食となるのです。
夜のシーンのクライマックス
女の子のおしゃべりが延々と続き、ラップダンスの後で駐車場に向かうときに、帰れないので送ってほしい女子を車に乗せたあと、マイクがカメラ(つまり観客)を数秒見つめるシーンが入ります。
この視線は意図的な観客への注意喚起となり、「退屈だったかも知れないけど、ここからが見どころなので集中してね」というメッセージなのです。
助手席に乗せた女性(ローズ・マッゴーワン)は“異常性と車を使った殺人の説明”を表現するために殺され、マイクは今日の狙いであるジャングル・ジュリアを追いかけて猛スピードで駆け抜けます。
目標の車を追い抜いたマイクは正面衝突させるためにライトを消してからスピードを上げ、激突する直前にライトを付けて正面衝突するのです。
ここでは何度も丁寧に、犠牲になった女性たちの死に様を描写してくれるというサービスシーンであり、B級映画風の「監督が見せたいこだわり」として描かれます。
異常性を表す“自動車を使った殺害”で、怪我を負うもののひとり生き延びるマイクは故意の殺害を疑われますが、証拠がないため逮捕できないのです。
マイクの用意周到な殺しを説明した上で、「この殺人鬼をどうやって止めるのか?」という後半への導入になり、2部構成を意識して作られている本作の前半が終わります。
昼パートで変化する主人公とジャンル
前半と後半で共通する登場人物はスタントマン・マイクのみとなり、後半から登場する女性たちは映画制作に関わっている業界人が休暇中に集まる、という展開から始まります。
映画の撮影で集まるスタッフは集団で活動するためか、撮影中に仲良くなってお付き合いし、撮影が終わったらサヨナラするようなラブゲームを楽しむという嘘か真か解らない雑談で盛り上がるのです。
前半とは打って変わって青空が広がる郊外で発生するのは、うかつにも煽った相手が超クレイジーな女戦士たちだったことで、地の果てまでも追いかけられる殺人鬼のカーチェイスになります。
監督がこだわったヴィンテージカーでのカースタントとカルト映画へのオマージュが満載な後半部分の文脈と、出演した女優の意味などを掘り下げて考察していきましょう。
脚フェチのマイクがやらかした失敗
前半の事故シーンから1年4ヶ月後、舞台をテネシー州に移しての後半戦では、映画業界で働く女性たちがオフを楽しみつつ、映画業界での恋バナについてだべっています。
駐車場に止まっている際にアバナシー(ロザリオ・ドーソン)が車から脚を出していたことで、脚フェチであるマイクは我慢できずに臭いを嗅いだあげくに舐めるという変態ぶりをみせつけるのです。
普段はじっくりとストーキングしてから犯行に及ぶマイクですが、自分の好みの女性を見つけてしまったことで我慢ができなくなり、彼女たちを追いかけることにしました。
観客は前半の犯行でマイクの恐ろしさを知っているため、ここで新たな犠牲者が出るのか?と身構えるのですが、タランティーノはここに“マイクの失態”を描き、ラストにつなげているのです。
なぜチアガールは置き去りにされたのか?
ニュージーランドからはるばるアメリカまでやってきたスタントウーマンのゾーイ・ベル(本人)は、名作として知られる自動車映画「バニシング・ポイント」(1971年)に登場するダッジ・チャレンジャーへの愛情を語ります。
そのためにわざわざアメリカの地方紙を取り寄せて情報を集め、目的の車種が売りに出たことで渡米し、映画業界の友達たちとオフを楽しみつつドライブするのです。
4人はヴィンテージカーの試乗をするために持ち主のところに行きますが、ゾーイの目的が「試乗の際にカースタントしたい」という話を聞き、女友達たちは呆れながらも目的に同意します。
車のオーナーに同席されると許されるわけがないので、一人チアガール姿をしているリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)が「オーナーの相手」として残されるのです。
メアリーは数多くのホラー映画でスクリーム・クイーン(悲鳴を上げるメイン女優)として有名なのですが、そんな彼女がオーナーとエッチなことをさせられる?と匂わせることには2つの意味があります。
置き去りにされたチアガールはどうなる?と思わせつつ、「ホラー女優のメアリーが離脱したから、この先はホラーじゃないよ」という映画ファン向けのメッセージを含んでいるのです。
頭のネジが外れたカースタント!
ゾーイは、ボンネットに身を晒すスタントでスリルを満喫しているところを、ヴィンテージカーに乗ったマイクに絡まれ、何度も体当たりされ、2台の名車を使って壮絶なカーチェイスが始まります。
このシーンではゾーイ本人がスタントをこなし、時速160km/hという猛スピードで実車を使ってのアクションシーンとなっているため、手に汗握る大迫力のカースタントを楽しめるのです。
作中でも言及されたように、CGの進化でスタントの安全性や欲しいシーンの撮影が両立しやすくなりましたが、実際にプロが体を張る場面でしか得られない名場面というのは未だに求められます。
この映画でもっとも時間をかけて撮影されたのが、後半20分に渡って繰り広げられるカーアクションのシーンであり、CGなしで欲しい絵が撮れるまで何日も撮影を繰り返しているのです。
あらゆる体勢で耐えるゾーイはカーアクションの凄さと魅力を存分に引き出し、そのうえで最後に急停車してゾーイが放り出されるシーンは明らかに人形に代わっています。
場面としてマイクの攻撃が終わり、次の場面に移りますよという転換と、いままで繰り広げてきたスタントの凄さを一回リセットさせる人形の扱いが、B級感を維持するのです。
終盤でオマージュされるエクスプロイテーション映画への愛情
追われる側が追う側へと入れ替わり、カーアクション+女性による暴力という“エクスプロイテーション映画”の名作「ファスター・プシィキャット!キル!キル!」(1966年)を思わせる展開になります。
グラインドハウス系の映画館で上映されたB級映画の中でも、名作としてカルト的人気を誇るラス・メイヤー監督作品へのオマージュが満載のクライマックスは爽快感が詰まっているのです。
裏を返せば「爽快感しかなく、観たあとに何も残らない」という清々しいまでのB級映画テイストをきっちりと表現していることから敬意を感じます。
これまでのシーンでも登場人物たちの知能は低めでしたが、より人間の知性が下がり暴力と暴言に満ちたリンチの清々しさに注目しましょう。
女性が活躍する映画に早変わり!
マイクはからかったつもりだったのでしょうが、この女子チームはマトモな頭の持ち主は一人もいませんでした。キム(トレイシー・トムズ)に銃で肩を撃たれたマイクはたまらず逃げ出します。
女性陣は「あいつ殺そう」と即決、落ちている鉄パイプを拾い箱乗りで追いかけいきホラー、カーアクションの次は、強いヒロインが暴れるエクスプロイテーション映画に発展するのです。
狙われるものが入れ替わったシーンでは下品な言葉を連呼するドライバーが、白のダッジチャレンジャーでマイクの車を突き回します。
極上のヴィンテージカー、さらに他人の持ち物であることはどうでもいい!とばかりに襲撃する女達のすさまじい攻撃に、半泣きで詫びを入れるマイクは追われる側として恐怖するのです。
スタントマン・マイクは凄腕であることの証明
女性陣の突き抜けた暴れっぷりに目が行きがちですが、実はマイクのドライビングテクニックも見どころになっています。
彼は腕を撃たれており、片手で運転しているのにも関わらず、衝突を受けながらも高速走行で車体をコントロールしていることからも、れっきとしたカースタントのプロであることが解るのです。
ただしその腕の良さと、追手を振り切ったという勘違いから最後は派手なクラッシュをした挙げ句、車体から引きずり出され、死ぬまで殴られ続けます。
殴り方から見える個性と爽快感を追求した終幕
ゾーイとキムはスタントウーマンとしてアクションの経験があるせいか殴りなれていますが、メイク係のアバナシーは殴りなれていないのか、手が痛いという様子を見せます。
それでも全員で均等に殴っているため、「この男は絶対許せないのでボコボコにする」という、女性チームの強い意志を感じるのです。
フィニッシュシーンとなる回し蹴りを食らってマイクが倒れた瞬間、女性陣が喜んでジャンプした瞬間に画面は止まり、「END」と表示されて余韻もなにもなく終わります。
悪党へのお仕置きが決まり、爽快感が最大なところで唐突に入るため、疑問に思いつつも「気持ちよかったからいいや!」となるのです。
あとから振り返ると入れ込んである要素の多さに気づくのですが、タランティーノとしては「一番気持ちよく終わらせて、何も思い出せないくらいにしてやろう」と考えているのでしょう。
「デス・プルーフ」で演出されているB級映画らしさとその魅力
本作ではB級映画らしさを出すために、昔の映画館で観られた映像や体験を再現できる加工が施されているなど、作品の内容以外にも見どころが多いです。
トリビア的に監督が手を加えた「B級映画」らしい演出についてピックアップしていきましょう。
オープニングで一瞬別タイトルが映る
オープニングでタイトルである「デス・プルーフ」のロゴが映る一瞬前に別タイトルのロゴが見えますが、これは編集ミスを意識的に加工しています。
フィルムを使った映画はフィルム自体を切り貼りするため、編集が上手い人であればこういったズレや違和感を感じない仕事をしますが、「予算が少ない新人の適当な仕事」を感じる編集になっているのです。
劇中でも全く同じ位置のカメラで女性陣の車とマイクの車が走っていくシーンが連続するなど、「撮影の際に画角や繰り返しを気にするほどのシーンではない」という表現をわざと出しています。
画面にチラチラ映るノイズ
全体的に画面上でノイズが走っているのは、フィルムが酷使されていたグラインドハウス形式の映画館で観た映像を再現するためです。
全米同時公開といったトップクラスの作品は何本も上映用のフィルムがプリントされますが、B級映画は少ない本数しか作らず、その少ないフィルムを全米で使いまわしていくため、映写時に傷が入ります。
なので「大規模公開ではないけれど、多くの映画館で上映されてきた実績のある面白い映画の証」として、ボロボロになったフィルムを思わせる加工になっているのです。
ラップダンスのクライマックスがいきなり屋外シーンになる
映画館で映画を上映するためには技師が必要なのですが、フィルムのチェックやメンテナンスも映画館の技師が担当する時代がありました。
そのなかで映写技師の良くない特権として、フィルムにエッチなシーンが写っていたらお宝としてその部分を切って私物にしてしまい、その後のシーンをつないでしまうことが多かったのです。
それぞれの映画館で映写技師たちがお気に入りのシーンを持ち帰るため、元の作品では想定していなかったシーン展開になることもあったよね、というネタになります。
おそらくバタフライとマイクのラップダンスシーンはクライマックスでいきなり駐車場へ場面が移動しますが、実はもっと過激なシーンがあったかもしれない、という演出なのです。
まとめ
B級映画の雰囲気を知るための入門映画として観るととても楽しい作品ですが、クオリティが高いがためにこの作品からB級映画を探求し始めると「思っていたイメージと違う」を感じるかもしれません。
なのでこの映画では「B級映画は必要最低限の要素と豊富なアイデアで構成されている方が面白い」という条件設定を理解するための入門書と考えるのが正解です。
タランティーノ作品特有のおしゃべりシーンの長さや他の映画への言及などは一旦意識しないで鑑賞し、派手なシーンにのみ注目すると、よりB級映画の娯楽性を理解できるでしょう。
この作品を気に入ったのであれば、対となるB級風映画である「プラネット・テラー」もご覧になることをおすすめします。