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映画「リトル・ダンサー」は、1984年のイギリス北東部の炭鉱町ダラムを舞台に、一人の少年が、当時女性がするものというイメージがあったバレエに夢中になる作品です。
約2,000人参加のオーディションで選ばれたジェイミー・ベルがバレエ・ダンサーを目指すビリー・エリオット少年を演じ、絶賛されました。
本作はブロードウェイ・ミュージカル演出で活躍していたスティーブン・ダルドリーの初めての長編映画でした。
バレエ映画というと、格式張った作品を想像するかもしれませんが、この作品は名もなき田舎の少年と家族のストーリーになっています。バレエを知らない人も楽しめるでしょう。
ビリーがバレエ好きな理由や時代背景など、ネタバレ・考察・小話をご紹介していきましょう。
リトル・ダンサー(2000年)
見どころ
「男がバレエなんて」という気風のなかでも、夢を諦めない少年の一途さと明るさに胸を打たれる。彼の頑張りによって、周囲の大人たちが変わっていく展開も感動的。
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あらすじ
イギリスの炭坑町で暮らす11歳のビリー。ボクシングを習っていた彼は、偶然見かけたクラシックバレエに魅了される。父親の大反対を受けるも、ビリーは女子に混じって練習に没頭。その上達ぶりを見て、バレエ教室の先生はオーディションを受けさせようとする。
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リトル・ダンサー(ネタバレ・考察)
本作のキャッチコピーは、「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」です。
この映画は一人の少年が「女性がなる職業」というイメージがあったバレエダンサーを、父や兄の反対を乗り越えて目指す物語です。
制作費500万ドル(5億4千万円)の低予算の作品ながら、世界興行収入が1億900万ドル(119億円)を記録しました。
この映画の成功で、後に舞台版(ミュージカル)も制作され、ロンドンのウエスト・エンドや東京でも上演されました。
ここでは、ビリー少年がバレエに魅入られた背景についてご紹介しましょう。
ビリー、バレエに惹かれる
ある日、ビリーがボクシング教室で練習試合をしていると、「いつもの場所が使用できないので」と、部屋に女の子たちとバレエ教師が入ってきて、バレエのレッスンが始まりました。
その時、ビリーの中で何かが起こりました。聴こえてくるバレエの音楽に気を取られ、相手にパンチを食らってノックダウンされてしまうのです。
ボクシングのコーチに一人居残りで練習するよう命じられると、ビリーはしばらくサンドバッグを叩いていましたが、ついフラフラと隣のバレエ教室に近付きます。
しばらく女の子たちのバレエを見ていたビリーでしたが、突然彼女たちの列に加わり、見よう見まねで踊り出すのです。
ビリーは、踊っていて次第に心が開放感に満たされるのが分かったのでしょう。これまでにない感覚だったと思われます。
彼は生まれて初めて、自分が本当にやりたいことを見つけたのでした。
レッスンが終わる頃には、彼はバレエにすっかり夢中になっていたのです。
次の日から、ビリーはボクシング教室に行くふりをして、家族に内緒でバレエのレッスンを受けるようになります。
ビリーはなぜバレエを好きになったのか?
11歳のビリーは、なぜバレエを好きになったのでしょうか?
ビリーは、兄のトニー、父、軽い認知症を患っている祖母の4人暮らしです。
母親はビリーが10歳の時に他界していました。
父は炭坑で働き、質実剛健を旨としています。
父は、いつも「強い男になれ」とビリーに言い聞かせ、放課後にボクシング教室を受講させていました。
しかし、ビリーはボクシングよりも、母の形見のピアノを弾いたり、音楽を聞きながら踊るのが好きな少年だったのです。
祖母は、自分の娘、つまり亡きビリーの母親が音楽とバレエに関心を抱いていたことを話します。
祖母自身もバレエをやっていたと語っていました。
ビリーのバレエ好きは、芸術が好きな祖母・母の性質を受け継いだのです。
イギリスバレエ「黄金時代」
年が離れた兄は、父と一緒に炭鉱に勤務していたため、父に似た硬派な男に育ちました。
しかしまだ幼いビリーは母や祖母と過ごす時間が長かったため、バレエの話をよく聞いていたのでしょう。
また、当時、イギリスでは、大人の娯楽といえばサッカー観戦か、音楽かバレエでした。
老いも若きも人々は気軽に劇場に足を運びました。劇場が近くにない地域の人たちも、テレビのバレエ放送を楽しみました。
当時、天才バレリーナのシルヴィ・ギエムが、男性ダンサーではウェイン・イーグリング、ジョナサン・コープが脚光を浴び、イギリスバレエ界は「黄金時代」と呼ぶべき活況を呈していました。
ビリーも、テレビを観てバレエに興味を持っていたのではないでしょうか。
なぜ、男はバレエをやってはいけないの?
あるとき、ボクシング教室のコーチがビリーの父に「ここしばらくビリーが来ない」と話します。
おかしいと思った父がボクシング・ルームに訪れると、奥の部屋で女の子たちと踊るビリーがいました。
父の大反対
父は驚いてビリーを自宅に連れていき、「男なのにバレエなんて!」と叱りつけます。
ビリーは父に怯えながらも「なぜ男はバレエをやってはいけないの?なぜ!?」とたたみ掛けるのです。
「なぜって、男ならサッカーとか、ボクシングとか、レスリングとか…」
しまいには、父はビリーを壁に押し付けて力ずくでバレエを諦めさせようとしますが、どうしても息子に、なぜ男がバレエをやってはいけないかを具体的に示すことができないのでした。
こんなことでは将来、ビリーは男としてうまくやっていけないと親として心配だったのでしょうか。
ビリー、特別レッスンを受ける
しかしビリーは父に抵抗してバレエのレッスンを受け続けます。彼はどんどん上達していくのです。
ビリーは、他のことをすべて忘れて、踊りに没頭できるのでした。
やがて、ビリーの才能を見抜いたウィルキンソン先生は、毎日マンツーマンで特別レッスンを課すようになります。
ビリーも必死に先生についていきました。
先生とビリーの一生懸命な様子に、二人を応援したくなってきますね。
ビリー「白鳥の湖」を知る
ウィルキンソン先生は、ビリーの自宅を訪れ、彼が才能のあるダンサーなので、ロンドンにある名門バレエ学校、ロイヤル・バレエ・スクールを受験させてはどうかとビリーの父に尋ねます。
父は、男がバレエなど絶対に許さんとの一点張りで、兄も先生を怒鳴りつけるのです。「弟はまだ11歳の子どもなんだ!あんたのお遊びの道具にしないでくれ!!」
ある日レッスンの帰りに、ビリーが車でウィルキンソン先生に送ってもらう時、先生がカーステレオでチャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の曲をかけてくれました。
「白鳥の湖」は、有名なクラシックバレエの作品です。
ビリーがその美しい曲に感動していると、先生は「悪魔によって白鳥に変えられたオデット姫に王子が恋に落ちて死ぬ物語なの」と教えてくれました。
優雅な「白鳥の湖」の音楽は、ビリーの心に強い印象を残したのでした。


あふれる情熱
あるクリスマスの夜、ボクシング・ルームで、ビリーが踊っているところを父に見られてしまいます。
ビリーは父を恐れていったん踊りをやめますが、意を決して父の前で再び踊り始めるのです。
その時のビリーが踊りが凄い迫力でした。
ほとばしる情熱のままに全身を使って、自分がどんなにダンスが好きかを父に訴えるように踊るのです。
父の前でバレエを踊り自分を表現したのは、自分は間違っていないという主張だっだのでしょう。
それは父にとって、今まで見たことがない息子の姿でした。父はその姿にビリーの成長を感じたのではないでしょうか。
このシーンのビリーの踊りに、視聴者は引き込まれ釘付けとなるでしょう。
マイケルの存在
ビリーの親友・マイケルは、女装趣味のある同性愛者の少年です。
ビリーは、そんなマイケルを気色悪いなどと言わず、彼に女の子のバレエ衣装(チュチュ)を着せてあげます。
マイケルもバレエを踊るビリーに、拍手して応援してあげるのです。
マイケルはビリーに「告白」し、ビリーは「自分はゲイじゃないよ」とマイケルに言いますが、二人の友情は大人になっても変わることなく続きます。
スティーブン・ダルドリー監督は、自分が同性愛者だと公表しています。マイケルは監督の分身として描かれているのです。
監督は、マイケルを描くことで、「好きなことは我慢しなくていい」「夢を追うことを諦めないで」と伝えています。
炭鉱労働者たちのストライキ
映画「リトル・ダンサー」では、炭鉱の労働組合事情が大きなカギとなっています。
ここで労働組合のストライキについて解説しましょう。
筋金入りの組合員
1980年代、労働組合の組合員たちがストライキを起こすことが日常茶飯事でした。
彼らは、経営者側に給料アップや労働条件の改善などを要求し、仕事を放棄してストライキをするのです。
ビリーの兄は、ダラムの炭鉱ストライキのリーダーであり、ビリーの父や仲間たちと一緒にストを行ない、警官隊との衝突を繰り返していました。
時々「スト破り」と言って、ストライキをしている人たちの中からストをやめる人が現れます。現在の労働条件に従うことを表明した人々です。
ビリーの兄や父たちは、そういった「裏切り者のスト破り」たちを非難し、ゴミや卵を投げつける筋金入りの組合員でした。
イギリス・労働組合によるスト事情
イギリスでは、1928年の世界恐慌の教訓から、福祉的な政策が行なわれていました。
医療保険・社会福祉サービス・貧困層への補助など、社会保障制度を充実させていたのです。
そして、水道や電気、鉄道、航空といった事業は国営でした。
しかし、景気が悪い時期は有効だった福祉的な政策ですが、1980年代、景気が上向いてくると、都合の悪いことが多くなります。
福祉的な政策が、国の財政を圧迫したのです。
また、会社間の競争がないので、努力しなくても税金の助けがあるのをいいことに、労働者の仕事は「なあなあ」になり、公共サービスの低下を招きます。
手厚い政策に慣れた労働者たちは、労働組合を組織して、ストライキを度々行ないました。
その結果、ごみ収集や病院、学校といった公共サービスが停止し、国民は大きな不満を抱えます。
当時、この閉塞状態は、他の国々から「英国病」と揶揄されました。
サッチャー首相の登場
不満が爆発したイギリスでは、首相選挙でマーガレット・サッチャーに票が集まります。
サッチャーは首相になると、国営企業を民営化し、政府による非効率的な運営をやめさせ、企業間の競争を促進しました。
また、福祉的な政策をやめ、国の支出を減らしました。
当時、特に勢力が強かった各地の炭鉱労働組合に対して、サッチャーはその主張を退けます。
炭鉱は大赤字だったからです。炭鉱夫たちの要求により給料が利益を下回っていました。
ビリー一家もそういった炭鉱労働者の家庭でした。
炭鉱労働者たちはさらなるストライキで対抗しましたが、警察による弾圧で敗北したのです。
1980年以降、イギリス各地の炭鉱は次々と閉鎖され、失業者は300万人以上に及びました。


父の決心
ビリーのダンスを見た父は、ウィルキンソン先生に質問します。
「いくら掛かるんだ」
父はバレエ学校の授業料を心配したのでした。
ビリーのバレエへの熱い思いが、父に届いたのです。
先生は、授業料は奨学金でまかなうことができると言い、オーディション受験料は推薦した手前、自分が出すと言います。別途ロンドンまでの交通費が掛かると言いました。
実は、ビリーの家はストライキを続けているので、給料が入らなかったのです。ロンドンに行く交通費さえもありません。
クリスマスなのに暖房のための薪を買うお金もなく、亡き母親が愛したピアノを壊して火にくべるほど貧しかったのでした。
この時、なんと父が一大決心をします。「スト破り」をするのです。
熱心な労働組合員でストライキ強行派である父が、仲間を裏切ってストライキを中断し、経営者側に投降するのでした。
父は、ロンドン行きの交通費を捻出するためにストをやめ給料を得ようとしたのです。
経営者側が用意した車に乗る父に、兄のトニーが驚いて駆け寄ります。「どうしたんだよ!スト破りなんかして!」
普段口数も少なく、感情を表に出すこともない父が泣き崩れるのです。
「許してくれトニー、ビリーの夢を叶えてやりたいんだ。俺たちに未来があるか?炭鉱はもうおしまいだ。でもビリーには未来があるんだ…」
ビリーへの深い愛が感じられるこの父の言葉は、涙なしには聞くことができません。
不器用ながらも息子のことを思う頑固親父の愛情に、視聴者は心打たれるでしょう。
炭鉱には未来がないという事実を受け入れながらも、ビリーを後押ししようとする父の姿には、この時代を生きてきた炭鉱夫の悲しみが感じられます。
ビリーには違う世界を見せてやりたいと決意した父。
その父の並々ならぬ決意を知って、兄も号泣するのでした。
階級の差を飛び越え、ビリーは羽ばたく
ロンドン行きの交通費には、スト仲間たちがカンパしてくれたお金と、父が亡き妻のアクセサリーを質に入れて手に入れたお金を充てることができました。
世界最高レベルのバレエ学校であるロイヤル・バレエ・スクールは、11歳~16歳のクラスで、寮費を含めた年間の授業料が3万5千ポンド(520万円・2020年時点)です。
ここに入学できるのは、高い授業料を払える「上流・中流階級」の人たちでした。ビリー一家のような炭鉱労働者とは違います。
映画では、バレエ・スクールでのオーディションのシーンは明るい光と共に描写し、ビリーたちが住むダラムの町は暗く曇りがちの空と共に描いて、その違いを表しているのです。
ビリーは、受験のためロンドンへ行くバスの中で、父に聞いてみました。「ロンドンってどんな所?」
父は「ダラムしか知らん。ロンドンには炭鉱がないじゃないか」と言います。
ビリーは父に問うのです。「父さんは炭鉱のことしか考えないの?」
そう、父はダラムで生まれ、ダラムの炭鉱で働き、ダラムで死ぬのでしょう。しかし、ビリーは違いました。
彼は、階級の差を飛び越えて、まさに白鳥のように羽ばたくのです。
それは、ビリーの情熱と、彼の才能を見出したウィルキンソン先生、父の深い愛によって実現したのでした。
ビリーはバレエ学校のオーディションに合格します。
ビリーが合格したことを、カンパしてくれたスト仲間たちに報告するために、父が嬉しそうに走っていくところは心温まるシーンです。
一方、ダラム炭鉱のストライキは組合員たちの敗北で決着しました。
炭鉱夫たちは、暗く狭い坑道で石炭を掘り出す仕事に戻っていくのです。
映画では描かれていませんが、やがてダラムの炭鉱も閉鎖され、父と兄たちは失業することになるでしょう。
ビリーを炭鉱夫とは違う道に進ませた父の決断は正しかったのです。
1998年の冬
14年の歳月が流れました。
25歳になったビリーは、ロイヤル・バレエ団のトップ・ダンサーになっていて、今日も王立劇場で、主役を踊るのです。
劇場の客席にいたのは、父と兄、親友のマイケルでした。
幕が開き、バレエが始まります。
音楽はかつてウィルキンソン先生が教えてくれた「白鳥の湖」です。
音楽が盛り上がったところで、白鳥の衣装を着たビリーが舞台に現れ、高く美しいジャンプを見せるところで映画は終わりになります。
それは階級の壁、家族の反対を見事に乗り越えたビリーの飛翔そのものでした。


ビリーが踊った「白鳥の湖」とは?
最後のシーンで25歳のビリーが踊ったバレエの演目は、「白鳥の湖」でした。
しかし、その「白鳥の湖」は、一般に広く知られている古典バレエの「白鳥の湖」ではなく、コンテンポラリー(現代)バレエ作品の「白鳥の湖」です。
1995年初演のマシュー・ボーン振付のバージョンになります。
このバージョンは、すべての白鳥たちを男性ダンサーが踊る革新的なバレエでした。
古典バレエの「白鳥の湖」では、白鳥に変えられたオデット姫と王子が出逢い恋に落ちるのですが、コンテンポラリー版では、王子は「ザ・スワン」というオスの白鳥と出逢うのです。
コンテンポラリー版は同性愛がテーマの作品になっています。
では、なぜビリーが踊るのがコンテンポラリー版だったのでしょうか。
監督が同性愛者だからという理由もあります。
また、古典バレエの「白鳥の湖」は、あくまでも女性(オデット姫)が主役です。男性ダンサーはどうしても脇役の感をまぬがれません。
トップ・ダンサーに上り詰めたビリーは、設定上「主役」を演じる必要がありました。
だからこそビリーが踊ったのは、男性が主役であるコンテンポラリー版の「白鳥の湖」だったのです。
トリビアの数々
ここでは、「リトル・ダンサー」をより楽しむことができる小話についてご紹介しましょう。
フレッド・アステアとは
劇中、ビリーの祖母がフレッド・アステアについて言及するシーンがあります。
フレッド・アステアは、1930年代から1950年代にかけてブロードウェイやハリウッドのミュージカル全盛期に活躍した伝説のダンサーです。
映画「バンド・ワゴン」(1953年)「パリの恋人」(1957年)が代表作で、男性ダンサーの代名詞になっています。
「ロジャース」の名前も出てきますが、ロジャースはフレッド・アステアのダンスのパートナーだった女性ダンサー、ジンジャー・ロジャースのことです。
ウェイン・スリープとは
ビリーが父に「男性のバレエダンサーも存在する」と、ウェイン・スリープの名前を出すシーンがあります。
ウェイン・スリープは、1966年頃から活躍しているイギリスが誇る天才・男性バレエダンサーです。
ロイヤル・バレエ団に所属し、バレエ、タップ、ジャズダンスを踊り、ステージやテレビ、映画で活躍しています。
スケジュールの都合で…
ウィルキンソン先生を演じたジュリー・ウォルターズは、イギリスでは名優として知られていて、大英帝国勲章を王室から授与されています。
実は、ラストシーンで25歳になったビリーが白鳥の湖を踊る時に、ビリーのバレエの才能を見出したウィルキンソン先生が登場しないのはおかしいという声があります。
ジュリー・ウォルターズはスケジュールの都合でラストシーンの撮影に参加できなかったそうです。
タイトル
この映画の原題は、「ビリー・エリオット(Billy Elliot)」です。
当初、タイトルは「ダンサー(Dancer)」でした。
しかし、配給元のユニバーサル・ピクチャーズは、そのタイトルを変えなければならないことに気づきます。
カンヌ映画祭に「リトル・ダンサー」を出品した時、パルムドール賞を受賞した映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク(Dancer in the Dark)」(2000年)と混同されてしまったのです。
結局本作のタイトルは、「ビリー・エリオット」に落ち着きました。
25歳のビリー役ダンサーは熊川哲也の友人
成長したビリーを演じたのは、世界で活躍しているダンサー、アダム・クーパーです。
彼はロイヤル・バレエ・スクール在学中、日本人ダンサー・熊川哲也と同期で、二人は親友でした。
アダム・クーパーは熊川哲也が主宰しているバレエ団「Kバレエカンパニー」の公演にゲスト出演もしています。
クラシックバレエにとらわれず様々なダンス公演で活躍していて、ミュージカル「雨に唄えば」が有名です。
まとめ
白鳥のように高く飛翔したビリー。
本作は「夢を追うことを諦めないで!!」というメッセージを発信しています。
ちょっと落ち込んでいる時、この「リトル・ダンサー」を観てみてください。
きっと元気が出て、明日に向かって勇気が湧いてくるでしょう。