プライベートライアン

「プライベート・ライアン」は1998年に公開された、アメリカの戦争映画です。

第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦を中心にリアルな戦争を描き、アカデミー賞でも11部門にノミネートされるほど評価を得ました。

結果的に、監督賞を含む5部門でアカデミー賞を獲得したのです。

3時間近い映画でありながら、その長さを感じさせない、観るものを惹き付ける魅力に溢れた本作を考察していきます。

プライベート・ライアン(1998年)

ノルマンディー上陸作戦で戦線を突破したミラー大尉は、兄弟をすべて失ってしまったライアン一等兵を救出し、本国に送り返す任務を受ける。

隊を率いフランス内陸部へと侵入していくミラーだが、展開しているドイツ軍との衝突で部下を失っていく。

ようやくライアン一等兵にたどり着いたと思ったが、それは同姓同名の別兵士であった。

任務を果たすためにライアンを探し、前線へと移動する隊のメンバーたち。果たして救出は成されるのだろうか…。

プライベート・ライアン(ネタバレ・考察)

第ニ次世界大戦を描いた映画として最高の興行記録を残している「プライベート・ライアン」。

リアルすぎる第二次世界大戦を再現した本作のトリビアをお伝えしていきます。

60日で撮影が終わった

169分と非常に長い作品でありながら、スピルバーグ監督はわずか60日で撮影を終えました

これはハリウッド作品としては非常に早い撮影になっています。

とても60日で撮ったとは思えないスケールを感じます!
スピルバーグは予算内でコンパクトに纏めることからも制作側から評価が高い監督です。

救出チームは過酷な軍事訓練を受けた

ライアン救出チームのキャストたちは、軍事訓練を受けてから撮影に入りました。

これは軍人としての動きを身につけることと、ライアン役のマット・デイモンを除いて訓練させることで、兵士のいらだちを演出するためだったようです。

いきなり銃を発砲されたり、世界大戦当時の装備で行軍したりと非常にハードな訓練だったらしく、キャストの苦労が伺えます。

訓練からすぐに戦闘シーンの撮影へ移行したチームは、監督の思惑通り和やかな雰囲気が消え、ライアン一等兵とギスギスした空気感になったそうです。

オマハ・ビーチのシーンはアイルランドで撮影された

冒頭20分に渡るリアルな戦争シーンは、アイルランドの海岸で撮影されました。

アイルランド陸軍から250名の兵士を借り、撮影に臨んだこのシーンは軍隊であるがゆえの統率の取れた動きでテキパキと撮影が終わったそうです。

POV(主観視点)を織り込んで取られた戦争シーンは特筆すべきリアルさで観るものに迫ります。

ミラー大尉の視点、戦場カメラマンの視点、ドイツ軍兵士の視点という3つのPOVが観るものを戦場に放り込むのです。

オマハ・ビーチを体験した元兵士たちにこの映像を見せるとPTSDを発症する人も出るなど、そのリアリティは「あとは匂いだけ」と言わしめました。

戦争映画の名シーンとして、このオマハ・ビーチの戦闘は語り継がれています。

本物に近い装備を用意した

マシンガンの音などは、実際に兵器を用意して発射したものを録音し、使っているためリアリティが段違いです。

兵士たちの装備も実物か、非常に精巧なレプリカを使用されています。

また戦車や戦闘機も用意できるものはすべて用意し、作品の純度を高めているのです。

用意できなかった兵器はどうしたんですか?
似たタイプの兵器を持ってきて、外観をカスタムして利用しています。

冒頭のオマハ・ビーチのシーンは必要だったのか

徹底的なリアリズムで描かれた冒頭の戦闘シーンは、グロテスクといってもいいほどに剥き出しの戦争を描いています。

ここまで残虐に戦争を描いてよかったのかどうかについて考察していきます。

ノルマンディー上陸作戦の知識

ノルマンディー上陸作戦は1944年6月6日に決行された、ドイツ軍に対しての史上最大の作戦です。

フランスのノルマンディー地方を占拠しているドイツ軍の前線を打ち破るため、アメリカとイギリスの両軍が秘密裏に進めてきた作戦になります。

最激戦区となったオマハ・ビーチは損耗率が非常に高く、上陸できたのは50%という甚大な被害を出したのです。

それゆえこの場所はブラッディ・オマハと呼ばれるほどに海が血に染まりました。

なぜオマハ・ビーチが選ばれたか

スピルバーグ監督がオマハ・ビーチを選んだ理由は、絶望的な戦場だったからでしょう。

機甲師団は海上で沈み、揚陸艇はゲートが降りた瞬間に蜂の巣にされ、上陸できないで詰まっているところへ第二波の部隊がやってくるのです。

しかも配属されてるドイツ軍は歴戦の兵士で、トーチカから機関銃を撃ちまくります。

上陸に参加した兵士からすれば、オマハ・ビーチは地獄でしかなかったでしょう。

反戦映画としての「プライベート・ライアン」を描くために、悲惨な戦場のシーンをしっかりと描く必要があったのだと思います。

有り余るほどに”戦争は嫌だな”と観るものに分からせる効果があるのです。

戦争映画を変えた

今までにもノルマンディー上陸作戦が映画化されたことがありましたが、ここまでリアルな戦争映画にはなり得ませんでした。

撮影を担当したヤヌス・カミンスキーの手腕も観るべきポイントの一つになります。

兵士の視点や戦場カメラマンの視点などを上手に使うことで、凄惨なオマハ・ビーチに上陸した1兵卒の気分を味わえるのです。

はっきりと、この作品以前と以降で戦争の表現が変わったと言っていいでしょう。

結果的にオマハ・ビーチを再現することで、それ以降の戦争映画を変えてしまった「プライベート・ライアン」。

スピルバーグはこの作品で、戦争映画の金字塔を打ち建てたのです。

くすんだ画面でありながら、血の色は鮮明なのが不思議ですよね?
実録映画風に加工する前提で、色合いがより鮮やかな血糊を用意することで、画面効果を引き出しているそうですよ。

戦争中の救助という矛盾

戦争中の1兵卒を、兄弟が死んだからという理由で保護し帰還させようとする上層部に疑問も出ますが、これは実話をもとにしています。

この矛盾点について情報を整理し、考察していきます。

ソウル・サバイバー・ポリシーの存在

サリヴァン兄弟という5人兄弟が同じ潜水艦で着任していたところを撃沈され、残された家族に兄弟全員の死亡を伝えねばならないという悲劇が起きました。

このことから厭戦の空気が生まれたために、アメリカ軍が制定したのが”ソウル・サバイバー・ポリシー”です。

これは複数人の兄弟が戦場に出ているときに、他の兄弟が亡くなってしまったときは残された兄弟は帰還させる、という内容でした。

実際にニランド兄弟という人物がおり、こちらは4人兄弟のうち3人がなくなり、空挺部隊の残り1人が帰還するよう命令されたのです。

このエピソードは「プライベート・ライアン」を作る上で、スピルバーグ監督に大きなヒントとなって影響を与えました。

救助にあたる兵士たちの心情

ミラー大尉と共に救助にあたった兵士たちは、1人を助けるために8人が命をかけるということに疑問を持ちます。

悲惨な戦争の中で、国民へのポーズとして他の兵士を犠牲にしてまでもソウル・サバイバー・ポリシーを遂行しようとする上層部は、矛盾を感じずにいられません。

ですがミラー大尉は、胸を張って故郷に帰るための任務だと告げて兵たちを鼓舞し、任務を遂行するのです。

誰かが間違っている戦争の中で、少なくともこの任務に関しては正しいことだと思って遂行するという指針を与えたミラー大尉は、すぐれたリーダーだと感じます。

また善性を信じていることからも、アメリカ人にかくあるべしという模範として描かれているのではないでしょうか。

込められたメッセージ

ミラーを始めとした多くの犠牲の結果、ライアンは無事帰国することになります。

歳を取り、老人となったライアンがノルマンディー共同墓地で、ミラー大尉たちの墓に家族を連れてくるところでエンディングになるのです。

無駄に生きるな、良い人生を送れとミラー大尉に告げられたライアンは、自分自身が良い人生、良い人であったかを振り返ります。

自分を救うために命を落とした人に対し顔向けできるかどうかを問うというのは、観客に”胸を張って生きてますか”という問いなのです。

戦争のリアリティを足がかりに、リアルを描いた上で理想もきちんと伝えていくスピルバーグらしいメッセージの送り方だと思います。

アメリカ万歳、では終わってないところがすごいですよね?
生き残った兵士の生き様を表して国旗を写すという展開は、愛国映画でありながら反戦映画でもあるのです。

アパムが見せる人間の表情

実戦経験のないアパムは、戦争に染まっていく人間を描いたものとして、観客の写し身のような存在なのです。

「プライベート・ライアン」でアパムはどう変化していくのか、何を伝えたかったのかを考察していきましょう。

アパムを通じて戦争体験をさせている

アパムは訓練は受けているものの、人を撃ったことも戦闘に参加したこともありません。通訳としてミラーに抜擢されますが、アパムは困惑しています。

臆病で最後の戦い以外は戦闘に参加せず、参加したとしても補給兵としてサポートする程度にとどまっています。

戦争という極限状態にありながら、アパムは臆病な一般人として活動し、その臆病さが観るものを苛つかせることもあるのです。

戦争中に一般人が混じったらどうなるか、というテーマでアパムは観客の代理として戦場に立っているように思えます。

アパムに感じる戦争関係者とは思えない行動の違和感こそ、スピルバーグ監督が描きたかった”観客の戦争体験”なのではないでしょうか。

アパムとミラーはワンセット

戦争の中で理想的な存在として書かれるのがミラー大尉で、現実として描かれているのはアパムといえます。

戦争において命令を守り、不満を言わず、人命を尊重するミラー大尉は模範とするべき存在なのです。

ですが実際に戦場に出るとしたら、人を殺すこともできず、戦友が殺されたときでも助けられないのが現実ではないでしょうか。

アパムの成長

仲間の死や戦争の体験がアパムを変え、自分が逃したドイツ兵がミラー大尉を撃ったことで怒りが最大になり、ドイツ兵を射殺するのです。

人を殺せず、捕虜の人命を大事にしてきたアパムは戦争で変わってしまったともいえます。

成長とも言えますが、戦争によってアパムが歪められてしまったとも取れるのです。

法律を遵守し捕虜を気遣う男が、戦争で現実を知りついには捕虜を殺すようになりました。

ここにはそこはかとない悲しみが漂うのです。

アパムに自分を重ねると、より深みを感じられる映画といえます。

まとめ

現代の戦争映画は「プライベート・ライアン」を模範に作られていると言っても過言ではないほど、後世に影響を与えました。

メッセージ性と娯楽としてのバランス感覚が絶妙に配分されている名作として、ぜひ観ていただきたい作品です。

特に未見の方は、映画好きを名乗るなら履修しておきたい作品の1つになります。

お時間を作って、できる限り良い音響環境で視聴されることをおすすめしたいです。

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