洋画 | cinemaxina https://cinemaxina.com 観たいが見つかる!お家シネマの総合情報サイト Thu, 05 Oct 2023 01:22:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.7.1 https://cinemaxina.com/wp-content/uploads/cropped-vf-32x32.png 洋画 | cinemaxina https://cinemaxina.com 32 32 180547246 マリー・アントワネット(ネタバレ・考察)ハチャメチャな王妃の青春とは?新しいマリー像を描いた傑作!史実も解説!! https://cinemaxina.com/marie-antoinette/ https://cinemaxina.com/marie-antoinette/#respond Wed, 04 Oct 2023 01:00:40 +0000 https://cinemaxina.com/?p=51893 本作は18世紀にフランス王妃となり、贅の限りを尽くした実在の女性マリー・アントワネットを描いた映画です。 当時のフランス宮廷で着用されたドレスを再現した美しい衣装は見どころ。“ドレス大好き女子”は必見です。 また、歴史劇でありながら、音楽にロックやテクノが使われている部分もあり、ミスマッチからくるおもしろさを楽しめます

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本作は18世紀にフランス王妃となり、贅の限りを尽くした実在の女性マリー・アントワネットを描いた映画です。

当時のフランス宮廷で着用されたドレスを再現した美しい衣装は見どころ。“ドレス大好き女子”は必見です。

また、歴史劇でありながら、音楽にロックやテクノが使われている部分もあり、ミスマッチからくるおもしろさを楽しめます。

マリー・アントワネットというと、自分のぜいたくな生活のために税金をつぎ込み、貧しい民衆の事を考えず「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃない」と言った悪いイメージを抱く人が多いでしょう。

しかし、本作では、マリーはこれまでのイメージをくつがえすような純真な女性として描かれ、孤独感とプレッシャーに押しつぶされそうになっていた事が描写されています。

ストレスを振り払うようにぜいたくでハチャメチャな暮らしにのめり込んでいくマリーの様子と、心の内を考察してお伝えしていきましょう。

マリー・アントワネット(2006年)

見どころ
キルスティン・ダンストが、ひとりの女性として葛藤するマリー・アントワネットの繊細な心の動きを表現。80年代のUKロックやマカロンカラーの映像がスタイリッシュだ。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
ハプスブルグ家の末娘、マリー・アントワネットは14歳でフランスのルイ・オーギュストと結婚した。べルサイユ宮殿での生活に戸惑いながらも、ぜいたく三昧の日々を送るマリー。やがて彼女は待望の世継ぎを出産するが、財政難に困窮した国民は暴徒化し…。
出典 : video.unext.jp

マリー・アントワネット(ネタバレ・考察)

本作は、まず何といっても、美しい衣装の数々にワクワクします。

監督・脚本執筆は、スタイリッシュな映像美に定評があるソフィア・コッポラが務めました。

監督らしい本作の衣装へのこだわりについてお伝えしましょう。

眼福!ガーリーなドレスを楽しめる!!

映画に出てくるドレスはみな繊細なレースやフリル、リボンがふんだんに飾り付けられていて、観ていると気分が上がります。

本作のためにデザインされたドレスは数百着。マリー役のドレスだけでも、70着以上も作られたそうです。

史実でもマリー・アントワネットがヨーロッパのファッションリーダーだったので、監督は本作を思いっきりファッショナブルな映画にしたかったと言います。

監督は、絵本や絵画のようにファンタジックな映像にしたいと思い、歴史劇にありがちな重厚な色調ではなく、お菓子のマカロンような淡く優しい色調で衣装を統一しました。

どのシーンでもガーリーで夢のような世界観が楽しめるでしょう。

衣装デザインのレジェンド、ミレーナ・カノネロ

衣装デザインは、ミレーナ・カノネロが担当しました。

ミレーナは、本作と同じ18世紀ヨーロッパを舞台にした映画「バリー・リンドン」(1975年)でアカデミー衣装デザイン賞を受賞したコスチュームデザインのレジェンドです。

マリーの衣装は、純情だった少女の頃はおとなしめの可愛らしいデザインですが、やがて華やかで凝ったデザインに変わります。

結婚の7年後、子どもを産んで母性に目覚めた頃には、豪華なシルクではなくナチュラルなコットンやモスリン生地の簡素なデザインになっています。

流行の移り変わりと併せ、マリーの考え方の移り変わりが衣装デザインで表現されているのです。

監督の期待に答えた素晴らしい仕事ぶりにより、ミレーナは本作でアカデミー賞衣装デザイン賞3度目の受賞となりました。

マリーのハチャメチャな宮廷生活

映画は、オーストリア王女のマリーが、母マリア・テレジア女帝の命令により、14歳でフランス王家に嫁ぐところから始まります。

フランス王妃となったマリーは、民衆が飢えていると聞いて「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃない」と言ったとされ、フランスの民衆に憎まれました。

なぜ彼女は民衆に憎まれたのでしょうか。

王妃でありながら公務をおろそかにして遊びに夢中になり、浪費を重ねたためと言われています。

本作では、マリーが豪遊する様子が描かれていました。

年間170着以上のドレスを作らせ、ギャンブルにのめり込んでいきます。

そして、仮面舞踏会で夜通し遊んで帰ってくるようになりました。

王妃となったマリーは、庶民とかけ離れた豪勢な生活をしてしまうのですね。

ファッションやギャンブル、仮面舞踏会通いには、たくさんの税金が使われます。

劇中、マリーが民衆から“負債の女王”とあだ名されるシーンがありました。

フランス王家の伝統を無視したマリーのハチャメチャな生活に、人々は眉をひそめたのです。

パリピの王妃

本作は歴史的にも有名なマリー・アントワネットを描いた映画ですが、伝統的なクラシック音楽だけでなく、現代的なロックやテクノの楽曲も使われています。

また、登場する靴やスイーツに現代のブランドが採用されているのです。

歴史劇とのミスマッチの妙を楽しめるでしょう。ここでも監督のこだわりが感じられます。

なぜ監督は歴史劇なのに、楽曲や小道具に現代のものを登場させたのでしょうか。

歴史劇にロックやテクノ?

マリーがドレスやジュエリーに散財するシーンで使用されている音楽は、UKロックやテクノが中心となっています。

歴史劇なのに、現代のパーティーピープルたちに熱烈に支持されている「ニュー・オーダー」や「エイフェックス・ツイン」などの楽曲が使われているのには、驚きました。

繊細でありながら破壊的な楽曲は、本作のマリーの優しさと軽薄さを併せ持った人間像にぴったりの選曲です。

監督はこう言いたかったのではないでしょうか。

マリーがギャンブルに一晩中興じ、夜明けに宮殿の庭園に友人たちと座り込んでいる様子は、クラブで朝まで踊り明かし都会にたむろしているティーンエイジャーたちそのもの。

マリー・アントワネットが最先端の流行を自ら作り出し、無邪気に目先の楽しみだけを追い求めて快楽に溺れる様子は、現代のパーティーピープルたちにも通じるのではないかと。

監督は音楽にロックやテクノをマリーのハチャメチャな青春とリンクさせているのです。

あんなところにコンバース?

本作には、美しい靴やお菓子、扇子、ジュエリーが次から次へと出てきて、スクリーンがまるで“美の洪水”のようになっています。

本作のために作られた靴は数百足。現代女性の憧れのブランド、マノロ・ブラニクが当時の靴を再現しました。

監督は、もしマリーが現代に生きていたら、靴はマノロ・ブラニクに注文するだろうと思ったそうです。

ところで、18世紀を描いた映画なのに、たくさんのマノロ・ブラニクの靴に混じって、コンバースのスニーカーが登場するシーンに、ご覧になった方は驚いたのではないでしょうか。

本来ならば、オーストリアの田舎娘だったマリーは10代の遊びたい盛り。

監督は「高級な靴ではなくてコンバースがお似合い」という意味を込めたそうです。

散りばめられる現代のモチーフ

宮殿のあちこちに置かれたお菓子のマカロンは、世界中で大人気のフランス高級スイーツ店、ラデュレが担当しています。

ラデュレのマカロンは20世紀になってから販売されましたが、あえて監督は本作に登場させました。

また、当時は無かったシャンパンタワーが映画に出てきます。

監督は、シャンパンタワーを登場させる事で、18世紀のパーティーを現代のパーティーになぞらえているのでしょう。

ロックやテクノの楽曲を使用したり、登場する靴やスイーツに現代の憧れのブランドを採用したり、シャンパンタワーを登場させたりと、本作は歴史映画なのに現代のモチーフが多用されています。

監督は、マリーを“現代のパリピ”として描き、歴史上の人物ではなく、疲れを知らず享楽的に遊びまくる一人の未熟な人間として浮かび上がらせているのです。

歴史劇に現代の音楽や小道具、思わずニヤリとしました。
ソフィア・コッポラ監督の表現方法にこだわりが感じられます。

マリーが浪費に走った理由とは?

華やかなドレスやジュエリー、ギャンブルや仮面舞踏会に彩られた青春の日々。

なぜ、彼女は国を揺るがすような浪費に走ったのでしょう?

マリーはストレスを抱えていました。

彼女はフランス宮廷のバカバカしい儀式にうんざりしていたようです。

男子の世継ぎを産むプレッシャーにも苦しみました。

そのストレスが彼女のハチャメチャな行動や浪費につながったのではないでしょうか。

着替えの儀式

ベルサイユ宮殿での生活は形式張っていて、とてもうっとうしいものでした。

朝の“着替えの儀式”で、マリーに服を渡すのは、最も位の高い貴婦人と決まっています。

儀式の途中で、位の高い貴婦人が部屋に入って来る度に着替えは遅れ、マリーは裸で寒さに震えながら待たなくてはなりません。

王妃が寒さのために風邪を引く心配よりも、儀式のほうが重要視されたのです。

劇中、女官長が大真面目に儀式を取り仕切っていて、儀式のバカバカしさに笑ってしまいますね。

これこそがマリーのストレスの原因でした。

王妃ともなると、着替えも一人でしてはいけないんですね!!

食事は市民に公開

バカバカしい儀式は他にもありました。

王族が「健康でいる事」が国家の安泰に繋がるため、二人が食事をきちんと摂っていると人々が確認できるよう、マリーと夫との食事は、見物人に公開されました。

このしきたりを“グラン・クヴェール”といいます。

夫が隣でガツガツ食事するのを見て、この状況でなぜ食事ができるのだろうとでも言いたげな表情のマリーが印象的でした。

当時のフランスの王族にはプライベートがありません。王族の権威を高めるため形式を重んじた行動が求められたのです。

毎日行なわれる儀式の数々は、おおらかなオーストリア宮廷で育ったマリーにとって苦痛以外の何物でもありませんでした。

見物人たちの前で食事するなんて、考えただけでもイヤなんですけど…。
マリーは形式張ったベルサイユ宮殿の生活に、なかなか慣れることができなかったようですね。

世継ぎを望むプレッシャー

形式張った生活のストレスに加え、マリーにのしかかったのは世継ぎを望むプレッシャーです。

マリーには、フランス王家はもちろん、祖国オーストリアや、周りにいる貴族たちから跡継ぎとなる男子を産む事が求められました。

現代でも、子どもを望む重圧があると聞きますが、次期国王を産み育てねばならない王妃ともなれば、そのプレッシャーは凄まじいものだと想像できるでしょう。

しかし、夫はマリーに無関心で、彼女に触れようとはせず夫婦生活はありませんでした。

子どもが生まれないのはマリーのせいではないのに、周囲からは彼女に対して悪口がぶつけられます。

夫に対して冷たい、オーストリア女は薄情だと言われ、子どもができないのはマリーが悪いとされてしまいました。

彼女が夫に嫌われないよう優しく接する姿が切なかったです。

マリーがフランスに嫁いでから7年後、事態を憂慮した彼女の兄ヨーゼフ2世の助言により、ようやく名実ともに二人の結婚が成就し、子どもが生まれました。

王妃って贅沢な生活ができてうらやましいと思っていたけど、結構たいへんなんだね。
これじゃあストレスもたまりますよね。

なぜ浪費に走ったのか?

非難の渦中にいるマリーは孤独でした。

大勢の着飾った宮廷人たちに囲まれていても、味方はいません。それどころかマリーに近づいて利権を得ようとする者ばかり。夫さえも頼りになりません。

ストレスが頂点に達したマリーは、小部屋に隠れ、一人声を上げて泣きくずれるのでした。

この作品のテーマの一つが少女の孤独といえるでしょう。

マリーが暴走したのは、数々のストレスに耐えかね、それが引き金となったからではないでしょうか。

満たされない気持ちを埋めるために、全力で遊ぶしかなかったのでしょう。

キルスティン・ダンストの演技

孤独感にさいなまれるマリーを演じたのは、初代「スパイダーマン」シリーズ(2002~)でヒロインを演じたキルスティン・ダンスト。

彼女は、「ヴァージン・スーサイズ」(1999年)などソフィア・コッポラ監督の映画3作品とドラマ1作品に出演しています。

ソフィア・コッポラ監督が脚本を執筆する際、マリー役はキルスティンの当て書きだったといいます。

キルスティンは監督の期待に応え、繊細さと軽薄さを併せ持つマリーを見事に表現しました。

次第にストレスに耐えられなくなっていくマリーの心の軌跡がわかる演技が素晴らしかったです。

監督のキルスティンへの信頼は厚いのですね。
キルスティンの演技には、真に迫るものがありました。

新しいマリー像

軽はずみな少女として描かれたマリーでしたが、一方で愛情深く、他人の事を思いやれる人として描写されています。

これまでの悪いイメージとは違った新しいマリー像が描かれているのです。

母となったマリーは、子どもに細やかな愛情を注ぎました。

子どもにはきちんとしつけを行なっていて、褒められたらお礼を言わせる、ジュエリーを我慢させるなど、思いやりのある子に育てようとします。

昔やんちゃをしていたけれど、今は更生して“良いお母さん”をやっている人って現代にもいますよね。

またマリーは、国民が貧しさに苦しんでいると聞いて、買う予定だったジュエリーを返品するのです。

このように本作では、これまでのマリーの悪いイメージをくつがえすような、純真で思いやりある彼女の一面が描写されます。

「パンが無ければお菓子を食べればいい」と思いやりのない発言をしたとされる一般的なマリー像とは正反対ですね。

実は近年では、世界的にマリーの人間像をより深く掘り下げようという気運が高まり、マリーの悪い評価を見直す動きがあるのです。

それを反映して執筆されたアントニア・フレイザーの小説「マリー・アントワネット」(2001年)がこの映画の原作となっています。

史実のマリー・アントワネット

実際のマリーはどんな人だったのでしょうか。

“罪なき”マリーの純真さを、歴史的事実からひも解いていきましょう。

純真すぎたマリー

史実では、純真なマリーの性格がうかがえます。

なんと、彼女は貧しい民衆のために募金活動を行なっていたそうです。

そして、彼女のこのような発言が記録に残っています。「不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々がいるならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に一生懸命働くのが私の務めです」

マリーの言動からは、純真な思いが伝わってきて、処刑されるほど悪い人だったわけではないように思えるのです。

与えられた富を何の疑問もなく受け取っていたマリー。一国の王妃としては疑う事を知らず純真すぎたのがいけなかったでしょう。

マリーに罪はあるか?

ハチャメチャな生活をして、マリーが国庫のお金を使い尽くしたとされますが、マリーが使えたのは当時のフランス国家予算の1~3%。

いくら彼女でも一人で国庫のお金を使い尽くせません。

当時フランス経済が破綻したのは、現在では以下のような原因によるものだとされています。

  • 先々代の王が続けた戦争費用の負債が積もりに積もっていた
  • 天候不順で食糧の不作が続いた
  • イギリスの植民地支配から独立するため戦争を始めたアメリカに巨額の援助金を送った

どうやら、経済破綻はマリーのせいではないようです。

しかし当時は民衆の恨みをマリーひとりが受けた形になりました。

「マリーを憎む革命派の人たちによって、彼女は悪者に仕立て上げられ、攻撃の標的になった」という説が最近では有力になっています。

「パンが無ければ…」について

「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉は有名ですが、本当にマリーがそんな事を言ったのでしょうか。

この言葉は、思想家ジャン=ジャック・ルソーの小説に出てくる事から有名になったのですが、小説が書かれた時代とマリーが生きた時代が合わないため、彼女の言葉ではありません。

この“パン発言”をマリーが言った記録は無いのです。

マリーを憎んだ革命派の人たちによって、彼女の発言として広められたといわれています。

この事からも、マリーは悪者に仕立て上げられたと言えるのではないでしょうか。

映画でもマリーが“パン発言”について、「私は言っていない」と言うシーンがありました。監督が考える“新しいマリー像”がこのシーンでも描かれているのですね。

破滅への道

マリーは、子どもが生まれてから贅沢をやめましたが、遅すぎました。

もはや民衆にとって彼女は、国の経済を傾けた悪者であり、憎悪の対象でしかなかったのです。

彼女がフランス王家に嫁いで19年後の1789年、とうとう民衆は飢えに耐えかね反乱を起こし、国王と王妃を排除して自分たちで政治を始めます。歴史に名高いフランス革命が起こったのです。

マリーはベルサイユ宮殿からパリへ連行されてしまいました。

映画では描かれていませんが、マリーは王妃の位を剥奪され、処刑されることになります。

ソフィア・コッポラが描くマリー・アントワネット

本作は第59回カンヌ国際映画祭に出品されましたが、試写会ではブーイングが起こりました。

「歴史劇のドラマティックな展開がない」「マリーの人物描写に深みがない」と言われたのです。

確かに、本作にはフランス革命のドラマティックな展開があまり描かれていません。

一見、ただマリーの華麗な暮らしぶりを描写しただけにみえます。

文豪シュテファン・ツヴァイクがマリーの伝記に書いたような、彼女が王妃の座から引きずり降ろされるという運命にどう立ち向かったのかというドラマが、本作にはまるで描かれていません。

ソフィア・コッポラ監督は、マリーの書簡集を読んで、「勉強嫌いで生意気なティーンエイジャーのようだ」と思ったそうです。

本作はマリーの孤独と、彼女のハチャメチャな青春を現代の視点で捉えた映画なのでしょう。

監督が描きたかったのは、快楽の沼にハマり、われ知らず破滅へと突き進む愚かな少女の姿だったのです。

歴史映画としてではなく、ガーリーな美しいドレスの数々と、一人の少女の青春をポップに描いた映画として観ると、本作を楽しめるのではないでしょうか。

まとめ

慣れない異国でのしきたりや孤独に耐え続け、ストレスを振り払うかのようにハチャメチャな生活を送ったフランス王妃マリー・アントワネットの青春を描いた本作。

マリーは純真で人を思いやる事もできる女性として描かれていました。

「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃない」と貧しい民衆に対して心ない発言をしたとされていましたが、彼女がそんな事は言っていなかったというのは驚きでしたね。

マリーが実際に暮らしたベルサイユ宮殿で撮影された美しい映像、マカロンカラーの衣装にテンションが上がるでしょう。

ぜひご覧になってください。

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デス・プルーフ in グラインドハウス(ネタバレ・考察)タランティーノ史上、最低で最高の映画!一流が作るB級映画の魅力に注目!! https://cinemaxina.com/deathproof/ https://cinemaxina.com/deathproof/#respond Mon, 05 Sep 2022 03:00:52 +0000 https://cinemaxina.com/?p=44823 出典 : amazon.co.jp 「デス・プルーフ」はクエンティン・タランティーノ監督による、スラッシャーホラーとカーアクションが楽しめるB級映画への愛情を込めたアメリカ発の娯楽作品になります。 車を使って女性を殺害することで性的興奮を得るド変態な殺人鬼の恐ろしさと、殺人鬼よりクレイジーな女性たちが変態を追い回してボ

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「デス・プルーフ」はクエンティン・タランティーノ監督による、スラッシャーホラーとカーアクションが楽しめるB級映画への愛情を込めたアメリカ発の娯楽作品になります。

車を使って女性を殺害することで性的興奮を得るド変態な殺人鬼の恐ろしさと、殺人鬼よりクレイジーな女性たちが変態を追い回してボコボコにする2部構成にそれぞれ見どころがあるのです。

B級映画をたくさん楽しんできた70年代映画ファンの体験を2000年代の観客に共有させるために、傷だらけのフィルムやシーンが繋がらない編集などが入っており、“B級映画らしさ”が表現されています。

フェチズムやカーアクション、登場キャラのくだらない話といった監督の偏愛と、「映画マニアであるほど楽しめる映画」として支持される本作の趣向を隅々まで考察していきましょう。

デス・プルーフ(2007年)

見どころ
その設定や物語、荒い粒子の映像など、Q・タランティーノが愛してやまない、場末の劇場で上映されていた低予算映画へのオマージュが満載。壮絶なカースタントも必見だ。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
チューンナップした車を駆って、美女を惨殺する殺人鬼スタントマン・マイク。ある映画の撮影に関わっている女性たちを新たな獲物として定めたマイクは、彼女らの運転する車に追突していく。しかし、思いもよらぬ反撃を受けてマイクは狩る側から狩られる側に。
出典 : video.unext.jp

デス・プルーフ(ネタバレ・考察)

大作を上映できない地方の映画館で活用されていたB級映画の2本立て上映を懐かしむ「グラインドハウス」という企画からこの作品は誕生しました。

企画の中心になったロバート・ロドリゲス監督は「デスペラード」(1995年)などで知られており、作品内での演出や雰囲気から漂う“ロドリゲス式カッコよさ”がファンに支持されています。

彼の盟友であり、映画好き仲間として知られるタランティーノが協力し、2本の映画と予告編映像を集めた3時間を超える上映企画が開催され、コアな映画ファンから熱狂的に支持されました。

B級映画を愛する監督たちの集まったこのお祭りは、全作品の制作費が合計で77億円かかり興行収入はその半分しかなかったため、配給会社に大きなダメージを与えましたが、開催に意義のある企画になったのです。

本作「デス・プルーフ」と一緒に上映された映画「プラネット・テラー」と、名だたる監督たちが参加した「予告編」で構成された「グラインドハウス」についてお伝えしていきます。

長すぎ!合作上映イベント「グラインドハウス」のプログラム

3時間11分にも及ぶ「グラインドハウス」はロドリゲス監督のウソ予告編と映画「プラネット・テラー」から始まり、予告編4本を挟んでから「デス・プルーフ」で締める構成でした。

過去の大作映画のように休憩時間を入れるという配慮がなかったため、映画館での鑑賞中にトイレへ行きたい人はどこで行けばいいのかタイミングを探っていたのです。

そのため、「デス・プルーフ」の冒頭では女の子が「オシッコ漏れちゃう!」と股間を押さえながらトイレに急ぐシーンが入っており、メッセージとして「トイレに行くなら今だよ」と観客に伝えています。

本作の冒頭はこのあとガールズ・トークをグダグダと続ける展開になっており、トイレに行って観られなかった人があとから配信やソフトで確認しても「あ、これはトイレタイムだったんだ」と納得できるのです。

グラインドハウス形式の映画館で上映された作品は比較的短い作品が多かったので問題ありませんでしたが、企画的に当時の再現をしつつ上演時間が長くなることを想定したタランティーノの気配りを感じます。

B級映画の定義と魅力

B級映画の定義としては「低予算」「撮影時間とキャスト、スタッフは最低限」「条件を守って面白いものであれば何でも良い」というものでした。

そのため監督も新人が担当することが多く、いかに監督がスタッフやキャストを巻き込んで面白いと思えるアイデアを映画にできるか?という挑戦の場でもあったのです。

普通では企画が通らないような設定でも、元々の予算が低く「作品として完成していればまず損はしない」仕組みであったため許されました。

そういった挑戦の場から大作映画に格上げされて続編が作られたり、有能なクリエイターが誕生したため、企画に参加した監督たちはB級映画の重要さを知っているのです。

発起人のロドリゲス監督は自主制作のB級映画「エル・マリアッチ」(1992年)がきっかけでブレイクしましたね。
配給会社から1000倍の予算を渡されてセルフリメイクした「デスペラード」でも持ち味を変えることなく名作にしました。

手の込んだウソ予告と「ウソ予告コンテスト」

作品が撮影されておらず、予告編だけ作った「ウソ予告」が5本あり、有名監督を中心に力作を披露し観客を楽しませました。

そのうちの1つは「ウソ予告コンテスト」として映画クリエイター志望の参加者から作品を募集し、300本以上の応募作から選ばれた優勝作品が「予告」だけ公開されたのです。

ウソ予告タイトルと監督、代表作<

  • 「マチェーテ」ロバート・ロドリゲス
  • 「ナチ親衛隊の狼女」ロブ・ゾンビ
  • 「Don’t/ドント」エドガー・ライト
  • 「感謝祭」イーライ・ロス
  • 「ホーボー・ウィズ・ショットガン」ジェイソン・アイズナー(ウソ予告コンテスト優勝、同タイトル映画化(2011年))

主催した制作会社がサイトに「ホーボー・ウィズ・ショットガン」の予告を優勝作品として掲載したところ、「映画化しないのか」という問い合わせが殺到し、実際に映画がつくられました。

また予告だけのはずだった「マチェーテ」も個性派俳優で知られるダニー・トレホが参加していたせいか、ファンから映画化を熱望され2010年に長編映画として公開となり、トレホの初主演作になったのです。

参加した監督はみなさん映画好きなうえに、個性的な作品を撮影する大物ばかりですね。
ウソ予告から実際の映画監督デビューにつながることを含めて、B級映画が持つ可能性の高さを感じます。

夜パートの展開とキャストの関係

B級映画に捧げるオマージュでありながら、潤沢な予算で作られた「デス・プルーフ」は「B級風映画」として雰囲気は当時を思わせるものの、クオリティは非常に高いのです。

前半では“エッチな女の子”を生贄として沢山出演させ、後半では“セクシーかつクレイジーな女の子”を軸に据えるなど、過去のカルト映画で人気だった要素を盛り込み再構築してみせます。

また映画自体が2本立ての構成になっており、殺人鬼が恐ろしさを発揮する「夜のシーン」と、殺人鬼が手を出してはいけない相手にちょっかいをかけて逆に襲われる「昼のシーン」で展開やジャンルが変わるのです。

変態の殺人鬼であるスタントマン・マイク(カート・ラッセル)を筆頭に、映画やドラマシリーズなどで活躍している女優など大物が多数参加しており、「B級風のS級映画」を表しています。

登場する女性たちが異常性癖の殺人鬼に襲われるホラーテイストな夜パートに出演する俳優たちと、注目すべきポイントを考察していきましょう。

前半で登場するパリピ美女軍団の役割

前半では地元のラジオDJを務めるジャングル・ジュリアとその仲間たちが、バーで酔っぱらいながらバカ話をしているシーンがメインになります。

暑い場所で過ごしているため全員ホットパンツとTシャツというセクシーな格好なのですが、これは60年代に流行したセクスプロイテーション(性的搾取)映画の影響を受けているのです。

このジャンルでカルト的な人気を誇るラス・メイヤー監督は巨乳ばかりを好んで扱いましたが、タランティーノは尻と脚に執着した演出で対抗しつつ、自分らしさと性癖を主張しています。

ジャングル・ジュリアは、映画ファンには有名な黒人初のアカデミー主演男優賞を獲得したシドニー・ポワチエの娘であるターニア・ポワチエが演じていますが、求められていたのは脚線美でした。

そのため登場シーンから死亡シーンまでずっと脚をさらしており、車に乗って脚を窓から出していたため、死に様まで脚がちぎれて飛んでいくという「脚担当」を徹底させられています。

またラジオで勝手にネタにされ、男性と出会ったらラップダンス(ショーダンサーが見せるような性的な踊り)をするように仕向けられた子はアメリカのTVドラマで有名なヴァネッサ・フェルリトです。

声をかけてきた男性と6分間でセックスを済ませたり、セクシーなラップダンスを披露したりと“尻担当”として存在感を見せますが、セクシーな子は殺されるB級ホラー映画の文脈に従って死にます。

このように役者の格などは関係なく、前半の美女軍団は派手に死ぬための前フリとしてバカ騒ぎし、殺人鬼の餌食となるのです。

「プラネット・テラー」でヒロインだったローズ・マッゴーワンが、こちらでは殺人鬼の異常さを伝えるために死ぬ端役なのが贅沢ですね!
 マッゴーワンのギャラは「プラネット・テラー」の主演分と、本作で死ぬ分のセット払いだと思いますよ。

夜のシーンのクライマックス

女の子のおしゃべりが延々と続き、ラップダンスの後で駐車場に向かうときに、帰れないので送ってほしい女子を車に乗せたあと、マイクがカメラ(つまり観客)を数秒見つめるシーンが入ります。

この視線は意図的な観客への注意喚起となり、「退屈だったかも知れないけど、ここからが見どころなので集中してね」というメッセージなのです。

助手席に乗せた女性(ローズ・マッゴーワン)は“異常性と車を使った殺人の説明”を表現するために殺され、マイクは今日の狙いであるジャングル・ジュリアを追いかけて猛スピードで駆け抜けます。

目標の車を追い抜いたマイクは正面衝突させるためにライトを消してからスピードを上げ、激突する直前にライトを付けて正面衝突するのです。

ここでは何度も丁寧に、犠牲になった女性たちの死に様を描写してくれるというサービスシーンであり、B級映画風の「監督が見せたいこだわり」として描かれます。

異常性を表す“自動車を使った殺害”で、怪我を負うもののひとり生き延びるマイクは故意の殺害を疑われますが、証拠がないため逮捕できないのです。

マイクの用意周到な殺しを説明した上で、「この殺人鬼をどうやって止めるのか?」という後半への導入になり、2部構成を意識して作られている本作の前半が終わります。

脚本の段階では、事故直後に車内でマイクがオナニーするシーンがあったとか!
そこまで直接的じゃなくても、様々なシーンで変態だと描かれているので充分でしたね。

昼パートで変化する主人公とジャンル

前半と後半で共通する登場人物はスタントマン・マイクのみとなり、後半から登場する女性たちは映画制作に関わっている業界人が休暇中に集まる、という展開から始まります。

映画の撮影で集まるスタッフは集団で活動するためか、撮影中に仲良くなってお付き合いし、撮影が終わったらサヨナラするようなラブゲームを楽しむという嘘か真か解らない雑談で盛り上がるのです。

前半とは打って変わって青空が広がる郊外で発生するのは、うかつにも煽った相手が超クレイジーな女戦士たちだったことで、地の果てまでも追いかけられる殺人鬼のカーチェイスになります。

監督がこだわったヴィンテージカーでのカースタントとカルト映画へのオマージュが満載な後半部分の文脈と、出演した女優の意味などを掘り下げて考察していきましょう。

脚フェチのマイクがやらかした失敗

前半の事故シーンから1年4ヶ月後、舞台をテネシー州に移しての後半戦では、映画業界で働く女性たちがオフを楽しみつつ、映画業界での恋バナについてだべっています。

駐車場に止まっている際にアバナシー(ロザリオ・ドーソン)が車から脚を出していたことで、脚フェチであるマイクは我慢できずに臭いを嗅いだあげくに舐めるという変態ぶりをみせつけるのです。

普段はじっくりとストーキングしてから犯行に及ぶマイクですが、自分の好みの女性を見つけてしまったことで我慢ができなくなり、彼女たちを追いかけることにしました。

観客は前半の犯行でマイクの恐ろしさを知っているため、ここで新たな犠牲者が出るのか?と身構えるのですが、タランティーノはここに“マイクの失態”を描き、ラストにつなげているのです。

なぜチアガールは置き去りにされたのか?

ニュージーランドからはるばるアメリカまでやってきたスタントウーマンのゾーイ・ベル(本人)は、名作として知られる自動車映画「バニシング・ポイント」(1971年)に登場するダッジ・チャレンジャーへの愛情を語ります。

そのためにわざわざアメリカの地方紙を取り寄せて情報を集め、目的の車種が売りに出たことで渡米し、映画業界の友達たちとオフを楽しみつつドライブするのです。

4人はヴィンテージカーの試乗をするために持ち主のところに行きますが、ゾーイの目的が「試乗の際にカースタントしたい」という話を聞き、女友達たちは呆れながらも目的に同意します。

車のオーナーに同席されると許されるわけがないので、一人チアガール姿をしているリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)が「オーナーの相手」として残されるのです。

メアリーは数多くのホラー映画でスクリーム・クイーン(悲鳴を上げるメイン女優)として有名なのですが、そんな彼女がオーナーとエッチなことをさせられる?と匂わせることには2つの意味があります。

置き去りにされたチアガールはどうなる?と思わせつつ、「ホラー女優のメアリーが離脱したから、この先はホラーじゃないよ」という映画ファン向けのメッセージを含んでいるのです。

頭のネジが外れたカースタント!

ゾーイは、ボンネットに身を晒すスタントでスリルを満喫しているところを、ヴィンテージカーに乗ったマイクに絡まれ、何度も体当たりされ、2台の名車を使って壮絶なカーチェイスが始まります。

このシーンではゾーイ本人がスタントをこなし、時速160km/hという猛スピードで実車を使ってのアクションシーンとなっているため、手に汗握る大迫力のカースタントを楽しめるのです。

作中でも言及されたように、CGの進化でスタントの安全性や欲しいシーンの撮影が両立しやすくなりましたが、実際にプロが体を張る場面でしか得られない名場面というのは未だに求められます。

この映画でもっとも時間をかけて撮影されたのが、後半20分に渡って繰り広げられるカーアクションのシーンであり、CGなしで欲しい絵が撮れるまで何日も撮影を繰り返しているのです。

あらゆる体勢で耐えるゾーイはカーアクションの凄さと魅力を存分に引き出し、そのうえで最後に急停車してゾーイが放り出されるシーンは明らかに人形に代わっています。

場面としてマイクの攻撃が終わり、次の場面に移りますよという転換と、いままで繰り広げてきたスタントの凄さを一回リセットさせる人形の扱いが、B級感を維持するのです。

そもそも襲撃されたときに車を停止させれば良くないですか?
だれもB級映画にそんなインテリジェンスを求めていないように、この映画の見どころがなくなる判断はしないのです。

終盤でオマージュされるエクスプロイテーション映画への愛情

追われる側が追う側へと入れ替わり、カーアクション+女性による暴力という“エクスプロイテーション映画”の名作「ファスター・プシィキャット!キル!キル!」(1966年)を思わせる展開になります。

グラインドハウス系の映画館で上映されたB級映画の中でも、名作としてカルト的人気を誇るラス・メイヤー監督作品へのオマージュが満載のクライマックスは爽快感が詰まっているのです。

裏を返せば「爽快感しかなく、観たあとに何も残らない」という清々しいまでのB級映画テイストをきっちりと表現していることから敬意を感じます。

これまでのシーンでも登場人物たちの知能は低めでしたが、より人間の知性が下がり暴力と暴言に満ちたリンチの清々しさに注目しましょう。

女性が活躍する映画に早変わり!

マイクはからかったつもりだったのでしょうが、この女子チームはマトモな頭の持ち主は一人もいませんでした。キム(トレイシー・トムズ)に銃で肩を撃たれたマイクはたまらず逃げ出します。

女性陣は「あいつ殺そう」と即決、落ちている鉄パイプを拾い箱乗りで追いかけいきホラー、カーアクションの次は、強いヒロインが暴れるエクスプロイテーション映画に発展するのです。

狙われるものが入れ替わったシーンでは下品な言葉を連呼するドライバーが、白のダッジチャレンジャーでマイクの車を突き回します。

極上のヴィンテージカー、さらに他人の持ち物であることはどうでもいい!とばかりに襲撃する女達のすさまじい攻撃に、半泣きで詫びを入れるマイクは追われる側として恐怖するのです。

スタントマン・マイクは凄腕であることの証明

女性陣の突き抜けた暴れっぷりに目が行きがちですが、実はマイクのドライビングテクニックも見どころになっています。

彼は腕を撃たれており、片手で運転しているのにも関わらず、衝突を受けながらも高速走行で車体をコントロールしていることからも、れっきとしたカースタントのプロであることが解るのです。

ただしその腕の良さと、追手を振り切ったという勘違いから最後は派手なクラッシュをした挙げ句、車体から引きずり出され、死ぬまで殴られ続けます。

殴り方から見える個性と爽快感を追求した終幕

ゾーイとキムはスタントウーマンとしてアクションの経験があるせいか殴りなれていますが、メイク係のアバナシーは殴りなれていないのか、手が痛いという様子を見せます。

それでも全員で均等に殴っているため、「この男は絶対許せないのでボコボコにする」という、女性チームの強い意志を感じるのです。

フィニッシュシーンとなる回し蹴りを食らってマイクが倒れた瞬間、女性陣が喜んでジャンプした瞬間に画面は止まり、「END」と表示されて余韻もなにもなく終わります。

悪党へのお仕置きが決まり、爽快感が最大なところで唐突に入るため、疑問に思いつつも「気持ちよかったからいいや!」となるのです。

あとから振り返ると入れ込んである要素の多さに気づくのですが、タランティーノとしては「一番気持ちよく終わらせて、何も思い出せないくらいにしてやろう」と考えているのでしょう。

「デス・プルーフ」で演出されているB級映画らしさとその魅力

本作ではB級映画らしさを出すために、昔の映画館で観られた映像や体験を再現できる加工が施されているなど、作品の内容以外にも見どころが多いです。

トリビア的に監督が手を加えた「B級映画」らしい演出についてピックアップしていきましょう。

オープニングで一瞬別タイトルが映る

オープニングでタイトルである「デス・プルーフ」のロゴが映る一瞬前に別タイトルのロゴが見えますが、これは編集ミスを意識的に加工しています。

フィルムを使った映画はフィルム自体を切り貼りするため、編集が上手い人であればこういったズレや違和感を感じない仕事をしますが、「予算が少ない新人の適当な仕事」を感じる編集になっているのです。

劇中でも全く同じ位置のカメラで女性陣の車とマイクの車が走っていくシーンが連続するなど、「撮影の際に画角や繰り返しを気にするほどのシーンではない」という表現をわざと出しています。

画面にチラチラ映るノイズ

全体的に画面上でノイズが走っているのは、フィルムが酷使されていたグラインドハウス形式の映画館で観た映像を再現するためです。

全米同時公開といったトップクラスの作品は何本も上映用のフィルムがプリントされますが、B級映画は少ない本数しか作らず、その少ないフィルムを全米で使いまわしていくため、映写時に傷が入ります。

なので「大規模公開ではないけれど、多くの映画館で上映されてきた実績のある面白い映画の証」として、ボロボロになったフィルムを思わせる加工になっているのです。

ラップダンスのクライマックスがいきなり屋外シーンになる

映画館で映画を上映するためには技師が必要なのですが、フィルムのチェックやメンテナンスも映画館の技師が担当する時代がありました。

そのなかで映写技師の良くない特権として、フィルムにエッチなシーンが写っていたらお宝としてその部分を切って私物にしてしまい、その後のシーンをつないでしまうことが多かったのです。

それぞれの映画館で映写技師たちがお気に入りのシーンを持ち帰るため、元の作品では想定していなかったシーン展開になることもあったよね、というネタになります。

おそらくバタフライとマイクのラップダンスシーンはクライマックスでいきなり駐車場へ場面が移動しますが、実はもっと過激なシーンがあったかもしれない、という演出なのです。

まとめ

B級映画の雰囲気を知るための入門映画として観るととても楽しい作品ですが、クオリティが高いがためにこの作品からB級映画を探求し始めると「思っていたイメージと違う」を感じるかもしれません。

なのでこの映画では「B級映画は必要最低限の要素と豊富なアイデアで構成されている方が面白い」という条件設定を理解するための入門書と考えるのが正解です。

タランティーノ作品特有のおしゃべりシーンの長さや他の映画への言及などは一旦意識しないで鑑賞し、派手なシーンにのみ注目すると、よりB級映画の娯楽性を理解できるでしょう。

この作品を気に入ったのであれば、対となるB級風映画である「プラネット・テラー」もご覧になることをおすすめします。

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プライドと偏見(ネタバレ・考察)「プライド」「偏見」の意味とは?新しいヒロイン像・エリザベスの魅力を解説 https://cinemaxina.com/pride-and-prejudice/ https://cinemaxina.com/pride-and-prejudice/#respond Sat, 03 Sep 2022 23:00:51 +0000 https://cinemaxina.com/?p=28935 出典 : netflix.com 「プライドと偏見」は18世紀末・イギリスを舞台に、男女の恋愛模様をロマンチックに描いた映画です。 これまでに何度も映画化されているジェーン・オースティンの小説「高慢と偏見」(1813年)が原作となっています。 映像の美しさで定評があるジョー・ライトの初の長編映画監督作品でした。 「パイ

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出典 : netflix.com

「プライドと偏見」は18世紀末・イギリスを舞台に、男女の恋愛模様をロマンチックに描いた映画です。

これまでに何度も映画化されているジェーン・オースティンの小説「高慢と偏見」(1813年)が原作となっています。

映像の美しさで定評があるジョー・ライトの初の長編映画監督作品でした。

「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのキーラ・ナイトレイとイギリス演劇界のスター、マシュー・マクファディンが主役を務めています。

男女の恋愛の機微が描かれている本作の、ネタバレ・考察・トリビアなどをご紹介していきましょう。

プライドと偏見(2005年)

見どころ
清楚な中にも自由な心と芯の強さを感じさせる主人公をキーラ・ナイトレイが好演。原作はイギリス女流文学の頂点をなすジェーン・オースティンの「高慢と偏見」。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
18世紀末のイギリス。田舎町に住むベネット家の隣に、大富豪・ビングリーが引っ越して来る。ベネット家の次女・エリザベスは、彼の親友で気位の高いダーシーに反発を抱く。エリザベスはダーシーに嫌悪感を募らせるが、彼の存在が気になるようになり…。
出典 : video.unext.jp

プライドと偏見(ネタバレ・考察)

ヒロインはイギリス南部の田舎に住む、ベネット家の娘たち5人姉妹の次女・エリザベス(キーラ・ナイトレイ)です。

彼女は読書が趣味でとても聡明な女性です。

「プライドと偏見」は、エリザベスを始めとしたベネット家の姉妹たちの「婚活」を描いた作品になります。

彼女たちの婚活状況を解説しましょう。

結婚できない=“死”?

ベネット家は、地主(ジェントリ)ですが、当時の地主としては、裕福ではないようです。

母は、5人の愛する娘を、できるだけ裕福な男性に嫁入りさせようと必死でした。

当時のイギリスでは、女性には就ける職業がなく、結婚して夫に養ってもらうしか道がなかったからです。

しかも、男子しか遺産相続ができない制度になっていたので、息子のいないベネット家では、財産である地所は遠縁の男性のものになってしまいます。

ベネット家の父が亡くなった場合、娘たちは今住んでいる屋敷から追い出されてしまうのです。

そのため、22歳から15歳のベネット家の娘たちは、婚活に励むのでした。

ハイスペック男子現る

ある日、ベネット家の領地の隣に、お金持ちのビングリーという独身の男性が引っ越してきます。

もしビングリーとベネット家の娘達の誰かが結婚できれば、玉の輿です。

ラッキーなことに、エリザベスの姉で美人のジェーンは、ダンスパーティーで、明るく気取らないビングリーと仲良くなりました。

一方、エリザベスは、パーティーに来ていたビングリーの友人であるダーシー(マシュー・マクファディン)という男性に興味を持ちます。

ダーシーは伯爵と縁続きの家柄で、広大な領地を持っていて、イギリス有数の資産家だと噂されていました。

身分も収入もあり、美男で身長も高く、上品で知的というハイスペックな男性です。

エリザベスはダーシーの知的な眼差しに惹かれ、パーティーで彼にダンスを申し込みますが、ダーシーはすげなく断るのです。

彼はパーティーで踊ることはほとんどなく、舞踏会に来ていた玉の輿目当ての女性たちを憤慨させます。

彼女たちには、ダーシーはプライドが高く、田舎町の女性たちとあなどって誰とも踊りたくないかのように見えました。

実は、彼はただ初対面の人間と接するのが苦手だったというだけなのですが…。

美人じゃない

そして、エリザベスは、ビングリーとダーシーの会話を聞いてしまうのです。

ビングリーは「長女のジェーンさんはこれまで会った中で一番きれいな女性だ。次女のエリザベスさんも美人だね?」と言いますが、ダーシーは冷たく言い放ちます。

「エリザベスさんも悪くないけど、そそられるほど美人じゃない」

エリザベスは怒りに打ち震えました。「ダーシーという人はなんて高慢なんだろう!!ちょっとカッコいいと思ったけれど、それはまちがいだった…」

エリザベスのダーシーへの印象はこのようなひどいものでした。

ダーシーはハイスペック男子だけど上から目線…。
エリザベスは怒って当然です。

楽しめるセリフの応酬

パーティーで、娘をいい嫁として男性陣に売り込みたい母は、得意げに娘の自慢をします。

「ジェーンが15歳の時、あまりに彼女が美しすぎて詩を贈ってきた紳士がいたんですのよ。プロポーズはなかったけれど」

謙遜することを知らない母の暴走を止めようと、エリザベスが「詩には愛を遠ざける力があるのですね」とフォローします。

すると、突然ダーシーが会話に入ってきます。「詩は愛の糧と思っていましたが?」

「強い愛には糧ですが、弱い愛には毒です」とエリザベスは詩的に答えます。

打てば響くように言葉を返すエリザベスに、ダーシーは感に堪えない様子で、さらに畳み掛けてくるのです。

「では愛情を育てたいときはどうしたらいいでしょうか?」

すると、エリザベスは、自分とのダンスを断ったダーシーを当てこすって、「ダンスです。たとえ女性にそそられなくても踊ることです」

エリザベスは聡明すぎて、ちょっと皮肉っぽいところがあるのですが、ダーシーも負けてはいませんね。

二人は似た者同士なのです。

もうこの時点でエリザベスもダーシーもお互い恋に落ちていることがわかりますね。

この映画では、そんな二人が繰り広げるオシャレな会話を楽しむことができるのです。

知的な人同士の会話ってこんな感じなんですね。
恋愛の機微が感じられますね。

ダーシーの悪い噂

世間ではダーシーが高慢で嫌な男だという噂はたちまち広がりました。

エリザベスは、さらにダーシーについての悪い噂を耳にします。

ジェーンがビングリーにフラれた理由

ベネット家の長女ジェーンとビングリーは、お似合いに見えました。

しかし彼は、突然ロンドンに引っ越してしまうのです。

ジェーンは失恋したと悲しみ、エリザベスは姉を慰めます。

なぜ、ビングリーは急に引っ越してしまったのでしょうか。

実は、彼の引っ越しには、友人であるダーシーが関わっていました。

ジェーンが内気すぎて、ビングリーは彼女が自分を好きなのかどうかわからず、悩んでいたのです。

そんな彼に、ダーシーがジェーンと付き合うのをやめたらどうかと勧めました。

ダーシーの「ジェーンは身分も下で、ベネット家の母と妹たちが無作法だから」との言葉で、ビングリーは、ジェーンとの付き合いをやめてしまったのです。

これを知ったエリザベスは、ビングリーが引っ越したのはベネット家を見下したダーシーのせいだと思い、彼とはもう会わないことを誓うのです。

美青年・ウィッカム現る

「このハンカチはあなたの物ですか?」

エリザベスは、駐留していたイギリス軍の中尉・ウィッカムに声をかけられます。

軍服を着た颯爽とした美青年・ウィッカムに、彼女は心をときめかせるのです。

そして、ウィッカムからダーシーについての悪い噂を聞きます。

ウィッカムの職をダーシーが取り上げたという話です。

それを聞いたエリザベスは、ますますダーシーが嫌いになります。

ダーシーは悪い男だった?
これじゃ、エリザベスはダーシーを嫌う一方ですよね…。

急転直下のプロポーズ

ある雨の日、エリザベスが雨宿りをしていると、突然ダーシーがやって来ました。

エリザベスと顔を合わせると、せきを切ったように話し出します。

「私はこれ以上の苦しみには耐えられません。どうか苦痛から解放してほしいのです」

エリザベスは何のことかわからず「?」です。

なんと、ダーシーはエリザベスにプロポーズしたのでした。

「一族の期待や身分の違いという障害はありますが、あなたを愛しています…」

プロポーズ作戦失敗!!

驚いたエリザベスは、「私には無理です」と答えた上で、ダーシーが「ビングリーにジェーンとの付き合いをやめるよう助言したこと」、また「ウィッカムの仕事を取り上げたこと」に言及します。

「あなたのような、おごり高ぶった方とは結婚できません」

気がつけば、二人の顔は息がかかるほどに近づいていました。観ているこちらがドキドキします。

ダーシーは切なさに顔を歪めました。

愛する人がこんなに近くにいるのに、その人に手ひどい拒絶をされたのです。

胸キュンの連続!!

ダーシーのプロポーズのシーンはもちろん、他にもキュンキュンするシーンがたくさんあります。

二人で思わせぶりな会話をしながらダンスをするシーンや、エリザベスが馬車に乗る時、ダーシーが手を差し伸べてエスコートするシーンなどです。

ダーシーを「嫌い」と言っていても、エリザベスはいつも彼のことが気になって仕方がないのでした。

心の奥底では、彼を信じたい気持ちがあったのではないでしょうか。

一方、ダーシーも「美人じゃない」とエリザベスのことを言っておきながら、切なく彼女を見つめる眼差しから、彼女に恋していることがバレバレです。

ツンデレの元祖ともいえるダーシーに、視聴者はドキドキしてしまうでしょう。

ウィッカムは悪者だった…

プロポーズを断られて打ちのされたダーシーは、翌日、手紙をエリザベスに渡します。

手紙には、ウィッカムの職をダーシーが取り上げた件について、ウィッカムがウソをついていると書かれていました。

ウィッカムは、実は金にだらしがなく女好きのとんでもない男だったのです。

エリザベスは、ダーシーを悪く思っていたのは偏見だったと気がつき、彼をどんどん好きになっていくのでした。

プロポーズを拒否したのに、ダーシーを好きになっていくエリザベス…。
二人の恋から目が離せません。

ダーシー、ベネット家の救世主となる

ダーシーはエリザベスに言われて、自分が身分の違いにこだわって、高慢だったと悟ります。

彼は、なんとか自分の誠実な心をエリザベスにわかってもらおうと、努力し始めるのです。

リディアの駆け落ち事件

映画の後半で、ベネット家の末娘・リディアが駆け落ち事件を起こします。

ベネット家は驚天動地、大騒ぎになりますが、なぜ大騒ぎになるのかわからなかった方もいるのではないでしょうか。

ここではその駆け落ち事件について解説します。

5人姉妹のうち、上の二人、ジェーンとエリザベスは、結婚相手は人柄の良さが一番だと思っていて、愛のある結婚を望んでいました。

しかし、末っ子のリディアは違いました。

ミーハーで軽くて、大勢の美男の士官たちに囲まれて品定めする享楽的な日々を送ります。

そんな隙だらけのリディアに、ウィッカムの魔の手が迫るのです。彼は、ある資産家女性との婚約が破談になると、リディアに近付き誘惑します。

リディアは、狡猾な美青年・ウィッカムに騙されて恋に落ち、二人で駆け落ちしてしまいました。

当時、結婚もせずに男女が出奔するなど大スキャンダルです。

そんなふしだらなことをした女性の家族は、社交界から締め出しをくらってしまいます。

ベネット家はこの先、村八分となって生きていかなければならなくなるのです。

だからベネット家の人々が大騒ぎとなったのでした。

ダーシーのスキャンダル封じ込め作戦

さて、このベネット家の不名誉な事件について、解決策を講じてくれたのがダーシーでした。

ダーシーは、借金まみれのウィッカムに莫大なお金を譲渡することを条件に、リディアとウィッカムを結婚させたのです。

正式に結婚した二人は、これで「駆け落ち」というスキャンダルを避けることができました。

ベネット家の面目が保たれたのです。

エリザベスは助けてくれたダーシーへ感謝の気持を抱くのでした。

ダーシーの後悔

エリザベスからジェーンがビングリーを愛していたことを聞いたダーシーは、ビングリーにジェーンとの付き合いをやめるようアドバイスしたことを後悔します。

映画のラスト近くで、ダーシーは、ビングリーを連れてベネット家を訪れるのです。

ビングリーは一生に一度のことで緊張していましたが、なんとかジェーンにプロポーズし、二人はめでたく婚約するのでした。

描かれる「身分の違い」

本作では、身分の違いが事細かに描かれています。

当時の身分制度は厳しくて、身分が下の者に容赦なく当たるのは普通でした。

例えば、ダーシーの叔母で伯爵の娘であるキャサリン夫人は、晩餐会の後にピアノを無理やり弾かせるなど、エリザベスをぞんざいに扱います。

身分の下の者は、甘んじて理不尽な仕打ちを受けなければなりません。

この物語の舞台となったのは18世紀末です。身分の違いがどんなふうに描かれているかみてみましょう。

ダーシーと婚約?

ビングリーとジェーンの婚約が整った日、キャサリン夫人は、夜更けに突然ベネット家を訪ねて来て、エリザベスに質問します。

「あなたは私の甥・ダーシーと婚約しましたか?」

キャサリン夫人は自分の娘とダーシーを結婚させたいと思っていたので、ダーシーとエリザベスの婚約の噂を聞いて、怒ってやってきたのです。

エリザベスが「婚約していない」ことを伝えると、「身分も下で、妹が駆け落ちして見せかけの結婚をするような、そんなふしだらな家の人間はダーシーとは結婚させません」とキャサリン夫人。

「これからもダーシーと婚約しないと約束しますか?」

夜遅くにいきなり訪ねて来て、こんな言い方をするのはいくらキャサリン夫人が貴族でも無礼千万です。

普通なら、キャサリン夫人のすごい剣幕に負けてしまうところですが、エリザベスは負けずに夫人をじっと見つめて言い返します。

「そんな約束は致しません。あなたは私をあらゆる意味で侮辱しました。今日はこれでお帰りください」

思わず、エリザベスに拍手したくなりました。

エリザベスは、世間の身分意識に縛られて発言する夫人に対して、プライドを懸けて反論したのです。

「いくらあなたが伯爵の娘でも、私を侮辱していいという法はありませんよ」と…。

翌日、ダーシーがエリザベスに二回目のプロポーズをして、二人が結婚するところで映画は終わりになります。

新しいヒロイン像

身分制度が厳しかった当時、エリザベスのような、物怖じせず自分の意思に正直に生きる女性は多くありませんでした。

彼女は、18世紀末の女性として描かれていますが、まるで現代女性のようです。

まあまあ美人で、明るく聡明で、身分の高い相手に対してもハッキリと発言する…。

18世紀末の当時にしてみれば、このエリザベスのヒロイン像が新しかったのです。

この新しいヒロイン像をキーラ・ナイトレイが生き生きと演じていて、アカデミー賞・主演女優賞にノミネートされています。

「プライドと偏見」の意味

タイトル「プライドと偏見」にはどんな意味があるのでしょうか。

このストーリーでは、様々な「プライド」と「偏見」が描かれます。

「プライド」は、「高慢」「尊大」「誇り」と、様々な言葉で言い換えられますね。

ダーシーは、ベネット家を身分が下とみなして友人ビングリーとジェーンの仲を引き裂きました。

キャサリン夫人は、身分制度にとらわれた物の考え方をしていて、身分が下のエリザベスをぞんざいに扱います。

エリザベスは、身分にとらわれず人間としての誇りを持って生きていました。

「偏見」は、「先入観」「非客観的」「偏愛」と言い換えられます。

エリザベスは、ダーシーに対して悪い評価をくだし、なかなかその考えを変えようとはしませんでした。

ダーシーを愛するビングリーの妹・キャロラインは、ヤキモチから、エリザベスを悪しざまに言います。

また、エリザベスの母は、5人の娘たちの中で特にリディアを溺愛するあまり、彼女の欠点に気づきません。

様々な登場人物の中で、エリザベスとダーシーの二人は、それぞれ欠点を克服して、どんどん自分を変えて成長していきました。

それよって二人は幸せになります。

タイトル「プライドと偏見」には、「高慢な心や偏見を持たずに、人はいかにフラットな地平から物事を判断できるようになるのか」という普遍的な問いかけが込められているのです。

恋愛ドラマのお手本

二人が認識を改め、自分を変えたおかげで、エリザベスとダーシーは結ばれます。

少女マンガやラブコメ・ドラマでも定番の、嫌い合っている二人の男女が次第に惹かれ合い、紆余曲折を経てハッピーエンドになる、というお決まりのパターンですね。

既に1813年、原作を執筆したオースティンがそのパターンの基を確立していたのでした。

つまり、このストーリーは、恋愛ドラマの典型なのです。

二百年以上も愛され続けてきた理由がわかりますね。

オースティンは、イギリスでは「国民的作家」といわれていて、10ポンド札にオースティンの顔が印刷されています。

映像化作品

原作は、何度も映像化されています。

名優ローレンス・オリヴィエ主演の映画「高慢と偏見」(1940年)、イギリスBBC制作のテレビドラマ「高慢と偏見」(1995年)などです。

1995年制作のドラマでは、コリン・ファースがダーシーを演じたことでも話題になりました。

本作ではダーシーの人見知りの性格が強調されていましたが、ドラマ版では、ダーシーの性格がより気難しく頑固という描写になっていて、こちらも楽しめるでしょう。

また、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001年)は、小説「高慢と偏見」を現代に置き換えて制作された映画といわれています。

こちらにもドラマ版と同様にコリン・ファースが出演していました。

また、パロディ作品として、小説「高慢と偏見と殺人」(2013年)、映画「高慢と偏見とゾンビ」(2016年)も制作されました。

これらの映像化作品は、U-NEXTで観ることができます。

これだけ派生作品が作られるのは、やはり原作が素晴らしく、多くの人に親しまれているからでしょう。

映画「高慢と偏見とゾンビ」なんて、シュールなタイトルですね!!
ベネット家の姉妹たちが映画「バイオハザード」シリーズのようにゾンビと戦うシーンが見どころです。ぶっ飛んでいますね…。

映像の美しさが堪能できる

本作では、美しいイギリスの風景が楽しめます。

冒頭やラストシーンの夜明けのシーン、ベネット家の近くの池や、ダーシー家の領地など、エリザベスが行く先々で風光明媚な景色が見られます。

また、ジョー・ライト監督は、長回しの撮影で有名です。

冒頭では、エリザベスの姿をカメラで追いながら、ベネット家の屋敷内を次々と映して家族の紹介をしていくのです。

そして、舞踏会のシーンでは、登場人物の様々な思惑が交錯する様子を、カメラを移動させながら追っていき、ワンカットで撮影しているので臨場感がありました。

また、本作はミュージカルではないですが、ダンス・シーンや登場人物がピアノを演奏するシーンが出てきます。

ヘンリー・パーセルの「アブデラザール組曲・ロンド」など、使われている音楽がどれも上品で、優雅な気分に浸れるでしょう。

音楽を担当したのは、繊細な映画音楽で有名なダリオ・マリアネッリ。

本作でアカデミー賞の作曲賞にノミネートされました。

由緒あるロケ地

ダーシー邸のシーンは、イギリスの中部ダービーシャーにある「チャッツワース・ハウス」で撮影されました。

ここは、かつてデヴォンシャー公爵家が所有していて、1872年、日本の岩倉使節団も訪問した歴史ある館です。

現在は「チャッツワース・トラスト」にて管理されているので、一般観光客も「チャッツワース・ハウス」を見学することができます。

また、イギリス南西部ウィルトシャーの貴族の館、「ウィルトン・ハウス」でも撮影されました。

劇中では豪華な館の様子が楽しめます。

トリビアの数々

ここでは、「プライドと偏見」がより楽しめる小話をご紹介しましょう。

マシューは歩く方向がわからなかった

ダーシーを演じたマシュー・マクファディンは、強度の近視でした。

映画のラストシーンで、霧がかかった早朝に、ダーシーがエリザベスのもとに二回目のプロポーズのために歩いて来るシーンがあります。

当初、向かうべき撮影用カメラとエリザベスの姿がマシューにはぼやけて見えず、どこに向かって歩いていいかわからなかったそうです。

ジョー・ライト監督がカメラの後ろで目標となる赤い旗を掲げたので、マシューはなんとか向かうべき方向に歩くことができました。

ロマンチックなシーンなのに、実は「愛する人」が見えていなかったのですね。

ガチョウの群れが…

キーラ・ナイトレイ演じるエリザベスが、従兄弟のコリンズのプロポーズを拒否した後、池のほとりに立っていると、父母がやって来ます。

このシーンの撮影開始時に、ジョー・ライト監督が「アクション!」と叫んだら、びっくりしたガチョウの群れが池から一斉に飛び立ちました。

これは想定外でしたが、その映像が本編に採用されたのでした。

ぜひ映画を観て、池にたたずんでいたガチョウの群れが飛び立つ様子をご確認ください。

エンパイア・スタイル

登場する女性たちが、胸のすぐ下からスカートが広がるドレスを着ていることにお気づきでしょうか。

これは、「エンパイア・スタイル」と呼ばれるタイプのドレスです。

それまでの時代の貴族の女性たちは、マリー・アントワネットのドレスでもわかるように、ウェストからスカートが大きく広がったスタイルでした。

しかし、皇帝ナポレオンは、新しい時代になったと人々に印象付けるため、妃のドレスのスタイルを変え、それがイギリスでも流行したのです。

劇中、ビングリー家の舞踏会では、参加する女性たちが全員、白を貴重としたエンパイア・スタイルのドレスを着ていて、爽やかさが際立っていましたね。

様々なデザインのエンパイア・スタイルのドレスが素敵でした!!
本作はアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされましたね。

まとめ

たとえ身分が上の人にでも、物怖じしないで発言するヒロインの自由闊達な生き方が快い作品「プライドと偏見」。

視聴者は、短所を克服して成長するエリザベスとダーシーに魅せられることでしょう。

また、美しい映像や音楽で、心が癒やされるに違いありません。

ぜひご覧になってください!!

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リトル・ダンサー(ネタバレ・考察)時代背景を解説。「白鳥の湖」の意味とは? https://cinemaxina.com/billy-elliot/ https://cinemaxina.com/billy-elliot/#respond Fri, 02 Sep 2022 23:00:24 +0000 https://cinemaxina.com/?p=28366 出典 : amazon.co.jp 映画「リトル・ダンサー」は、1984年のイギリス北東部の炭鉱町ダラムを舞台に、一人の少年が、当時女性がするものというイメージがあったバレエに夢中になる作品です。 約2,000人参加のオーディションで選ばれたジェイミー・ベルがバレエ・ダンサーを目指すビリー・エリオット少年を演じ、絶賛さ

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映画「リトル・ダンサー」は、1984年のイギリス北東部の炭鉱町ダラムを舞台に、一人の少年が、当時女性がするものというイメージがあったバレエに夢中になる作品です。

約2,000人参加のオーディションで選ばれたジェイミー・ベルがバレエ・ダンサーを目指すビリー・エリオット少年を演じ、絶賛されました。

本作はブロードウェイ・ミュージカル演出で活躍していたスティーブン・ダルドリーの初めての長編映画でした。

バレエ映画というと、格式張った作品を想像するかもしれませんが、この作品は名もなき田舎の少年と家族のストーリーになっています。バレエを知らない人も楽しめるでしょう。

ビリーがバレエ好きな理由や時代背景など、ネタバレ・考察・小話をご紹介していきましょう。

リトル・ダンサー(2000年)

見どころ
「男がバレエなんて」という気風のなかでも、夢を諦めない少年の一途さと明るさに胸を打たれる。彼の頑張りによって、周囲の大人たちが変わっていく展開も感動的。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
イギリスの炭坑町で暮らす11歳のビリー。ボクシングを習っていた彼は、偶然見かけたクラシックバレエに魅了される。父親の大反対を受けるも、ビリーは女子に混じって練習に没頭。その上達ぶりを見て、バレエ教室の先生はオーディションを受けさせようとする。
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リトル・ダンサー(ネタバレ・考察)

本作のキャッチコピーは、「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」です。

この映画は一人の少年が「女性がなる職業」というイメージがあったバレエダンサーを、父や兄の反対を乗り越えて目指す物語です。

制作費500万ドル(5億4千万円)の低予算の作品ながら、世界興行収入が1億900万ドル(119億円)を記録しました。

この映画の成功で、後に舞台版(ミュージカル)も制作され、ロンドンのウエスト・エンドや東京でも上演されました。

ここでは、ビリー少年がバレエに魅入られた背景についてご紹介しましょう。

ビリー、バレエに惹かれる

ある日、ビリーがボクシング教室で練習試合をしていると、「いつもの場所が使用できないので」と、部屋に女の子たちとバレエ教師が入ってきて、バレエのレッスンが始まりました。

その時、ビリーの中で何かが起こりました。聴こえてくるバレエの音楽に気を取られ、相手にパンチを食らってノックダウンされてしまうのです。

ボクシングのコーチに一人居残りで練習するよう命じられると、ビリーはしばらくサンドバッグを叩いていましたが、ついフラフラと隣のバレエ教室に近付きます。

しばらく女の子たちのバレエを見ていたビリーでしたが、突然彼女たちの列に加わり、見よう見まねで踊り出すのです。

ビリーは、踊っていて次第に心が開放感に満たされるのが分かったのでしょう。これまでにない感覚だったと思われます。

彼は生まれて初めて、自分が本当にやりたいことを見つけたのでした。

レッスンが終わる頃には、彼はバレエにすっかり夢中になっていたのです。

次の日から、ビリーはボクシング教室に行くふりをして、家族に内緒でバレエのレッスンを受けるようになります。

ビリーはなぜバレエを好きになったのか?

11歳のビリーは、なぜバレエを好きになったのでしょうか?

ビリーは、兄のトニー、父、軽い認知症を患っている祖母の4人暮らしです。

母親はビリーが10歳の時に他界していました。

父は炭坑で働き、質実剛健を旨としています。

父は、いつも「強い男になれ」とビリーに言い聞かせ、放課後にボクシング教室を受講させていました。

しかし、ビリーはボクシングよりも、母の形見のピアノを弾いたり、音楽を聞きながら踊るのが好きな少年だったのです。

祖母は、自分の娘、つまり亡きビリーの母親が音楽とバレエに関心を抱いていたことを話します。

祖母自身もバレエをやっていたと語っていました。

ビリーのバレエ好きは、芸術が好きな祖母・母の性質を受け継いだのです。

イギリスバレエ「黄金時代」

年が離れた兄は、父と一緒に炭鉱に勤務していたため、父に似た硬派な男に育ちました。

しかしまだ幼いビリーは母や祖母と過ごす時間が長かったため、バレエの話をよく聞いていたのでしょう。

また、当時、イギリスでは、大人の娯楽といえばサッカー観戦か、音楽かバレエでした。

老いも若きも人々は気軽に劇場に足を運びました。劇場が近くにない地域の人たちも、テレビのバレエ放送を楽しみました。

当時、天才バレリーナのシルヴィ・ギエムが、男性ダンサーではウェイン・イーグリング、ジョナサン・コープが脚光を浴び、イギリスバレエ界は「黄金時代」と呼ぶべき活況を呈していました。

ビリーも、テレビを観てバレエに興味を持っていたのではないでしょうか。

なぜ、男はバレエをやってはいけないの?

あるとき、ボクシング教室のコーチがビリーの父に「ここしばらくビリーが来ない」と話します。

おかしいと思った父がボクシング・ルームに訪れると、奥の部屋で女の子たちと踊るビリーがいました。

父の大反対

父は驚いてビリーを自宅に連れていき、「男なのにバレエなんて!」と叱りつけます。

ビリーは父に怯えながらも「なぜ男はバレエをやってはいけないの?なぜ!?」とたたみ掛けるのです。

「なぜって、男ならサッカーとか、ボクシングとか、レスリングとか…」

しまいには、父はビリーを壁に押し付けて力ずくでバレエを諦めさせようとしますが、どうしても息子に、なぜ男がバレエをやってはいけないかを具体的に示すことができないのでした。

こんなことでは将来、ビリーは男としてうまくやっていけないと親として心配だったのでしょうか。

ビリー、特別レッスンを受ける

しかしビリーは父に抵抗してバレエのレッスンを受け続けます。彼はどんどん上達していくのです。

ビリーは、他のことをすべて忘れて、踊りに没頭できるのでした。

やがて、ビリーの才能を見抜いたウィルキンソン先生は、毎日マンツーマンで特別レッスンを課すようになります。

ビリーも必死に先生についていきました。

先生とビリーの一生懸命な様子に、二人を応援したくなってきますね。

ビリー「白鳥の湖」を知る

ウィルキンソン先生は、ビリーの自宅を訪れ、彼が才能のあるダンサーなので、ロンドンにある名門バレエ学校、ロイヤル・バレエ・スクールを受験させてはどうかとビリーの父に尋ねます。

父は、男がバレエなど絶対に許さんとの一点張りで、兄も先生を怒鳴りつけるのです。「弟はまだ11歳の子どもなんだ!あんたのお遊びの道具にしないでくれ!!」

ある日レッスンの帰りに、ビリーが車でウィルキンソン先生に送ってもらう時、先生がカーステレオでチャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の曲をかけてくれました。

「白鳥の湖」は、有名なクラシックバレエの作品です。

ビリーがその美しい曲に感動していると、先生は「悪魔によって白鳥に変えられたオデット姫に王子が恋に落ちて死ぬ物語なの」と教えてくれました。

優雅な「白鳥の湖」の音楽は、ビリーの心に強い印象を残したのでした。

このシーンは、川に架かる移動式の橋の映像と「白鳥の湖」の音楽がリンクして美しかったですね。
あの橋は「トランスポーター・ブリッジ」といって、イギリス・ミドルスバラにあるんですよ。

あふれる情熱

あるクリスマスの夜、ボクシング・ルームで、ビリーが踊っているところを父に見られてしまいます。

ビリーは父を恐れていったん踊りをやめますが、意を決して父の前で再び踊り始めるのです。

その時のビリーが踊りが凄い迫力でした。

ほとばしる情熱のままに全身を使って、自分がどんなにダンスが好きかを父に訴えるように踊るのです。

父の前でバレエを踊り自分を表現したのは、自分は間違っていないという主張だっだのでしょう。

それは父にとって、今まで見たことがない息子の姿でした。父はその姿にビリーの成長を感じたのではないでしょうか。

このシーンのビリーの踊りに、視聴者は引き込まれ釘付けとなるでしょう。

マイケルの存在

ビリーの親友・マイケルは、女装趣味のある同性愛者の少年です。

ビリーは、そんなマイケルを気色悪いなどと言わず、彼に女の子のバレエ衣装(チュチュ)を着せてあげます。

マイケルもバレエを踊るビリーに、拍手して応援してあげるのです。

マイケルはビリーに「告白」し、ビリーは「自分はゲイじゃないよ」とマイケルに言いますが、二人の友情は大人になっても変わることなく続きます。

スティーブン・ダルドリー監督は、自分が同性愛者だと公表しています。マイケルは監督の分身として描かれているのです。

監督は、マイケルを描くことで、「好きなことは我慢しなくていい」「夢を追うことを諦めないで」と伝えています。

炭鉱労働者たちのストライキ

映画「リトル・ダンサー」では、炭鉱の労働組合事情が大きなカギとなっています。

ここで労働組合のストライキについて解説しましょう。

筋金入りの組合員

1980年代、労働組合の組合員たちがストライキを起こすことが日常茶飯事でした。

彼らは、経営者側に給料アップや労働条件の改善などを要求し、仕事を放棄してストライキをするのです。

ビリーの兄は、ダラムの炭鉱ストライキのリーダーであり、ビリーの父や仲間たちと一緒にストを行ない、警官隊との衝突を繰り返していました。

時々「スト破り」と言って、ストライキをしている人たちの中からストをやめる人が現れます。現在の労働条件に従うことを表明した人々です。

ビリーの兄や父たちは、そういった「裏切り者のスト破り」たちを非難し、ゴミや卵を投げつける筋金入りの組合員でした。

イギリス・労働組合によるスト事情

イギリスでは、1928年の世界恐慌の教訓から、福祉的な政策が行なわれていました。

医療保険・社会福祉サービス・貧困層への補助など、社会保障制度を充実させていたのです。

そして、水道や電気、鉄道、航空といった事業は国営でした。

しかし、景気が悪い時期は有効だった福祉的な政策ですが、1980年代、景気が上向いてくると、都合の悪いことが多くなります。

福祉的な政策が、国の財政を圧迫したのです。

また、会社間の競争がないので、努力しなくても税金の助けがあるのをいいことに、労働者の仕事は「なあなあ」になり、公共サービスの低下を招きます。

手厚い政策に慣れた労働者たちは、労働組合を組織して、ストライキを度々行ないました。

その結果、ごみ収集や病院、学校といった公共サービスが停止し、国民は大きな不満を抱えます。

当時、この閉塞状態は、他の国々から「英国病」と揶揄されました。

サッチャー首相の登場

不満が爆発したイギリスでは、首相選挙でマーガレット・サッチャーに票が集まります。

サッチャーは首相になると、国営企業を民営化し、政府による非効率的な運営をやめさせ、企業間の競争を促進しました。

また、福祉的な政策をやめ、国の支出を減らしました。

当時、特に勢力が強かった各地の炭鉱労働組合に対して、サッチャーはその主張を退けます。

炭鉱は大赤字だったからです。炭鉱夫たちの要求により給料が利益を下回っていました。

ビリー一家もそういった炭鉱労働者の家庭でした。

炭鉱労働者たちはさらなるストライキで対抗しましたが、警察による弾圧で敗北したのです。

1980年以降、イギリス各地の炭鉱は次々と閉鎖され、失業者は300万人以上に及びました。

当時イギリスは大変な時代だったのですね。
「リトル・ダンサー」は、そんなストライキ全盛時代の炭鉱町の一つ・ダラムを描いた映画なのです。

父の決心

ビリーのダンスを見た父は、ウィルキンソン先生に質問します。

「いくら掛かるんだ」

父はバレエ学校の授業料を心配したのでした。

ビリーのバレエへの熱い思いが、父に届いたのです。

先生は、授業料は奨学金でまかなうことができると言い、オーディション受験料は推薦した手前、自分が出すと言います。別途ロンドンまでの交通費が掛かると言いました。

実は、ビリーの家はストライキを続けているので、給料が入らなかったのです。ロンドンに行く交通費さえもありません。

クリスマスなのに暖房のための薪を買うお金もなく、亡き母親が愛したピアノを壊して火にくべるほど貧しかったのでした。

この時、なんと父が一大決心をします。「スト破り」をするのです。

熱心な労働組合員でストライキ強行派である父が、仲間を裏切ってストライキを中断し、経営者側に投降するのでした。

父は、ロンドン行きの交通費を捻出するためにストをやめ給料を得ようとしたのです。

経営者側が用意した車に乗る父に、兄のトニーが驚いて駆け寄ります。「どうしたんだよ!スト破りなんかして!」

普段口数も少なく、感情を表に出すこともない父が泣き崩れるのです。

「許してくれトニー、ビリーの夢を叶えてやりたいんだ。俺たちに未来があるか?炭鉱はもうおしまいだ。でもビリーには未来があるんだ…」

ビリーへの深い愛が感じられるこの父の言葉は、涙なしには聞くことができません。

不器用ながらも息子のことを思う頑固親父の愛情に、視聴者は心打たれるでしょう。

炭鉱には未来がないという事実を受け入れながらも、ビリーを後押ししようとする父の姿には、この時代を生きてきた炭鉱夫の悲しみが感じられます。

ビリーには違う世界を見せてやりたいと決意した父。

その父の並々ならぬ決意を知って、兄も号泣するのでした。

階級の差を飛び越え、ビリーは羽ばたく

ロンドン行きの交通費には、スト仲間たちがカンパしてくれたお金と、父が亡き妻のアクセサリーを質に入れて手に入れたお金を充てることができました。

世界最高レベルのバレエ学校であるロイヤル・バレエ・スクールは、11歳~16歳のクラスで、寮費を含めた年間の授業料が3万5千ポンド(520万円・2020年時点)です。

ここに入学できるのは、高い授業料を払える「上流・中流階級」の人たちでした。ビリー一家のような炭鉱労働者とは違います。

映画では、バレエ・スクールでのオーディションのシーンは明るい光と共に描写し、ビリーたちが住むダラムの町は暗く曇りがちの空と共に描いて、その違いを表しているのです。

ビリーは、受験のためロンドンへ行くバスの中で、父に聞いてみました。「ロンドンってどんな所?」

父は「ダラムしか知らん。ロンドンには炭鉱がないじゃないか」と言います。

ビリーは父に問うのです。「父さんは炭鉱のことしか考えないの?」

そう、父はダラムで生まれ、ダラムの炭鉱で働き、ダラムで死ぬのでしょう。しかし、ビリーは違いました。

彼は、階級の差を飛び越えて、まさに白鳥のように羽ばたくのです。

それは、ビリーの情熱と、彼の才能を見出したウィルキンソン先生、父の深い愛によって実現したのでした。

ビリーはバレエ学校のオーディションに合格します。

ビリーが合格したことを、カンパしてくれたスト仲間たちに報告するために、父が嬉しそうに走っていくところは心温まるシーンです。

一方、ダラム炭鉱のストライキは組合員たちの敗北で決着しました。

炭鉱夫たちは、暗く狭い坑道で石炭を掘り出す仕事に戻っていくのです。

映画では描かれていませんが、やがてダラムの炭鉱も閉鎖され、父と兄たちは失業することになるでしょう。

ビリーを炭鉱夫とは違う道に進ませた父の決断は正しかったのです。

1998年の冬

14年の歳月が流れました。

25歳になったビリーは、ロイヤル・バレエ団のトップ・ダンサーになっていて、今日も王立劇場で、主役を踊るのです。

劇場の客席にいたのは、父と兄、親友のマイケルでした。

幕が開き、バレエが始まります。

音楽はかつてウィルキンソン先生が教えてくれた「白鳥の湖」です。

音楽が盛り上がったところで、白鳥の衣装を着たビリーが舞台に現れ、高く美しいジャンプを見せるところで映画は終わりになります。

それは階級の壁、家族の反対を見事に乗り越えたビリーの飛翔そのものでした。

映画の終わり方が絶妙でしたね。
多くを語らず、余韻を残すラストシーンです。

ビリーが踊った「白鳥の湖」とは?

最後のシーンで25歳のビリーが踊ったバレエの演目は、「白鳥の湖」でした。

しかし、その「白鳥の湖」は、一般に広く知られている古典バレエの「白鳥の湖」ではなく、コンテンポラリー(現代)バレエ作品の「白鳥の湖」です。

1995年初演のマシュー・ボーン振付のバージョンになります。

このバージョンは、すべての白鳥たちを男性ダンサーが踊る革新的なバレエでした。

古典バレエの「白鳥の湖」では、白鳥に変えられたオデット姫と王子が出逢い恋に落ちるのですが、コンテンポラリー版では、王子は「ザ・スワン」というオスの白鳥と出逢うのです。

コンテンポラリー版は同性愛がテーマの作品になっています。

では、なぜビリーが踊るのがコンテンポラリー版だったのでしょうか。

監督が同性愛者だからという理由もあります。

また、古典バレエの「白鳥の湖」は、あくまでも女性(オデット姫)が主役です。男性ダンサーはどうしても脇役の感をまぬがれません。

トップ・ダンサーに上り詰めたビリーは、設定上「主役」を演じる必要がありました。

だからこそビリーが踊ったのは、男性が主役であるコンテンポラリー版の「白鳥の湖」だったのです。

トリビアの数々

ここでは、「リトル・ダンサー」をより楽しむことができる小話についてご紹介しましょう。

フレッド・アステアとは

劇中、ビリーの祖母がフレッド・アステアについて言及するシーンがあります。

フレッド・アステアは、1930年代から1950年代にかけてブロードウェイやハリウッドのミュージカル全盛期に活躍した伝説のダンサーです。

映画「バンド・ワゴン」(1953年)「パリの恋人」(1957年)が代表作で、男性ダンサーの代名詞になっています。

「ロジャース」の名前も出てきますが、ロジャースはフレッド・アステアのダンスのパートナーだった女性ダンサー、ジンジャー・ロジャースのことです。

ウェイン・スリープとは

ビリーが父に「男性のバレエダンサーも存在する」と、ウェイン・スリープの名前を出すシーンがあります。

ウェイン・スリープは、1966年頃から活躍しているイギリスが誇る天才・男性バレエダンサーです。

ロイヤル・バレエ団に所属し、バレエ、タップ、ジャズダンスを踊り、ステージやテレビ、映画で活躍しています。

スケジュールの都合で…

ウィルキンソン先生を演じたジュリー・ウォルターズは、イギリスでは名優として知られていて、大英帝国勲章を王室から授与されています。

実は、ラストシーンで25歳になったビリーが白鳥の湖を踊る時に、ビリーのバレエの才能を見出したウィルキンソン先生が登場しないのはおかしいという声があります。

ジュリー・ウォルターズはスケジュールの都合でラストシーンの撮影に参加できなかったそうです。

タイトル

この映画の原題は、「ビリー・エリオット(Billy Elliot)」です。

当初、タイトルは「ダンサー(Dancer)」でした。

しかし、配給元のユニバーサル・ピクチャーズは、そのタイトルを変えなければならないことに気づきます。

カンヌ映画祭に「リトル・ダンサー」を出品した時、パルムドール賞を受賞した映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク(Dancer in the Dark)」(2000年)と混同されてしまったのです。

結局本作のタイトルは、「ビリー・エリオット」に落ち着きました。

25歳のビリー役ダンサーは熊川哲也の友人

成長したビリーを演じたのは、世界で活躍しているダンサー、アダム・クーパーです。

彼はロイヤル・バレエ・スクール在学中、日本人ダンサー・熊川哲也と同期で、二人は親友でした。

アダム・クーパーは熊川哲也が主宰しているバレエ団「Kバレエカンパニー」の公演にゲスト出演もしています。

クラシックバレエにとらわれず様々なダンス公演で活躍していて、ミュージカル「雨に唄えば」が有名です。

まとめ

白鳥のように高く飛翔したビリー。

本作は「夢を追うことを諦めないで!!」というメッセージを発信しています。

ちょっと落ち込んでいる時、この「リトル・ダンサー」を観てみてください。

きっと元気が出て、明日に向かって勇気が湧いてくるでしょう。

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ラ・ラ・ランド(ネタバレ・考察)ラストシーンの意味を解説。ミュージカル好きなチャゼル監督のこだわりとは? https://cinemaxina.com/la-la-land/ https://cinemaxina.com/la-la-land/#respond Fri, 02 Sep 2022 00:45:43 +0000 https://cinemaxina.com/?p=27725 出典 : (C) 2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND.Photo courtesy o

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「ラ・ラ・ランド」は、2016年に公開されたアメリカのミュージカル映画です。

脚本・監督はデイミアン・チャゼル、主演はエマ・ストーンとライアン・ゴズリングが務めました。

俳優を夢見る女性とジャズ・ピアニストになりたい男性の恋を描いた作品で、二人の幸福感や切ない気持ちが観ている人の心を打ちます。

特に、うまくいかなかった恋の一つや二つを経験した大人のあなたにおすすめしたい作品です。

ミュージカルで数々の賞を獲得しているベンジ・パセックとジャスティン・ポールのコンビが作詞をしたことでも話題になりました。

この映画のラストシーンの意味やオマージュを捧げた映画など、小話・ネタバレ・考察をご紹介していきましょう。

ラ・ラ・ランド(2016年)

見どころ
高速道路で人々が一斉に踊り出す冒頭シーンは圧巻。R・ゴズリングが代役なしでピアノ演奏に挑み、エマ・ストーンがブロードウェイ経験を生かした歌やダンスで魅せる。
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あらすじ
夢追い人が集まる街・ロサンゼルス。女優志望のミアはオーディションに落ちてばかり。ある日彼女は、場末の店でセブというピアニストに出会う。彼にもまた、いつか自分の店を持つという夢があった。やがて2人は恋に落ち、互いの夢を応援しあうが…。
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ラ・ラ・ランド(ネタバレ・考察)

チャゼル監督は、2010年に「ラ・ラ・ランド」の脚本を執筆しました。

しかし、ミュージカル全盛期の1940年~1950年代とは違って収益が上がらないという理由で、なかなか制作が実現しませんでした。

チャゼル監督がリリースした2014年の映画「セッション」が高い評価を受け、ヒットを飛ばしたことが認められ、本作の映画化が実現可能になったのです。

「ラ・ラ・ランド」が公開されると大方の予想を裏切ってブームとなり、ミュージカルが嫌いな人々の間でも評判になって世界で4億4,600万ドル(491億3,000万円)の興行収入を記録しました。

そんな本作の背景についてご紹介しましょう。

「ラ・ラ・ランド」とは

タイトルの「ラ・ラ・ランド」とは、ロサンゼルス市(LA)のニックネームなのですが、実はもう一つ意味があります。

「夢に浮かされて現実離れしている心の状態」という意味です。

ロサンゼルスには映画の都・ハリウッドがあります。

ここには、世界各地からハリウッドで俳優になりたいという人々がやって来るのをご存知でしょう。

ロサンゼルスは、「夢が存在する場所」の象徴なのです。

オープニングの高速道路の大渋滞シーン

冒頭の高速道路での大渋滞シーンでは、100人を超えるダンサーたちの爽やかな歌と踊りが印象的でした。

彼らは、ロサンゼルスの映画界で俳優になる夢に向かって努力している人々です。

本作のヒロイン・ミア(エマ・ストーン)もその中にいました。

歌は「アナザー・デイ・オブ・サン(Another Day of Sun)」で、歌の主人公が「自分の彼氏と別れてロサンゼルスに出てきた」といった歌詞になっています。

まさにミアが、恋人と別れて女優になったという、この映画の内容を表しているのです。

このシーンは実際にロサンゼルスの高速道路をニ日間封鎖して、気温43度の過酷な状況で撮影されました。

冒頭の大渋滞のシーンでは、見晴らしの良い高速道路の風景とダンスが素敵でした。
視聴者をミュージカルに導入するきっかけとなりましたね。

二人の夢とは?

二人の男女の恋と夢を描いた「ラ・ラ・ランド」。

彼らが抱く夢とは、どんなものだったのでしょうか。

ここでは、二人の夢について迫ってみましょう。

お互いの夢

映画スタジオが集まるハリウッドのカフェでバイトするミアは女優志望で、彼女は次々とオーディションに応募しますが、選考に落ちてばかりいます。

クリスマスの日、ミアは、偶然通り過ぎたレストランから流れるジャズの音色に惹きつけられ、そのレストランに入っていくのです。

レストランのピアノでジャズを演奏していたのがセブ(ライアン・ゴズリング)でした。

ミアはそれが、高速道路での大渋滞のとき、クラクションを鳴らして早く車を出すようミアをせっついた男だと気が付きます。

思いもよらぬ再会でした。

ミアはセブに話しかけますが、セブは、クリスマス・ソングを弾くよう命令した店のオーナーの言うことを聞かずにジャズを弾いたため、その場でピアニストの仕事をクビになってしまいます。

打ちひしがれたセブは、ミアの言葉を無視して店から出ていくのです。

しかしミアはセブの弾くジャズの音色が忘れられなくなりました。

程なくして、ミアはあるパーティーでセブとまた出逢います。

三回目の出会いで、ようやく二人は会話を始めるのです。

セブはジャズを愛していて、いつか自分のジャズバーを開店して、その店で思うままにジャズを演奏する日を夢見ているとミアに言います。

ミアは女優に、セブはジャズバーのオーナーになりたい…。

それぞれの夢を持って出逢った二人は意気投合し、互いを応援し合えるいい関係になっていきます。

ロサンゼルスの夕景をバックにお互いの心が触れ合う

この映画の一番の名シーンをご紹介しましょう。

ミアとセブが夕暮れの中、公園のベンチの前でタップダンスを踊るシーンです。

ミアが黄色いドレスを着てセブと踊る姿が可愛らしく、二人が恋に落ちていくのがよくわかるロマンチックなシーンになっています。

名シーンにふさわしい歌詞

この場面は、CGではなく、実際の夕暮れの中でロケをしたいと監督がこだわっています。

そのため、撮影するチャンスは、2日間で30分間しかありませんでした。

この時の音楽「ラブリーナイト(A Lovely Night)」は、実は歌詞が男女の恋の駆け引きになっています。

「そもそも君は僕のタイプじゃないし、恋に落ちるなど絶対あり得ない!」

「私には何も感じないって言った?私たちに何かあるとしたら、私が決めるから!」

作詞を担当した名コンビ、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールは、「恋の始まりでの微妙な心の動きを表現するため、わざと浮わついた、自惚れた歌詞にした」と語っています。

このコンビらしいオシャレな歌詞で、私たちを楽しませてくれます。

ダンスシーンのお茶目な設定

ところで、このシーンでエマとゴズリングが踊るダンスがあまり上手ではないという声もあるようです。

しかしミアとセブの素人っぽい踊りが、夢を持つ普通の人々の人生を描写している様子がうかがえ、かえってリアリティーがあるのではないでしょうか。

また、ミアが踊りだす前に、ヒールのある靴からタップ・シューズに履き替えるところがご愛嬌です。

実際、リハーサル中ミアを演じたエマ・ストーンはそれまで履いていたハイヒールではダンスが踊れませんでした。

そのため振付師が「それなら、靴を履き替えたらどうか?」と提案し採用されたもので、チャゼル監督らしいお茶目でこだわりのあるシーンになりました。

この夕景のタップダンスのシーンは本当に美しかったですね。
お互いが惹かれ合う過程が丁寧に描かれていますね。

夢があるからこその仲違い

二人の恋は順調でしたが、セブが生活資金を稼ぐために、知り合いの誘いでジャズのバンドではなくR&Bバンドに加入したことで二人の関係が変わってきてしまいます。

バンドの音楽は本当にやりたい音楽なのか、自分の店を開くという夢はどうなったのか…。ミアはセブを問い詰めてしまうのです。

また、バンドは大成功し、セブはツアーで旅に出る機会が多くなり、二人はすれ違うようになります。

ミアと共に過ごしたいセブは、バンドのツアーに同行してほしいと彼女を誘いますが、一人芝居の自主公演が目前に迫っているミアはこれを断りました。

二人は口論になり、ミアは二人で住んでいたアパートを出ていきます。

恋する二人が、それぞれ夢を目指すことの難しさが表れていました。

5年後の冬・ラストシーンの意味

二人が別れてから5年が経ちました。

ミアはハリウッド女優として成功しています。別の男性と結婚し、子どもも生まれていました。

今や彼女は、かつてバイトしていたカフェで、従業員たちから憧れられる存在になったのです。

セブの店

ある日、ミアは夫とハリウッドのイベントに出かけ、その帰り道渋滞に巻き込まれますが、すぐに高速道路を降ります。

映画の冒頭では、ミアは渋滞にはまり長時間動けなかったのですが、今回はすんなりとインターチェンジを下りて渋滞を抜け出すことができました。

これは、女優として成功したミアは、「夢の象徴である高速道路」にはもはや用が無いことを意味しています。

ミアと夫が街で夕食をとって帰宅するために車に乗り込もうとした矢先、ジャズの曲がミアの耳に入ってきました。

ジャズが聴こえてくる店には、「セブズ(SEB’S)」という看板が掛かっています。

「セブズ」は、以前ミアが、将来のオーナーになる店の名前としてセブに提案したものです。

ミアと夫が「セブズ」に入って席に着くと、ステージ上でピアノを弾くセブの姿がありました。

夢を叶えたのはミアだけでなく、セブも夢を叶えてジャズバーを経営していたのです。

予期せぬ再会に驚く二人でした。ミアは夫と肩を並べてセブの演奏を聴きます。

それはミアとセブが出逢った時に弾いていた思い出の曲、「ミアとセブのテーマ(Mia & Sebastian’s Theme)」でした。

懐かしい曲が流れる中、ミアとセブはそれぞれ空想に入っていきます。

それは、お互い結婚していたらどうなっていたか、という空想でした。

出逢った時にミアとセブが結ばれ、ミアはオーディションに合格し、二人は撮影があるパリへ行きます。そして結婚して娘が生まれるというストーリーです。

「こういう道もあったかもしれない」という二人の想いが描かれます。

曲が終わると、二人の空想は終わり、彼らは現実に戻りました。

ミアは「もっと聴くかい?」と尋ねる夫と静かに席を立ち、ジャズバーを後にします。

店の出口でミアが振り返るとセブと目が合うのです。彼は微笑み、ミアも微笑み返して映画は終わりとなります。

後悔と古き良き思い出

このラストシーンは何を意味しているのでしょう?

単に恋が成就しなかったバッドエンドなのでしょうか?

チャゼル監督はこう語っています。

「一緒にいることがすなわち愛というわけじゃない。実際に関係自体に終止符を打ったとしても、お互いを思い合う気持ちがあるなら、それは愛なんだ」

映画の空想シーンで描かれたのは、「もし彼が私と一緒にパリに来てくれていたら」「もし僕が彼女と一緒にパリに行っていたら」というシーン。

「こういう道もあったかもしれない」という二人の想い、それはまさに「ラ・ラ・ランド(現実離れした心の状態)」でした。

誰にだって、過去に辛い失恋の経験があります。後悔することもあるでしょう。

失恋を経験したことがある人が抱く後悔を、洗練されたシチュエーションで表現したのがこのラストシーンであり、これに私たち視聴者は共感し涙するのです。

この映画は、たとえ恋人と別れても、お互いの心の奥深くには生き続けてゆく愛があるのだ、それも一つの愛なのだということを教えてくれます。

二人の恋は叶いませんでしたが、こんなに素敵な愛のシーンがあるでしょうか?

そしてミアとセブが最後に微笑み合うシーンでは、映画を観ている私たちの「過去の選択」さえもが正しかったのだと思わせてくれるのです。

後悔が伴う辛い思い出を、「古き良き思い出」に変えて癒やしてくれる…それが「ラ・ラ・ランド」という映画なのではないでしょうか。

だからこそこの映画はヒットしたのですね。
アカデミー賞6部門を獲得し、ゴールデングローブ賞7部門を受賞しました。

名作映画のオマージュ

本作は、エンターテインメント業界が舞台となっているだけあって、主にミュージカル映画のオマージュが満載です。

どんな映画が引用されているのでしょうか。

「ロシュフォールの恋人たち」(1967年)

冒頭の高速道路での群舞のシーンや、ミアとルームメイト4人が道路を並んで踊るシーンはファッショナブルなミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」から引用されています。

ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、カトリーヌ・ドヌーヴなど豪華キャストが共演した映画のオマージュになっているのです。

「フォーリング・ダウン」(1993年)

冒頭の高速道路・大渋滞のシーンは、「フォーリング・ダウン」という映画からも引用されています。

この作品は、真夏の太陽が照りつける高速道路でイライラを募らせた中年男性が銃を乱射するというちょっとあぶない映画ですが、チャゼル監督が大好きな映画だそうです。

「カサブランカ」(1942年)

「カサブランカ」は第二次世界大戦中のモロッコを舞台にした再会と別れのドラマで、ミアが幼いころに叔母に連れられて観た映画とされています。

ミアの部屋の壁にも「カサブランカ」のヒロイン、イングリッド・バーグマンの顔を大きく写したポスターが飾られ、ミアがバーグマンに憧れを抱いていることがわかるのです。

ミアのバイト先のカフェの向かい側には「カサブランカ」の撮影で使われた窓があり、これもミアが女優を目指すモチベーションになっています。

「シェルブールの雨傘」(1964年)

本作は場面ごとに「春」「夏」「秋」と時系列で字幕が出ますが、「シェルブールの雨傘」での「1957年11月」「1958年1月」と字幕を出す演出を引用しているのです。

また、ミアが公演を行なった一人芝居のヒロインの名前が、「シェルブールの雨傘」のヒロイン名「ジュヌヴィエーヴ」になっていました。

「シェルブールの雨傘」は、恋人たちが戦争によって引き裂かれ、お互い別の人と結婚するというストーリーのミュージカル映画で、「叶わない恋」のモチーフともなっています。

「雨に唄えば」(1952年)

夕暮れの中、ミアとセブがタップダンスを踊りだすシーンの、セブが街灯に手を掛けるところは、「雨に唄えば」のジーン・ケリーが街灯につかまりながら回るシーンのオマージュです。

「雨に唄えば」は、サイレントからトーキー(音声が入った映画)の時代に移り変わろうとしている時期のエンターテインメント業界の舞台裏を描いた作品でした。

「バンド・ワゴン」(1953年)

夕暮れのミアとセブのタップダンスのシーンは、「バンド・ワゴン」のフレッド・アステアとシド・チャリシーのオマージュです。

「バンド・ワゴン」は、ショービズの世界を描いたミュージカル全盛期のダンス映画になっています。

「踊らん哉(Sall we dance?)」(1937年)

ミアとセブの二人がタップダンスを披露するシーンは、「踊らん哉」からの引用でもあります。

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース共演の恋の騒動を描いたロマンチックでコミカルなミュージカル映画です。

「ムーラン・ルージュ」(2001年)

天文台でミアとセブが踊りながら次第に浮上して、またたく星の中で踊る幻想的なシーンは、「ムーラン・ルージュ」からの引用です。

「ムーラン・ルージュ」はバズ・ラーマン監督したニコール・キッドマンとユアン・マクレガーが共演した19世紀・パリを舞台にしたミュージカル映画になっています。

「眠れる森の美女」(1959年)

ミアとセブが空の上でダンスするシーンは、ディズニー・アニメーション映画「眠れる森の美女」のラストシーンからも引用されました。

オーロラ姫と王子が踊るシーンを、チャゼル監督が実写で美しく引用しています。

「パリの恋人」(1957年)

もしもミアとセブがパリに行っていたら…という空想の中で、ミアがパリへ行き、凱旋門の前に立ちます。画面横には風船が…。

このシーンはオードリー・ヘップバーンとフレッド・アステアの映画「パリの恋人」のオマージュとなっています。

「ウエスト・サイド物語」(1961年)

「ウエスト・サイド物語」からの引用は、マリアがトニーへの恋心を歌った「素敵な気持ち(I feel pretty)」で、布をドレスのように胸に当てて「ミス・アメリカ」を気取る場面です。

「ラ・ラ・ランド」のミアは、ルームメイトとパーティーへ着て行くドレスを選ぶシーンで、やはりカーテンをドレスに見立てて胸に当てていますね。

ミアのルームメイトたちがスカートを翻しながらパーティーに向かうシーンも、「ウエスト・サイド物語」からの引用です。

昔のミュージカルと現代

オマージュを捧げたのが、主に1940年~1950年代制作のミュージカル映画であることも監督のこだわりです。

チャゼル監督は幼い頃から音楽が好きで、昔のミュージカル映画が大好きだったそうです。

しかし、監督が本作を作るときには、「時代劇」ではなくて現代のリアルな映画にしたかったといいます。

リアルな映画とは、「叶う想いもあり、叶わない想いもある」といった現実を描いた作品です。

昔のロサンゼルスと現代のロサンゼルス、昔の音楽(ジャズ)と現代の音楽、クラシックな映画と現代の映画をそれぞれ描くことによって現代の人が観て共感できる映画を作りたかったそうです。

古き良き1940年~1950年代のミュージカル映画へのオマージュを通して、現代のロサンゼルスを描いたのが「ラ・ラ・ランド」でした。

監督は、十代でジャズに惹かれ、ジャズピアニストに憧れたこともあったといいます。
この映画には、監督の好きなものが詰まっているのですね。

トリビアの数々

ここでは、知っておくとより「ラ・ラ・ランド」を楽しむことができる小話をご紹介したいと思います。

ライアン・ゴズリングは自分でピアノを弾いている

ピアノ演奏は、ゴズリングが吹き替えなしで演じています。

ゴズリングは3ヶ月もの間、ピアノを猛練習しました。

一日2時間のレッスンを週6日こなし、撮影初日を迎える頃には全曲を自分で演奏できるようになっていたそうです。

手元のクローズアップも、代役を立てずに本人が演奏した映像が採用されました。

共演したミュージシャンが嫉妬したほどの腕前だったそうです。

有名R&Bシンガーのジョン・レジェンドが出演していた

劇中でセブが加入するバンド「メッセンジャーズ」のヴォーカル担当のキースを演じたのは、ジョン・レジェンドでした。

ジョン・レジェンドは、リリースしたアルバム4作品でグラミー賞計9部門受賞、全世界累計セールスは700万枚を記録しています。

ディズニー実写映画「美女と野獣」(2017年)のエンドロールで、アリアナ・グランデと共に主題歌を歌ったことでも知られます。

カラフルな衣装

エマとゴズリングは映画の中でそれぞれ50着の衣装を着こなしました。

衣装デザイナーのメアリー・ゾフレスとチャゼル監督は、「シーンごとに感情を伝える手段として衣装の色選びを工夫した」と語っています。

例えば、ミアはパーティーに青いドレスを着て行きますが、青いドレスには「開放感」「信頼」といった意味が込められ、ミアが友人をとても信頼していることを表していました。

また、衣装は、ミュージカル映画の最盛期の1940~1950年代を彷彿とさせるレトロなデザインとなっていて、これもチャゼル監督のこだわりです。

なぜチャイコフスキーの名曲が?

映画の冒頭、大渋滞の高速道路に止まっている車のカーラジオから聴こえてくる音楽は、チャイコフスキー作曲の「序曲・1812年」です。

なぜこの曲が冒頭の音楽に選ばれたのでしょうか。

もちろんこの曲が「序曲(オペラなどの冒頭に流れる曲)」だからなのですが、さらに、この曲はナポレオン軍の敗走をモチーフにしたもので、「叶わなかった願い」を意味しています。

恋が叶わなかった本作の序曲としてふさわしいと選ばれたそうです。

ちなみに、本作で使われた「序曲・1812年」の音源は、なんと日本の武蔵野音楽大学管弦楽団演奏のものでした。

日系女優が出演していた

「ラ・ラ・ランド」には、日系の俳優が出演していました。

ミアのルームメイトの一人で、黄色のドレスのケイトリンを演じたソノヤ・ミズノです。

彼女は東京に生まれ、日本人の父とアルゼンチン系イギリス人の母を持つ女性で、もとはバレリーナでしたが、モデルや俳優業をしています。

「エクス・マキナ」(2015年)や「ハートビート」(2016年)などに出演していて、日本では、2016年にユニクロのCMで話題になりました。

まとめ

お茶目な演出、リアルな映画作り、登場人物の衣装や過去の映画へのオマージュなど、監督のこだわりが楽しめる映画「ラ・ラ・ランド」。

素敵なダンスシーンの連続で、ミュージカルの醍醐味を味わうことができます。

この映画を観て、主人公たちが奏でる恋と夢のストーリーに浸ってみるのはいかがでしょうか。

あなたの失恋の思い出を優しく癒やしてくれるでしょう。

そして、新たな恋を始めてみよう、夢に向かって歩き出してみよう…と思わせてくれるに違いありません。

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マン・オブ・スティール(ネタバレ・考察)スーパーマンの誕生秘話を徹底的に掘り下げた名作!! https://cinemaxina.com/manofsteel/ https://cinemaxina.com/manofsteel/#respond Mon, 15 Aug 2022 23:00:35 +0000 https://cinemaxina.com/?p=28509 出典 : TM & (C)DC COMICS. (C)2013 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED. 「マン・オブ・スティール」2013年に公開されたDCコミックス作品を同一の世界観で描く「DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)」の第一作目として世界一有名なヒーロ

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出典 : TM & (C)DC COMICS. (C)2013 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

「マン・オブ・スティール」2013年に公開されたDCコミックス作品を同一の世界観で描く「DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)」の第一作目として世界一有名なヒーロー、スーパーマンを題材にした映画です。

監督は「300(スリーハンドレッド)」(2006年)や「ウォッチメン」(2009年)などを手掛けたザック・スナイダー、主演はオーディションで監督の注目を集めたヘンリー・カヴィルが務めました。

本作は世界で最高峰の知名度を誇るヒーロー、スーパーマンの始まりや成長を丁寧に描いた作品で、今まで謎に包まれていた設定が明らかになっていくなど、非常に重要な役割を持った作品です。

そんな「マン・オブ・スティール」からスーパーマンが持つ強さの秘密や、映画を構成しているさまざまな魅力などについて考察していきます。

マン・オブ・スティール(2013年)

見どころ
「バットマン vs スーパーマン~」へと繋がるDCエクステンディッド・ユニバースの第1弾。完全無欠のヒーローとは異なる、葛藤を抱えたスーパーマンが描かれる。
出典 : https://video.unext.jp

ストーリー
超人的な力を持つ少年、クラーク・ケントは親との約束でその力を封印し、孤独な少年時代を過ごす。やがて成長し、死んだ父の「使命を突き止めろ」という言葉に従って放浪の旅に出たクラークは、自分の正体と故郷である惑星クリプトンの歴史を知り葛藤する。
出典 : https://video.unext.jp

マン・オブ・スティール(ネタバレ・考察)

映画「マン・オブ・スティール」はスーパーマンことクラーク・ケントの出生から始まり、地球を守るヒーローとして戦っていく様子を描いた作品です。

そんな彼の半生はさまざまなドラマに満ち溢れていました。

濃密に描かれたスーパーマンの人生から見えてくる本作の魅力について紹介していきます。

スーパーマンが“再び誕生”!!

「マン・オブ・スティール」は「スーパーマン」という作品が新しく再構築された作品です。

そのため本作はスーパーマンが生まれてからヒーローとして活躍するようになるまでの理由が、非常に分かりやすく丁寧に描かれています。

更にスーパーマンに関する新しい設定や背景なども描かれているため、彼の新たな一面を知ることができるでしょう。

そのため、本作はスーパーマンを初めて見る人でも、今までの作品を知っている人であっても非常に楽しめる作品に仕上がっています。

スーパーマンの映画を初めて観るなら「マン・オブ・スティール」が一番おすすめですよ!

地球の存亡をかけた圧倒的スケールのアクション

本作の一番見所だと言えるポイントは、やはりスーパーマンが悪役(ヴィラン)のゾッド将軍たちと戦いを繰り広げるド派手なアクションシーンです。

もちろんスーパーマンだけではなく地球の軍隊も最新鋭の装備を使って相手に立ち向かいますが、ゾッド将軍の部下1人にさえほとんど抵抗できずに壊滅させられるなど、絶望感が漂ってくる場面になっています。

更に軍隊を蹂躙した後は、地球をまるごと侵略者であるクリプトン人だけが住める星に無理やり改造しようとするなど、慈悲が全く感じられません。

地球をまるで玩具のように弄り、人類がいくら死んでも全く意に介さない彼らには強い恐怖を感じてしまいます。

しかし凶悪な敵である彼らに対してスーパーマンは体1つだけで対等に渡り合っていくのです。

彼らがただ殴り合うだけで車は吹き飛び地面は砕け、ビルは何棟も倒壊していき、桁違いのスケールで戦いが繰り広げられました。

そんな地球が滅びてしまうかもしれないほどに激しくぶつかり合うスーパーマンとヴィランたちの戦闘描写は、撮影当時の最新CGや俳優たちの名演によって丁寧に描写されています。

圧倒的なスケールで描かれるド迫力のアクションシーンを、ぜひ楽しんでください!

スーパーマンが自分のアイデンティティを探す物語

実はスーパーマンの細かい心理描写や葛藤などを、幼少期から事細かに描いた映画作品は今まで存在しませんでした。

それに対して「マン・オブ・スティール」はスーパーマンがどうやって自分の存在意義を手にしたのか、一体どうやって幼少期に起きた苦悩を乗り越えたのかが丁寧に描かれています。

そして地球人ではないスーパーマンがどうして人類を助けるために日々活動しているのか、彼の行動理念はどこにあるのかと言った疑問を本作は解消してくれるのです。

そのため今まで漠然と人々を守っていただけにも見えることもあったスーパーマンに、彼らを守るという明確な理由が語られ、物語にも説得力が生まれました。

スーパーマンは宇宙人ですが自分たちと同じような人間性があることが分かり、彼に対して感情移入がしやすくなった作品だと言えるのです。

決してハッピーエンドでは終わらない物語

映画「マン・オブ・スティール」は“ヒーローがヴィランを倒してそのままエンディング”という展開ではありません。

むしろヴィランを倒したことによって新たな戦いが始まるのです。

彼はなんとかゾッド将軍たちの侵略から地球を守り抜きますが、同時にスーパーマンの影響で死んだ人々も数え切れないほどいました。

復興にも多大な時間が必要であり、残された人々が見せる茫然とした表情が世界の感情を物語っています。

また、前提条件としてスーパーマンが地球に来ていなかったら、ゾッド将軍の侵略戦争に巻き込まれなかったのでは?と言われることもあるのです。

その結果、世論は「スーパーマンは人々を守るヒーロー」として崇めるグループと、彼を「地球にとって不利益を与える存在」として批判するグループに分かれていきます。

そんな彼らの思想や、他ヒーローの行動やヴィランの暗躍などが入り混じることで、「マン・オブ・スティール」から続いていく物語は一筋縄で終わらない作品になっているのです。

スーパーマンの強さは“家族の愛”!!

スーパーマンは世界最強と言える存在ですが、強さの裏側には家族の愛があることが見えてきます。

一体どうしてスーパーマンにとって家族の愛が大事だと言えるのでしょう。

そこでクラークが育つ時に受けてきた愛情が強さとどんな関係にあるのか考察していきます。

スーパーマンの強さの源とは

スーパーマンの特徴といえばやはり圧倒的なパワーですが、彼の強さの源はどこにあるのでしょうか。

それは彼らの故郷であるクリプトン星に存在しない強力な太陽光が関わっており、これを浴びるとクリプトン人は圧倒的な身体能力や特殊な能力が開花します。

しかしクリプトン星にあった太陽は既に弱りきっており、クリプトン人を強くできるほどのエネルギーを持っていませんでした。

それに対して地球には安定した太陽が存在しているため、そこで育ったスーパーマンは圧倒的な力を発揮していたのです。

スーパーマンが体1つで、科学技術を駆使して戦闘力を高めていたクリプトン人たちに対抗できたのは、環境の違いがあったためでしょう。

また、この特性はクリプトン人に共通するものだと描写されており、終盤ではゾッド将軍が地球に適応してスーパーマンと同じ力に目覚めました。

この事例によってスーパーマンとしての強さだけであれば、クリプトン人共通であると分かるのです。

地球が狙われた理由も、太陽があることでクリプトン人がより強くなれることを知ったゾッド将軍が、侵略すべきだと考えたのかもしれません。

希望を未来に託すために奮闘した実の両親

カル=エル(スーパーマン本来の名前)の故郷クリプトン星ではジェネシス・チェンバーという機械で生命の誕生がコントロールされており、能力や将来就く職業までもが定められています。

クリプトン人は親が機械であるため愛を与えられず成長し、カル=エルの父ジョー=エルは科学者、ゾッド将軍は戦士として生まれることが決められているなど、彼らは歩む人生までもが決められているのです。

生まれる子供の遺伝子すら改変してしまうほどの圧倒的な技術力を持っているクリプトン人ですが、彼らの星は過剰な資源採掘によって滅びる直前でした。

機械で管理された子供しか生まれずこのままでは未来が無いと現状を憂いたジョー=エル夫妻は、クリプトン人にとって数百年ぶりの自然出産によってカル=エルを授かります。

その後クリプトン人の遺伝子情報が詰め込まれたコーデックスを盗み出して、カル=エルの体に埋め込みクリプトン星から脱出させるのです。

せめて自分の息子だけでも避難させて、たどり着いた星で新たにクリプトンを再興させてほしいと考えての行動でした。

時間がなく一緒に行けない彼らにとって、これが息子に対して最大限与えられた愛情だったのでしょう。

クリプトン人は親に愛されてこなかったのですか?
クリプトン人の親はほぼ全員が機械であるジェネシス・チェンバーだから、愛情を受けて育つことができないのです。

クラークを守るために命を捧げた父の献身

クラークの在り方には義理の父であるジョナサンの存在が大きく影響しています。

彼が人間に無い力を持っている理由とそれを他の人に見せつけてはいけないことを教えてくれ、更に自分の成り立ちを知るという生きる上での目標なども与えてくれました。

しかしある日のことケント一家は竜巻に襲われてしまい、ジョナサンが足を怪我して車から動けなくなってしまうのです。

クラークが力を開放して動けば助けられたかもしれませんが、それをジョナサンが「まだその力を使う時ではない」と言って制止しました。

そしてジョナサンは竜巻に飲み込まれてしまい、クラークは助けられる力があるのに父を助けることができなかったのです。

この事件はクラークの心に影を作っており、未だに後悔していることが自身の口から語られています。

それほどまでクラークにとってジョナサンが非常に大きな影響を与えた存在だと分かるのです。

そんなジョナサンの遺志を継ぐように、彼は自分のルーツを探すために世界各地を旅するようになりました。

クラークを支え続けたマーサの優しさ

クラークは子供の頃、クリプトン人が発揮する特殊な能力を制御できませんでした。

そのため普通に過ごしているだけでも人が透けて見えたり、遠くの物を熱してしまうといった不思議な現象がクラークに起きたのです。

自分とは違うという好奇の目で見られて周りの子供たちにも馴染めず、ふさぎ込んでしまうクラーク。

そんな苦しんでいる彼を救ったのが、義理の母であるマーサでした。

彼女は心を落ち着かせる方法をクラークに優しく伝えていき、彼を導いてあげます。

その声掛けはクラークの中で暴走していた能力を制御することに役立ち、彼の生活に大きな影響を与えるのです。

優しさこそがスーパーマンの強さ

カル=エルを生んだ両親の愛、そしてクラークとして育ててきたケント夫妻の愛は、間違いなく彼の成長に良い影響を与えています。

実の両親は命を賭けて、カル=エルを滅びゆくクリプトン星から救い出しました。

そしてケント夫妻は実の息子でなく、ましてや地球人ですらないクラークに対して精一杯の愛情を注ぎながら育ててくれます。

この二組の両親によって与えられた愛情こそが正義のヒーロー、スーパーマン誕生のきっかけだと言えるでしょう。

そんなスーパーマンは守るべき者が危機に陥っている時、普段以上の強い力を発揮しているように見えます。

マーサが脅迫された時、ヒロインの危機、クリプトン人と必死に戦う兵士たち、そして地球そのものなど…。

彼らを守る時こそスーパーマンはより強大な力を発揮していると考えられます。

超人としての強さと、人間のような優しさを持ち合わせたヒーロー、それがスーパーマンなのです。

もし彼が両親から優しさを与えられていなかった場合、正義ではない“別の強さ”になっていたのではないでしょうか。

悪のスーパーマンになっていた可能性もあったのかな?
他の子供たちからイジメを受けた過去があるから、彼らに育てられていなければ人間に恨みを持っていてもおかしくはないですね。

優しさこそが最大の弱点

圧倒的な強さに優しさを兼ね備えている完璧なヒーローに見えるスーパーマン。

しかし彼はヒーローとしてもあまりにも優しすぎるのでした。

その優しさがどのような影響を人々に与えたのかを考察していきます。

優しさゆえの間違った行動

スーパーマンは人々を思いやり、深い愛情を持っているヒーローだと言えます。

そのため時には自分を犠牲にしてでも、人々を守ろうという行動に出てしまうのです。

スーパーマンは人々に危機が及ばないよう、彼を探しているゾッド将軍に対して無抵抗で投降してしまいます。

これは彼が地球を思って取った行動ですが、それにより地球にはゾッド将軍に抵抗できる人が居なくなってしまったのです。

捕まっている間にゾッド将軍が地球に対して何もしないという保証は全くなく、実際彼らは地球をクリプトン人の住める星へ改造しようとしていました。

そこから見えてくるのは、優しさからか相手を無条件に信用しすぎているように見えるのです。

一瞬のためらいが人々を危険に

また、スーパーマンの優しすぎる心は敵であるゾッド将軍に向けても現れていました。

地球を滅ぼそうとしていた相手のゾッド将軍に対しても、無関係の地球人を殺そうとする直前までとどめを刺すことができなかったのです。

普通の人間として育てられてきたスーパーマンに、自分の手で同胞を殺すことは非常に辛いことでしょう。

しかしその一瞬のためらいで狙われていた人々を助けることができなくなっていたかもしれないのです。

優しさはヒーローにとって非常に大事なものですが、ヒーローというものは時に残酷でなければいけません。

そのためためらう心を持っていることこそが、スーパーマンが持つ最大の弱点だと言えます。

ゾッド将軍は“ヴィラン”なのか?

映画「マン・オブ・スティール」のヴィランはゾッド将軍が担っています。

しかし彼の言動や行動を観察していくと、あまり悪役には見えない人物だと分かってくるのです。

どうして悪に見えないかもしれないのか、ゾッド将軍を別の視点から見ていきます。

クリプトンを思い続ける異質なヴィラン

一般的な悪役というものは犯罪を楽しんだり、何か自分の目的を達成するために悪事を働くことが多いです。

しかしゾッド将軍は本作のヴィランでありながら、最後までクリプトン人のことを思い続けていたという異質さが見えてきます。

ゾッド将軍の作中での行動

  • クーデターを起こしたのはクリプトン人の未来を守るため
  • 計画に反対するクラークの父を殺したことを今でも後悔している(ただし目的を阻むものは同族でも容赦しないとも語っている)
  • コーデックスを求めたのはクリプトン人再興のため
  • 地球を改造しようとしたのはクリプトン人の住む場所を確保するため
  • 終盤でスーパーマンに対して猛攻を仕掛けるのは、仲間が全員殺されてしまったことによる敵討ち

このように見ていくと、彼の芯はほとんどブレておらず、最後まで自分ではなくクリプトン人のことを第一に考えた行動を起こしていたのです。

しかしゾッド将軍のやり方があまりにも強引でクリプトン人以外のことを考えていなかったため、クリプトン星ではジョー=エルからクーデターに参加を拒否され、クラークも仲間になるのを断ってしまいます。

正義の対立、“クリプトン”という重荷

ゾッド将軍は投降してきたスーパーマンに対して、自分と協力してクリプトンを復活させようと言いました。

何故なら地球で育ったスーパーマンも、ゾッド将軍の守るべき“クリプトン人”だったためです。

クリプトン星を再興させること自体は良いアイデアだと言えます。

しかしゾッド将軍は地球を改造してクリプトン人だけが住める星を作ろうとしており、そこに住んでいる生物のことを何一つ考えていなかったのです。

彼らにとって同じ故郷を持つクリプトン人なのは重要だと言えますが、地球で人間として育てられたスーパーマンはその暴挙に黙っておられず、彼はゾッド将軍と敵対することになります。

そんな対立から生まれた戦いは、人類に味方するスーパーマンとクリプトン人の再興を目論むゾッド将軍という2つの異なる正義がぶつかり合った戦いでした。

スーパーマンには地球の存亡が掛かっており、ゾッド将軍はクリプトン人の再興という願いが重くのしかかっているのです。

最後までブレなかったゾッド将軍の正義

ゾッド将軍の持っていた行動理念、それは“クリプトン人の再興”です。

強引な手段を取ってまでクリプトン人の復活にこだわっていたのは、ジェネシス・チェンバーによって生まれた時から心にその理念が刻まれていたからではないでしょうか。

ゾッド将軍は生まれてからずっと、愚直なまでにクリプトン人の未来を思って行動していました。

彼がとってきた活動は全てクリプトン人の再興に繋がるためであり、その芯が死ぬ直前までブレることなく彼を突き動かしていたと考えられます。

この理念はスーパーマンに自分の願いがすべて打ち砕かれ、ゾッド将軍が自暴自棄になるまで変わりませんでした。

自暴自棄になった彼は無関係の地球人を攻撃しようとして、クリプトン人と地球人のどちらを取るか迫ったのです。

最終的にスーパーマンは人々を救うためにやむを得ずゾッド将軍を手に掛け、自分の手で同じクリプトン人を殺してしまいます。

ゾッド将軍を殺したという出来事は彼に暗い影を落としますが、スーパーマンは最後のクリプトン人として人類と友好関係を築くことを選んだのです。

「マン・オブ・スティール」に眠るトリビアたち

本作には、あちこちに張り巡らされた続編への伏線や、今までにない特徴を持っている作品です。

そんな「マン・オブ・スティール」をより面白く観るための小ネタなどを紹介していきます。

続編への伏線が丁寧に張られた「マン・オブ・スティール」

映画「マン・オブ・スティール」は、DCEU映画の記念すべき第一作品目です。

本作は他作品に繋がるような世界観を作ることを目標にしていたため、幾つかのDCEU映画に繋がる伏線を残しています。

例えばスーパーマンとゾッド将軍の戦いで街に甚大な被害が出たのは、次回作への伏線になっていたためです。

地球を守ろうとするスーパーマンが活躍する裏に人々の死や街の崩壊などを描くことで「彼は本当に救世主なのか?」と人々に疑問を抱かせています。

そしてその戦いで大勢の死者が出ているのを目撃したバットマンがスーパーマンを脅威だと感じて対策を始めたことで続編の「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」(2016年)に繋がっていくのです。

また、本作が公開された時には全く関係ないと思われていた「アクアマン」(2018年)との導線も実は描かれています。

「アクアマン」の主人公であるアーサーは映画で姿こそ見せませんでしたが、意外な場面でスーパーマンの手助けをしていたのです。

アクアマンの名前は作中で出てこなかったけど、存在はどこで語られていたの?
実はスーパーマンが油田の事故から人々を助けて海に落ちた時に、アクアマンが彼を助けたという裏設定が監督によって語られているよ。

スーパーマンがアメリカ人じゃない?

スーパーマンといえば、アメリカを象徴する屈指の人気キャラクターです。

そんなスーパーマンを演じてきた俳優は、今まででは全員がアメリカ生まれでした。

しかし、「マン・オブ・スティール」でスーパーマンを演じたヘンリー・カヴィルはイギリスで生まれた俳優であり、初めてアメリカ人以外が演じたスーパーマンになったのです。

これは敢えてイギリス出身の俳優をスーパーマンにした訳ではなく、オーディションでカヴィルが見せた姿が監督の考えるスーパーマン像にとてもマッチしていたためだと言われています。

監督がスーパーマン役を決めるオーディションの際、カヴィルに初代の衣装を身に着けてもらったところ非常に似合っており、「彼しか適任は居ない!」と感じたそうです。

タイトルが「スーパーマン」では無い訳

本作に付けられた「マン・オブ・スティール」というタイトル。

宣伝目的であればタイトルに「スーパーマン」と入っていた方が注目されやすいと考えられますが、どうしてこのタイトルになったのでしょうか。

これは本作が今までのスーパーマンと世界観を共有しない“リブート作品”だからです。

つまり制作陣は今までにない“新しいスーパーマン”を作り出そうと考え、タイトルにスーパーマンを使わなかったのでしょう。

また、このタイトルになったのは1986年に発売されたリブート版スーパーマンコミックスの「マン・オブ・スティール」が関係していると言われています。

コミックスと映画の「マン・オブ・スティール」は、共にリブートされて新しく生まれ変わったスーパーマンという共通点を持っていました。

これまでのスーパーマンとは違う作品であるということを表現するために、「マン・オブ・スティール」というタイトルを使ったと考えられます。

歴戦のライバル・レックス・ルーサーが続編で登場!?

スーパーマンという作品全体で一番のライバルと言われているのは、知略を駆使して何度も彼に立ち向かってきたレックス・ルーサーでしょう。

「マン・オブ・スティール」では姿を見せていませんでしたが、実は彼がこの世界に居ることが示唆されているのです。

本作ではレックス・ルーサーJr(本作では名前にJrが付くが立ち位置は同じ)が社長である「レックス・コーポレーション」の看板が、スーパーマンとゾッド将軍が戦う最中に登場しています。

スーパーマンが活動する裏で悪事を企んでいるようなので、続編である「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」でどのような活躍をするか非常に楽しみですね。

まとめ

スーパーマンの誕生から半生をなぞっていき、彼の活躍を存分に描いたDCEUの原点である映画「マン・オブ・スティール」。

さまざまなDCEU作品に繋がる伏線を張り巡らせており、非常に内容の濃い映画に仕上がっています。

また、ド迫力で壮大なアクションや、家族の愛が作り出す成長の物語にも注目してください。

王道のスーパーヒーローが活躍する映画が好きな人には、ぜひ観てほしい作品です。

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ミスト(ネタバレ・考察)衝撃を与えたラストシーンの真意とは?霧に潜むモンスターも全部チェック! https://cinemaxina.com/the_mist/ https://cinemaxina.com/the_mist/#respond Sat, 13 Aug 2022 23:00:01 +0000 https://cinemaxina.com/?p=29003 出典 : © The Weinstein Company 「ミスト」は映画化作品を幾度も出している人気作家、スティーブン・キングの中編小説を元にした作品で、霧の町に潜む怪物と閉鎖空間での人間の狂気を描いたホラー映画です。 「ショーシャンクの空に」(1994年)、「グリーン・マイル」(1999年)とキング原作の映画を制作

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出典 : © The Weinstein Company

「ミスト」は映画化作品を幾度も出している人気作家、スティーブン・キングの中編小説を元にした作品で、霧の町に潜む怪物と閉鎖空間での人間の狂気を描いたホラー映画です。

「ショーシャンクの空に」(1994年)、「グリーン・マイル」(1999年)とキング原作の映画を制作していたフランク・ダラボンが監督し、3回目のタッグとなりました。

前2作はヒューマンドラマとしての作風が強く、高い評価を得たダラボン監督がホラー映画をどのように作るのか話題になったのです。

原作のキングは「これを思いついていれば最初からこのエンディングにしたのに!」と太鼓判を押した映画オリジナルのエンディングは観るものに衝撃を与えます。

原因不明の霧がもたらす恐怖、狂っていく人々、断片的に分かっていく一連の事件を描くことで恐怖の要素を浮き彫りにしていく監督の手腕に視聴者は夢中になるのです。

霧の中にいるモンスターの正体やなぜ町は襲われたのか、そして息子を守る父親であるデヴィッドはなぜ逃亡し、ラストであの行動を選択したのか考察していきましょう。

ミスト(2007年)

見どころ
人気ホラー作家、スティーヴン・キングの原作を、「ショーシャンクの空に」のフランク・ダラボン監督が映画化。謎の霧の襲来によってパニックに陥る人々の姿を冷徹に描く。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
田舎町で家族と共に暮らすデヴィッドは、ある日息子と共にスーパーマーケットへ出かけるが、町全体が突如濃い霧に包まれ、店内で缶詰め状態に。やがて霧から逃れてきた人々から「霧の向こうに怪物がいる」と聞かされたデヴィッド達は、次第に混乱し始め…。
出典 : video.unext.jp

ミスト(ネタバレ・考察)

不気味な濃霧が建物を包み、人々はスーパーマーケットに立てこもりますが、外にいる未知の“何か”に対して万全の状態ではありません。

電気系統のトラブルや怪我人の発生で、修理や医療用品の確保などリスクを冒す場面があり、安全な場所から危機的状況に出るため、犠牲者が出るのです。

さらに安全だと思っていたスーパーに霧の中の“何か”が侵入して死者が出るだけでなく、人間同士の諍いも発生し、極限状態に追い込まれ判断力を失う様が分かります。

主人公であるデヴィッドたちが遭遇した事件の断片を追って、なぜこのような事態が発生したのかを解析していきましょう。

霧の中に潜む“何か”とは

手を伸ばしたときの指先ですら分からないほどの濃霧に包まれた屋外を見て、外に出ることをためらう人々でスーパーマーケットは溢れかえっています。

屋外から店内に逃げてきた者が「霧の中に何かいる」と告げ、危険性を訴えたため店内の人々は緊張感に包まれるのです。

しびれを切らして調査に出かけたものや、自宅の子供を心配して出ていったものがいましたが、スーパーマーケットに生きて帰ってきたものはいませんでした。

“何か”の存在が明らかにならないため、ある者は自分にロープを付けて調査にいきます。するとロープは猛烈なスピードで引っ張られ、途中で手応えが無くなるのです。

残った者がロープを手繰ってみた結果、上半身のない死体が戻ってきたことで、明確に霧の中は危険だと示されます。

軍人たちが絶望するほどの事態

スーパーマーケットの中には休暇中の軍人が3人いますが、彼らはとある作戦を実行するために派遣されたようで、霧の正体を知っているようです。

デヴィッドたちが住んでいる町では、軍が“アローヘッド計画”という謎の作戦を行っているという噂が流れていたため、住人たちは彼らが霧と関わっているのではと疑います。

店内の人々は話を聞こうとしますが、軍人3人のうち2名はトイレで首を吊っているのが発見されました。

武器を装備した軍人が何の抵抗もせずに自殺したことは、霧の正体を知っていた2名が“今の状況は絶望的で、死んだほうがマシ”というメッセージを感じます。

アローヘッド計画の真相とは

この計画の真相は異次元へ通じるゲートを開くもので、任務を担当した関係者は霧とモンスターの存在を知っていたと思われます。

危険を理解した上で、作戦行動が取れる場所として選ばれたのが、小さい町があることでインフラも確保でき、それでいて人が来ない山中があるこの場所だったのです。

関係者が実験的に開いたところ、想定よりも規模が大きいゲートになり、町まで霧が広がり犠牲者を出した上に、制御する方法も明らかになりません。

霧を止める方法がなければどこまでもモンスターに侵食されることになるため、対策が判明していない兵士は生き残る道が見えず自決してしまうのです。

ラストシーンで登場してきた軍隊はモンスターを制圧できているように見えますが?
軍が総力をあげて対応したように見えるので、計画の部隊とは比較にならない規模の戦力になっています。

霧の中に潜むモンスターたち

異次元から来たモンスターたちは生きている人間に卵を産み付け宿主とするものや、単純に捕食対象として襲ってくるものもいるのです。

またモンスターをエサにしている上位のモンスターがいるなど、食物連鎖を感じさせる描写もあるので膨大な数の一部しか登場していないと思われます。

店内にいても隙間から人間を捉えようとしたり、窓ガラスを破って侵入し人間を攻撃するなど、存在するだけで与える被害は甚大です。

劇中に登場するモンスターを分かりやすく整理したので、その恐ろしさを心に刻んでください。

  • 触手モンスター:本体は不明。巨大な触手を使って人間を捕まえる。切断すると溶解する。
  • 昆虫モンスター:サソリとスズメバチを併せたような飛行生物。光に集まる習性がある。
  • 翼竜モンスター:昆虫モンスターを主食とする大型翼竜のような生物。人間もエサにする。
  • 蜘蛛モンスター:小型だが大量に発生し、人間を宿主にして卵を孵化させ増殖する。
  • 大蟹モンスター:高さ5メートルほどの大きな体にハサミがあり、人間を一撃で両断できる。
  • 巨大モンスター:雲に届くほどの巨体を持つ。敵意はなく比較的安全なモンスターである。

一番怖いのはやっぱり人間?

ホラー映画ではスーパーマーケットでの籠城、外界に潜んでいるモンスターというのは定番の設定になります。

こういうときにモンスター以外で害を及ぼすのは頭がおかしくなり、狂信的に破滅を説いて回る人物で、正気な人間と狂気を持った人間の対立になりがちです。

しっかりお約束として組み込まれている“人間の狂気”を代表する登場人物としてのミセス・カーモディについて考察していきます。

困ったときの神頼みで教祖に

カーモディは敬虔すぎるキリスト教徒で、日常的に狂信者として言動が危うい人物だと思われていることが示されます。

霧に囲まれたスーパーマーケットの中で、最初は1人で「ハルマゲドン(世界の終わり)が始まった」と騒ぎ立てることから、周囲の人間がたしなめます。

ですが状況が悪化するにつれて心理状態が不安定になっている客たちは、ぶれない教えを持っているカーモディの言葉に耳を傾け、不安な心を信仰で中和しようとします。

なんでこんな怪しげな老女の言うことを信じてしまうんでしょう?
変人だが熱心な宗教家で、人心に聞こえが良い“論拠はなくても断言して解答する”手法を使っているため、不安を抱える人達は頼りたくなってしまいます。

カーモディは本当に選ばれたのか

店内に昆虫モンスターが入り込んだとき、カーモディに1匹が止まりますが、他の人と違い彼女は刺されずに済みました。

彼女はこのことから、自分の信仰心が認められ、その結果として神の使いであるモンスターが攻撃しなかったのだとアピールするのです

異次元の生物の生態が分かるはずもないので、結果論としてそういう受け取り方もできるだけなのですが、狂信者であるカーモディはこの結果を神の意志をして振る舞います。

このことでカーモディは選ばれしものという見られ方をされるようになり、支持者たちはカーモディの信者であれば生き残れると考えるのです。

なぜ生贄が必要になるのか

キリスト教徒であるカーモディが、スーパーマーケットにいる人間を神の使いであるモンスターたちに捧げる生贄として選ぶことに疑問を持つ人もいるかも知れません。

他の宗教で見られる生贄は神へ捧げる供物としての存在が強いですが、キリスト教における生贄はイエスの死によって人が救われた逸話をモチーフにしています。

イエスの血が流れて罪が洗い流されたと記されている通り、選ばれし者が生贄として死ぬことで、神から赦されると考えているのです。

最初はアローヘッド計画を知る軍人を生贄として捧げ、彼はモンスターにより両断されます。その結果として事態が変わらなかったため、カーモディは次の生贄を探します。

それが主人公デヴィッドの息子であるビリーを差し出せという要求になったのは、より純粋なものを捧げることによって赦しを得られるという発想からでしょう。

本当に選ばれた者が生贄になるならば、神に選ばれたと自負しているカーモディが自分を捧げれば良いのですが、崇められる自分に酔う彼女は対立者から生贄を探すのです。

カーモディ派と反対派との対決は決定的になり、極限状態の人間たちは外にいるモンスターより一緒にいる人間を危険視して戦うことになります。

カーモディはビリーを差し出して事態が改善しなかったら信用されなくなるのでは?
正しい生贄を差し出せば神に救われると思い、対立している相手を全員捧げるぐらいには精神を病んでいます。

衝撃的なラストに至るクライマックスからの恐怖

「ミスト」はあまりに無情なラストシーンを迎えるため、人によっては後味の悪い映画として認識されています。

主人公であるデヴィッドが選択した決着は、誰の救いにもならず、絶望のあまり叫ぶシーンは彼の心中を察するとやりきれません。

このエンディングに至るまでに回避する方法がなかったのかを含め、導き出される情報から物語の結末の意味を考察していきます。

霧の中でも解るほどの巨大な生命体

スーパーマーケットの狂信者から逃れ、自動車で脱出したデヴィッドたちは、高さが80メートルほどもある巨大モンスターが歩いていくのを目撃します。

あまりの巨大さに一同は声も出ず、ひたすら車を走らせますが、乗っている人たちにはあの生き物が徘徊するさまは“世界の終わり”に見えたのではないでしょうか。

モンスターに怯え、警察も軍も現れず、教祖に扇動される狂信者から逃れたあとに見たものとしては、絶望を与えるのに充分なインパクトでした。

ガソリンを途中で給油することもできず、ただひたすらに車を走らせたデヴィッドは燃料切れで荒れ地の路面に停車します。

ここでデヴィッドが下した決断により、エンディングが恐ろしいものへと変わるのです。

僕を怪物に殺させないで

ビリーは父であるデヴィッドに「僕を怪物に殺させないで」と嘆願します。この意味を取り違えてしまったことが、ラストシーンのきっかけになりました。

“怪物から自分を守って欲しい”という意味で伝わればよかったのですが、デヴィッドは“怪物に殺されるぐらいなら殺して欲しい”と受け取ったのです。

同乗している大人たちに拳銃を見せると、だれもが納得したような顔をしました。生きながらモンスターに殺されるよりは死を選びたいと願います。

拳銃に弾丸は4発、人数は5人です。デヴィッドは自分の始末は自分でつけると決め、息子であるビリーを始めとした同乗者全員を射殺するのです。

もしも世界が終わっていたのであれば、安らかに自分の意志で死ねた大人たちは良かったでしょう。

“救済”から生まれる絶望

車の中から霧の中に出て、モンスターたちに自分を殺させようと叫ぶデヴィッドでしたが、霧の向こうからやってきたのはモンスターを駆除している軍隊の一団でした。

輸送用のトラックにはスーパーマーケットから脱出した親子も含まれており、待機していれば生き残ることができたのです。

カーモディ派との対決で極限状態に追い込まれてしまっていたデヴィッドは、危険な場所から脱出することしか考えられなかったため、選択を誤ったことが示されます。

生き残るチャンスがあったのに、その手で息子や友人を殺してしまい、自分だけが生き残った無情にデヴィッドは絶叫するのです。

スーパーマーケットから子供を救うために自宅へ戻ると宣言し、助けを求めたが誰も同意しなかったことを覚えている女性は、トラック上からデヴィッドに目を向けます。

この時に見せる侮蔑とも哀れみともとれる表情と、“子が救われた者”と“子の命を奪った者”という決定的な違いが、後味の悪さを濃くしているのです。

ホラー映画の生存者は最善を尽くして生き残るものでは?
デヴィッドは決断力があったからこそ諦めに繋がり、最善を尽くした結果チャンスを失うのです。

「ミスト」に馴染みの深いゲームを3本紹介

この映画と、本作の原作である小説「霧」はかなり人気が高く、霧の中に怪物がいることで明るい状態でも恐ろしい世界を構築できることを示しました。

特にテレビゲームとの親和性が高く、未知の場所を包む霧や、異世界の怪物という設定は多くのタイトルに影響を与え、その結果ゲーム作品が映画化されることもあるのです。

いくつか関連しているゲームタイトルとその内容をお伝えして、本作に影響された、もしくは影響を与えた作品について関係を紹介します。

伝説のゲーム「Half-Life」は原作の引用

一人称視点で武器を使い攻撃するジャンルをFPS(ファーストパーソン・シューティング)と呼びますが、その中でも高い人気を誇るのが「Half-Life」です。

実験で異次元と繋がってしまい、そこから現れたモンスターの群れが研究所を埋め尽くし、地獄となる中で、生き延びた主人公が脱出を図ります。

モンスターだけでなく政府の関係者や海兵隊などの勢力が登場し、時には協力するなど、かなり原作の「霧」から影響を受けているのが分かるのです。

名作ホラーゲーム「サイレントヒル」もここから生まれた

全米でのアンケートで「一番怖いホラーゲーム」として1位を獲得したタイトル「サイレントヒル」は、もともとスティーブン・キング作品のゲーム化から始まりました。

紆余曲折ののちにゲーム化は中断されますが、「ミスト」の原作である「霧」から大きな影響を受けた結果、灰や霧に包まれた世界に異形が潜む世界観が生まれたのです。

ちなみにサイレントヒルというタイトルは“静岡”をそのまま訳した仮ネームでしたが、海外スタッフに「これ以上怖いタイトルはない」と言われて正式名称になりました。

映画版「サイレントヒル」(2006年)もありますので、興味のあるホラーファンはぜひご覧になってください。

サム・ウィットワーが出世したときに引用

「ミスト」で秘密を知る兵隊として登場する兵士ジェサップを演じるサム・ウィットワーはこの頃まだ若手俳優でした。

ですが後に自身が好きなフランチャイズである「スター・ウォーズ」のゲーム作品で登場するライトセーバー使いのキャラクターを演じることになりました。

このキャラクターがライトセーバーを逆手に持っているのは、「ミスト」でジェサップが隣の建物に行く際に刃物を逆手に持っていることにちなんでいます。

まとめ

ダラボン監督はもともと「ミスト」で監督デビューするはずだったのですが、いろんな縁の関係で「ショーシャンクの空に」「グリーン・マイル」を先に撮ることになりました。

また監督はキングが若手クリエイターに対して行っている”若手監督の短編小説の原案に使うなら権利を1ドルで売る”という、育成システムに応募して短編を作っていたのです。

その作品も合わせると、キング作品を4本も撮影している監督はキング映画のプロと言えるでしょう。

観る人によってラストの意味合いや、ifの解釈が変わるため、感想を伝え合うのが楽しいホラーである「ミスト」はそんなダラボン監督作品として外せない面白さがあります。

ぜひおうちシネマで楽しんで、何が怖いのかをよく考え、さらに友達と議論すればとても面白い時間が過ごせるでしょう。

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シャザム!(ネタバレ・考察)スーパーマンと互角の強さを秘めた新しいヒーローが誕生!? https://cinemaxina.com/shazam/ https://cinemaxina.com/shazam/#respond Sat, 13 Aug 2022 01:00:42 +0000 https://cinemaxina.com/?p=29149 出典 : (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. 普通の子供が突然スーパーパワーを手にしたら一体どんな風に使ってしまうのか。 「シャザム!」は2019年に公開された見た目が大人で中身が子供という、今までにないヒーローを題材とした映画です。 アニメ作家から長編映画の世界へ飛び込み、

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出典 : (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

普通の子供が突然スーパーパワーを手にしたら一体どんな風に使ってしまうのか。

「シャザム!」は2019年に公開された見た目が大人で中身が子供という、今までにないヒーローを題材とした映画です。

アニメ作家から長編映画の世界へ飛び込み、「ライト/オフ」(2016年)などで成功したデヴィッド・F・サンドバーグが監督、本作で知名度を上げたザッカリー・リーヴァイとアッシャー・エンジェルが主演を務めました。

本作は「シャザム!」と唱えることでスーパーヒーロー“シャザム”に変身する力を手にした少年ビリーによる新たな家族と送る日常、そして力を狙うヴィランとの戦いを描いた物語です。

正義感は強いがいたずら好きな少年ビリーをアッシャー・エンジェル、彼が変身する大人の姿はザッカリー・リーヴァイが演じる特徴的な作品となっています。

また、本作はDCコミックスを原作とする映画作品群(DCEU)の持つダークな雰囲気を払拭した非常にコミカルな作品になっており、一味違った楽しみ方ができる映画です。

そんな映画に関係するスーパーヒーロー、シャザムの成り立ちや彼が魅せる面白さ、そして特別な能力についてなどを紹介していきます。

シャザム!(2019年)

見どころ
コドモからオトナになってしまったスーパーヒーロー・シャザムと最凶の宿敵・Dr.シヴァナのバトルシーンは大迫力。コミカルなシーンも満載で大人も子供も楽しめる。
出典 : https://video.unext.jp
ストーリー
身寄りのない思春期ど真ん中の子供・ビリー。ある日突然、彼は魔術師によって「シャザム!」と唱えるとスーパーヒーローに変身できるように。ビリーがそのスーパーパワーをヒーローオタクのフレディと無駄遣いしていると、科学者のDr.シヴァナが現れ…。
出典 : https://video.unext.jp

シャザム!(ネタバレ・考察)

本作で活躍するヒーローのシャザムですが、彼は非常に魅力あふれる人物だと言えます。

彼の人間性や考え方、面白い行動をとってしまう子供らしさなど…。

そんなシャザムについて誕生した経緯から彼の性格、そして強さの秘密などを紹介していきます。

シャザムが誕生した意外な理由とは

ヒーローの力を手に入れたのは、バスケス家の養子になった14歳の少年、ビリーでした。

本当の母親を探すため、いつも里親の元から逃げ出す問題児ですが、根は友人思いでとても優しい少年です。

ある日同じ家族になったフレディが学校で悪ガキに虐められているところを助けてあげます。

そして相手から逃げ出すため電車に乗り込みますが、逃げ込んだ電車の風景がどんどん変貌していき、扉が開きビリーが降りた場所は謎の遺跡だったのです。

そこで出会った魔術師に「私に残された時間がもうない、だから正義感の強いお前にシャザムの力を託そう」と言われます。

困惑しながらもビリーは、「シャザム」という名前を口にするよう言われたため流されながらもつぶやきました。

すると彼にシャザムの力が宿り、意図せず急にヒーローという強大な力を手にしてしまうのです。

ビリーと魔術師はなにか関わりがある訳でもなかったため、歴代のDCコミックスに登場する人物の中でもあっさりと能力を手にしたヒーローだと言えます。

それほどシャザムの魔術師に残された時間は少なかったのでしょう。

シャザムの魅せる奇行の数々

「シャザム!」で注目してほしいポイントは、シャザムに変身したビリーが友人であり家族でもあるフレディと共に面白おかしい行動をとるところです。

「ヒーローになってそんなことをする!?」と言いたくなる能力の使い方に、思わず笑いたくなってしまうでしょう。

そんなシャザムが取った行動からいくつか抜粋して紹介していきます。

シャザムの見せたおもしろ行動

  • シャザムの能力を動画で撮影し、ネットにアップロードする
  • 指先から電撃を放ち、他人の携帯電話を勝手に充電する
  • 街中で能力を見せびらかしておひねりを貰う
  • 大人の姿になったことをいいことにエッチなお店に入ってしまう
  • 悪そうな奴(Dr.シヴァナ)に対していきなり悪い奴だと認定して先制攻撃、ただし返り討ちに合う

ヒーローの力で悪いことをしてしまう!?

“シャザム”という大人の姿に変身できるようになったビリーは、それを使って悪いことをしてしまいます。

ヒーローの力を悪事に使う様子は、正義の味方とは到底思えない行動です。

そんな変身して大人になったビリーがまず行った悪いこととは“お酒をコンビニで買って飲む”というとても小さな悪事でした。

しかも口には合わなかったのか、一緒に飲んだフレディと共にお酒を吹き出してしまうのです。

圧倒的な力を持つヒーローの力で行った悪事が年齢詐称と未成年の飲酒という点から、ビリーが大人に憧れている様子や、悪いことをするのに慣れていない可愛らしさを感じてしまいます。

他にもシャザムの力を見せびらかしておひねりを貰おうとするなど、とても子供らしい発想で小銭を稼いでいました。

大人になっても頭脳は子供、そんなギャップにあふれた姿がシャザムの魅力だといえます。

子供がお酒を飲んだら当然駄目ですけど、なぜ大人の姿になった時、お酒を飲んだのでしょうか?
”お酒が美味しく飲める”ことがビリーにとって理想の大人像だったのかもしれません。

シャザムの強さと名前の秘密

シャザムにはさまざまな力が備わっています。

賢者のように深い知識、岩もえぐり取る圧倒的なパワー、はるか上空から墜落しても傷一つ付かない頑丈さ、雷を落とす能力、強敵に立ち向かう勇気、高速で空を飛ぶ力など…。

これは「ソロモン(叡智)」「ヘラクレス(剛力)」「アトラース(体力)」「ゼウス(全能)」「アキレス(勇気)」「マーキュリー(神速)」という6人の神様の力が備わっているからこその強さです。

また、シャザムという名前もそれぞれの神様から頭文字を貰って「S.H.A.Z.A.M(シャザム)」と名付けられています。

シャザムが持つ能力の万能さや、圧倒的な力を秘めていることから“スーパーマンと並ぶ地上最強の男”という肩書きを付けられているほどです。

その圧倒的な能力を駆使したさまざまなアクションに注目してみてください!。

スーパーマンとの関係性、そしてどちらが強いのか

世界最強のヒーローとして呼び声高い“スーパーマン”。

そんなシャザムとスーパーマンにはいくつか関係しているものがありました。

見た目もピッチリした全身スーツ、それに似合った筋骨隆々な肉体、胸に輝くシンボルマークなどが共通しており、非常に似た者同士の2人です。

ここまで似ている理由は、シャザムがスーパーマンをリスペクトして生まれたヒーローという過去を持っているからでした。

そしてシャザムの肩書に「スーパーマンと並ぶ地上最強の男」があります。

そんな最強のヒーローであるスーパーマンと、彼に並ぶ強さと言われているシャザムという2人の力関係が気になってくる人は多いのではないでしょうか。

そこでDCEU映画の範囲で彼らの能力を比較していき、シャザムとスーパーマンのどちらが強いのか考察していきます。

スーパーマンの持つ圧倒的な強さとは?

DCEU最初の映画である「マン・オブ・スティール」でスーパーマンは登場しました。

彼は太陽の光を浴びると大幅にパワーアップするクリプトン人であり、大量に浴びることができる地球では圧倒的な力を発揮できるのです。

また、地球で育ったことでクリプトン人の能力が開花して高速で空を飛ぶ、目から熱線を放つといったさまざまな特殊能力を身に着けています。

そんなスーパーマンは本気を出してヴィランと戦った場合、地球を壊してしまうほどの力を秘めているのです。

シャザムと比べてもその戦闘力の高さは目を見張るものがあり、正に“最強という称号がふさわしい”ヒーローだと言えます。

完全無欠とも言えるスーパーマンですが、そんな彼にも弱点と言えるものがありました。

スーパーマンはメンタルが一般的な地球人に近いため精神的には最強でない点や、クリプトナイトと言われる希少な鉱石が放出する放射線が苦手です。

シャザムが戦う場合、数少ない弱点を突いて戦わないと厳しいかもしれません。

シャザムほどの多才さは無いけど、それを凌駕する圧倒的な強さがスーパーマンの特徴です。

シャザムとスーパーマン、どちらが最強なのか?

地球を何度も救ってきたスーパーマンとビリーの地元、フィラデルフィアでDr.シヴァナを倒したことが功績として挙げられるシャザム。

ヒーローとして成し遂げてきた偉業の多さや、シャザムも超える圧倒的な身体能力を発揮しており戦闘力は明らかにスーパーマンが高いと言えるでしょう。

しかし、シャザムにも秀でている点もあり、それはどんな知識人も凌駕するほどの圧倒的な知識を手にできる点です。

スーパーマンは今まで自分で学んできた知識が全てですが、シャザムは与えられた力の1つ「ソロモンの叡智」を使うと古今東西さまざまな知識を知ることができます。

そして過去の映画でスーパーマンと何度も戦いを繰り広げてきたヴィランであるレックス・ルーサーは、普通の人間でありながら知恵を巡らせることで何度も彼と善戦を繰り広げていました。

彼のように莫大な知識を活かして頭脳戦を仕掛けていくのであれば、シャザムにも勝ち目はあるかもしれません。

かつて孤児だった子供たちの物語

「シャザム!」はビリーを始めとする同じ里親に引き取られた6人の孤児が物語の鍵を握っていました。

そんな6人がどのようにシャザムへ関わっていき、どのような物語を築いていくのか紹介します。

ビリーとDr.シヴァナは似た者同士!?

実は主人公、ビリーとヴィランのDr.シヴァナは小さい頃、かなり似ている人生を送っています。

親から捨てられて、本物の親からの愛情を求め続けるビリーと、親は居るものの家族からはずっと厄介者として扱われてきたシヴァナ。

ビリーはバスケス家という新しい家族に恵まれたことで優しさを取り戻していきますが、シヴァナを取り巻く環境は変化せず、その心は歪められてしまいました。

どうして心が歪んでしまったのか、それはシヴァナが小さい頃にシャザムを継ぐ子供として選ばれながらも、魔術師から認められなかった過去があったためです。

魔術師に認められなかったことがきっかけで家族との関係も悪化し、全てが悪い方向に進んでしまいます。

彼は大人になってからもずっとシャザムの力を手にしようと執着し続け、研究所で魔術師に認められなかった人たちの支援を行う裏で、もう一度彼の元へたどり着く方法を何十年も模索していました。

そしてついにたどり着いたシヴァナは、シャザムの力ではなく7つの大罪の力を手にしてしまい、その力を使って愛を与えてくれなかった家族の命を奪うのです。

彼が力を手にした後も執拗にシャザムの力を狙うのは、魔物にそそのかれただけではなく、シヴァナが認められなかった力をビリーが持っていることに嫉妬したためかもしれません。

やがて本当の家族になっていく子どもたちの絆

ビリーは実の母親を探すため、何度も里親から逃げてきた経歴を持つ少年です。

新しく里親になったバスケス家にも馴染もうとせず、反抗的な態度ばかり取ってしまいます。

そんなビリーに対してもバスケス家のみんなは優しく接していき、仲良くなろうと試みていました。

そしてバスケス家の子供たちは彼が実の母親を探していることを知り、それに協力するためなんとFBIのデータベースにハッキングしてビリーの母親を発見するのです。

居場所を彼らから聞いたビリーは大喜びでその住所へ向かいました。

しかし、その家に居た実の母親からは家を追い出されて自分には育児ができないと思ってビリーを捨てたということを伝えられ、深く傷付いてしまいます。

そんな悲しみにくれるビリーの心を支えてくれたのは、自分に対して家族のように接してくれるバスケス家のみんなでした。

ビリーはまだ気づいていませんでしたが、彼らのことを大切な家族だと思うようになっていたのです。

絆の力はヴィランを打ち破るための奇跡を起こす!?

こうして彼らが育んできた家族としての絆は、Dr.シヴァナとの最終決戦で花を咲かせます。

兄弟姉妹が全員Dr.シヴァナの人質にされてしまい絶体絶命のシャザム。

その時魔術師から最期に言われた「兄弟で力を合わせろ」という言葉を思い出し強く願います。

そしてDr.シヴァナの隙をついて兄弟姉妹を助け出し、杖を奪い取ってみんなで掴み一斉に「シャザム!」と叫びました。

するとシャザムの力は6つに分かれていき、兄弟たちがそれぞれの力に特化した6人のヒーローに変身するのです。

こうして力を分け合ったビリーたちは6人で協力してDr.シヴァナとの最終決戦に改めて挑みます。

ビリーが大切な家族を守りたいと思い願ったのでなければ、決して起こらなかった“奇跡”でしょう。

“シャザムVS7つの大罪” 激闘の行方

こうして6人になったシャザムとDr.シヴァナと七つの大罪を冠する怪物による最後の戦いが始まります。

今まで数的なアドバンテージと人質を取られており苦戦していたシャザムですが、6人になったことでそのハンデはなくなりました。

それぞれのシャザムが自身に与えられた力を活かして、街の人々を守りながら戦っていきます。

そして最後はビリーがDr.シヴァナの弱点を見抜いて、彼が一騎打ちの状況を作れるようにそれぞれの怪物を引き付けました。

こうして上手く一騎打ちに持ち込んだビリーは、Dr.シヴァナの右目に宿る嫉妬の怪物を言葉巧みに煽り、外へおびき出すことに成功します。

仲間の協力もあって罠にかかったDr.シヴァナをついに打ち破ったビリーは、その魔物の力を彼から抜き取って勝利しました。

こうしてシャザムは力を見せびらかすだけの偽りの英雄ではなく、悪を打ち破る本物のヒーローになるのです。

抜き取った魔物の力は一体どうしたのでしょうか?
もう一度封印するため、永遠の岩に持っていき自分たちで管理していましたよ。

シャザムはもう1人存在していた!?

シャザムの力を代々受け継いできた魔術師が集まり、7つの大罪を冠する怪物たちが封印された場所である“永遠の岩”。

そこにはシャザムの力を持つ者が座る7つの玉座が存在していました。

しかし映画でシャザムの力を受け継いだ人は“シャザム・ファミリー”と呼ばれる6人だけであり、席が1つだけ空いているのです。

本作では7という数字が重要なものとして扱われているため、シャザムの人数が一人足りないことに彼らは疑問を覚えます。

「シャザム!」の未公開シーンで7人目は誰なのかと疑問視されていますが、その椅子に座る人物は結局最後まで姿を見せませんでした。

そこで最後の席に座る人物とは一体誰なのか、2つの観点から考察していきます。

7人目は観ているあなた!

シャザムが思う7人目とは、この映画を観ている人ではないかという考え方です。

主人公のビリーは映画の冒頭でバスケス家に養子として迎え入れられます。

そこでバスケス家の子供たちと出会い交流を重ねていきますが、彼らが交流を重ねた時間は映画を観ている人がビリーと交流した時間と殆ど同じ位なのです。

よって「シャザム!」は新しい家族と同じ目線でビリーと絆を育んでいき、共感ができる映画だと考えられます。

このような構成になっていることで、観ている人はビリーたちに感情移入がしやすく、本当の仲間になった気分で応援できる映画なのです。

また、シャザムがDr.シヴァナを打ち破った後、彼らは“永遠の岩”を隠れ家にしないかと話し合っていました。

この永遠の岩について知っている人は、シャザム・ファミリーの6人だけですが、実は映画を観ている人も、隠れ家での秘密を彼らと共有していることになります。

つまり観客が映画を観ていることによって、いつの間にかシャザムとして認められていたのではないかと読み取れるのです。

もう1人は原作のヴィラン!?

もう1人の7人目候補は、原作コミックスでシャザムと敵対するヴィランとして活躍した“ブラックアダム”ではないかと考えられます。

ブラックアダムはシャザムと表裏一体の存在として描かれており、シャザムと同じ6神の力(ただしエジプト神話で活躍する神々の力)を魔術師から受け継いだ人物です。

そして映画では先代魔術師から、他の仲間を殺した“シャザムの力を持つ男”の存在が語られています。

更にその男を説明する際、後に「シャザム!」関連する映画でブラックアダム役を演じるドウェイン・ジョンソンと似たシルエットが映るのです。

シャザムと同じような力を持つことが明言されていて、彼を示唆するようなシルエットの存在などから当てはまる人物は原作を見ても1人しかいません。

つまりシャザムのライバルでありながら、同じ力を持つヴィランのブラックアダムが7人目となる可能性は非常に高いのではないでしょうか。

シャザムの続編・未来予想

「シャザム!」は2023年に続編が公開される予定です。

2021年時点では情報が殆ど公開されていませんが、続編に繋がる要素が映画内で描写されていました。

そんな映画内で読み取れる描写や一部公開されている情報などから、「シャザム!」の続編について考察していきます。

ヴィランになるのはイモムシ!?

「シャザム!」のエピローグで、“ミスター・マインド”というヴィランが投獄されたDr.シヴァナをそそのかす姿が描かれていました。

ミスター・マインドは映画本編で瓶の中に捕まっている状態で一瞬だけ登場した言葉を話すイモムシです。

もちろん普通のイモムシではなく、彼はシャザムがコミックスで活躍する1940年頃から宿敵として活躍している強大なヴィランでした。

更に“The Monster Society of Evil”と呼ばれるヴィランの連合軍を束ねており、非常に凶悪な存在なのがミスター・マインドなのです。

彼は持っている危険性からか魔術師によって永遠の岩に封印されていましたが、Dr.シヴァナが襲来して怪物たちを解放する騒ぎに乗じて脱走します。

そして牢獄で錯乱しているDr.シヴァナの元に現れ、彼を自分の部下にしようと甘言を投げかけたのでした。

この描写から読み取れる「シャザム!」の続編は、シャザムがミスター・マインドの率いる悪の軍団と戦うのではないかと考えられます。

もしそうなるのであればミスター・マインドがどうやってヴィランを集めて悪の軍団を立ち上げていくのか、とても気になりますね。

また、原作コミックスで彼の右腕として活躍する“クロコダイルマン”も実は本作でカメオ出演しており、続編で彼の活躍が見られるかもしれません。

真のヴィランは名俳優が演じるブラックアダム!?

「シャザム!」の続編におけるもう1つの可能性として、7人目のシャザム候補に上がっていたブラックアダムがメインヴィランかもしれません。

ブラックアダムを演じる俳優は、エンターテインメント界で活躍し、超一流俳優となったドウェイン・ジョンソンです。

彼はプロレスラーの“ザ・ロック”として圧倒的人気を誇っており、日本でもそのあだ名からあやかり“ロック様”という愛称で広く親しまれています。

最初はレスラーと兼業で俳優をしていましたが、輝く肉体美や驚異的な身体能力、見る人を魅了する演技などによって、出演作品で高い評価を集めていき超一流の俳優にまで上り詰めたのです。

そんなドウェイン・ジョンソンはアメリカでの人気があまりにも高すぎるため、制作陣は「シャザム!」だけで彼を使い切ってしまうのは勿体ないと考えたのでしょう。

そのため「シャザム!」では登場を匂わせるだけに留めておき、「ブラックアダム」(2022年)という彼が主人公として活躍する映画をスピンオフで作ることになりました。

そして「シャザム!」と「ブラックアダム」の2つは同じ世界観で描かれているため、続編で彼らが出会って戦いになる可能性も非常に高いと言えます。

また、ドウェイン・ジョンソンは「シャザム!」の制作側として作品に関わっているため、少なくとも何かしらの形でシャザムとブラックアダムが関わっていくのではないでしょうか。

シャザムを取り巻くトリビアについて

本作は映画撮影をするに当たっていくつかのトリビアが存在していました。

撮影する舞台をある国に選んだ理由、参考にした人などを紹介していきます。

フィラデルフィアが舞台になった理由とは?

DCEU映画では基本的に“スーパーマンのメトロポリス”や“バットマンのゴッサム・シティ”のような架空の街が舞台になっています。

しかし「シャザム!」はアメリカのペンシルバニア州に実在するフィラデルフィアが舞台です。

現実にある街を舞台にしていながら、DCEUで登場する架空の街が存在することも同時に示唆されているため、今までにない世界観の映画になっています。

そんなフィラデルフィアを撮影場所に選んだのは“ベンジャミン・フランクリン”という物理学者が関係していると監督の口から語られました。

フランクリンは政治家として活動しながらも、当時謎だった雷の実態を解明し、避雷針を開発するといった人々に大きく貢献してきた、雷研究の第一人者といえる人物です。

「シャザム!」のワーキング・タイトル(撮影中の仮称)が“フランクリン”だったこともあり、本作は明らかに彼を意識して制作されています。

他にもビリーがシャザムへと変身する際、自分に雷を落として変身するといった行動はまるで避雷針に見えるため、開発したフランクリンをリスペクトしている描写なのではと考察できるのです。

名作映画「ロッキー」からも強い影響を受けた!?

また、「シャザム!」は映画「ロッキー」(1976年)からも大きな影響を受けていると考えられます。

主人公のロッキーはフィラデルフィアでは英雄として語り継がれるほどの莫大な人気を誇っている人物です。

そんなロッキーが立ち寄ったフィラデルフィア博物館にある階段、通称“ロッキー・ステップ”でビリーはヒーローの能力で小銭稼ぎをしていました。

どうしてこの場所でシャザムに小銭稼ぎをさせたのか、なにか監督はシャザムがロッキーに繋がるメッセージを込めたのではないかと感じられます。

まるでシャザムを地元で活躍するヒーローのような存在として描いており、「シャザム!」がまるで「ロッキー」をモチーフにしているように感じられるのです。

そういえば小銭稼ぎの場面で使われたメロディーも「ロッキー3」(1982年)の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」でしたね!
さまざまな要素がオマージュとして取り入れられているため、もしかしたら監督は「ロッキー」の大ファンなのかもしれませんよ。

色々なヒーローとの関わりが見えてくる作品!

実は「シャザム!」にはDCコミックスで活躍するさまざまなヒーローが関わっているのです。

他のDCコミックスのヒーローが実際に存在しており、活躍していることを示しているものでもあります。

そんなシャザムとの関わり持っているヒーローたちの、本作で魅せた小さな活躍について見ていきましょう。

ゴッサムのダークヒーロー“バットマン”

DCEUでは「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」(2016年)にて登場したヒーロー、バットマンもシャザムと少しだけ関わりがあります。

ビリーの友人でありサイドキック(ヒーローの相棒)として活躍するヒーローオタクのフレディが、バットマンの使う武器の1つである“バットラングのレプリカ”を持っていました。

そしてバットラングはヴィランを倒すためのキーアイテムになるなど、道具として破格の待遇を受けているのです。

他にもビリーとDr.シヴァナが戦う場面で、なぜかバットマンとスーパーマンの人形を戦わせている子供が映りました。

本作でバットマンが直接登場した描写はされていませんが、彼は子供たちからも高い人気を集める有名なヒーローとして認知されていることが想像できます。

アトランティスの王者“アクアマン”

「シャザム!」のエンディング後に2つのエピローグが差し込まれています。

1つ目の映像ではDr.シヴァナや「シャザム!」原作で活躍していたヴィランのミスター・マインドが登場して続編の伏線になりそうな描写がされており、非常に重要な一幕です。

そして2つ目の映像は「アクアマン」(2018年)と関係があることを匂わせるもので、ビリーは水槽で泳ぐ金魚に向かって言葉を投げかけ、会話ができないか試みています。

これは「アクアマン」をリスペクトした行動であり海の生き物を思うがままに操るアトランティスのヒーロー、“アクアマン”の持つ能力がないか検証していたのでしょう。

残念ながらシャザムは水に関する能力を持っていませんでしたが、アクアマンの能力を持っていないかピンポイントで試していたため彼もこの世界で有名なヒーローであることが予想できます。

海の生物ではない金魚に話しかけても相手に声が届かないのでは?
きっとビリーとフレディは、水に棲む生き物だったら全てアクアマンの思うがままだと思っていたのでしょう。

色物集団!?“ウォッチメン”

「ウォッチメン」(2009年)とは、スーパーヒーローの誕生によって歴史が大きく変わり、私たちが住む地球とは大きく様変わりした世界の中で活躍するヒーローを描いた映画です。

ビリーがカウンセリングを受ける場面ではスマイリーフェイス(黄色でニコニコ顔のキャラクター)のマグカップやバッジが幾つも机の上に置かれていました。

世界的にメジャーなキャラクターであるスマイリーフェイスのグッズが机に置いてあることは、特におかしくありません。

しかし机の上に並べられたスマイリーフェイスグッズの中に、1つだけ血の付いたバッジが紛れ込んでいたのです。

血が付いたスマイリーフェイスのバッジはウォッチメンで活躍するヒーロー、コメディアンが身に付けている道具であり、それと同時に「ウォッチメン」のシンボルと言える物になっています。

つまり、このシンボルが「シャザム!」に登場したのはDCEU内にウォッチメンの存在を示唆するための、監督が仕込んだイースターエッグだと言えるのです。

2021年の時点で「ウォッチメン」はDCEUの枠組みに含まれていませんが、今後“ウォッチメンのヒーローたち”が登場してくるかもしれませんね。

元祖ヒーロー“スーパーマン”

スーパーマンは、もちろん本作に関わりを持っています。

しかも他のヒーローとは異なり、彼だけは実際に姿を表しているのです。

映画のエピローグでシャザムが友人として連れてきた相手こそが、クラーク・ケントことスーパーマンでした。

突然の登場に驚かされた観客も多かったのではないでしょうか。

ちなみにですが、スーパーマンを演じるヘンリー・カヴィルは、他映画の撮影スケジュールと被ってしまい出演することができませんでした。

しかしスタントマンがスーパーマンを代わりに演じ、首から上を映さず一切喋らないことで、カヴィル不在の中でもスーパーマンを表現できたのです。

他にもスーパーマンの体に当たって弾かれた銃弾が、ヒーローオタクのフレディによって保管されている話がありました。

その弾には鑑定書が付いており、約数万円の価値があると言われているため、彼の人気が異常なまでに高いことが分かります。

まとめ

映画「シャザム!」はDCEUとしてかなり挑戦的な作品に仕上がっています。

今までにない軽快なストーリー、コメディ要素に満ちた作風といった、今までのDCEUにはなかった要素が沢山取り込まれているからです。

また、子供だったビリーが立派なヒーローとして成長していく姿も見どころに溢れています。

そんなさまざまな要素によって、「シャザム!」はDCEUにありがちだったダークな雰囲気を払拭することに成功しました。

新しい風をDCEUに運んできたシャザム、シリーズファンの人にはぜひ観てほしい作品です。

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眺めのいい部屋(ネタバレ・考察)「?」マークの意味とは?情熱と慎みの間で揺れるヒロインの心の旅路。 https://cinemaxina.com/a-room-with-a-view/ https://cinemaxina.com/a-room-with-a-view/#respond Fri, 12 Aug 2022 01:00:21 +0000 https://cinemaxina.com/?p=29401 出典 : (C)1985 A ROOM WITH A VIEW PRODUCTIONS LTD. ALL RIGHTS RESERVED. 映画「眺めのいい部屋」は、20世紀初頭の身分階級がまだ厳しかった時代の恋愛模様と、イタリア・イギリスの優美な風景、そして美しい衣装の数々も楽しめるラブロマンス映画です。 E・M・フ

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出典 : (C)1985 A ROOM WITH A VIEW PRODUCTIONS LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

映画「眺めのいい部屋」は、20世紀初頭の身分階級がまだ厳しかった時代の恋愛模様と、イタリア・イギリスの優美な風景、そして美しい衣装の数々も楽しめるラブロマンス映画です。

E・M・フォースター原作の同名小説(1908年)をイギリスの名匠ジェームズ・アイヴォリー監督が映画化しました。

人気女優ヘレナ・ボナム=カーターの長編映画初出演作品で、「ハリー・ポッター」シリーズでマクゴナガル副校長を演じたマギー・スミスや、イギリス演劇界の大御所ジュディ・デンチが出演しています。

情熱を秘めた若い令嬢と、「生きること」への熱い思いを抱く青年の心の旅路を描いた傑作です。

映画に出てくる「?」の意味やヒロインの心の変遷など、この映画のネタバレ・考察・小話をご紹介しましょう。

映画のオープニングで流れる曲は、プッチーニ作曲のオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」です。
自分の父親に彼氏を紹介する女性の歌で、真実の愛を見つけるルーシーの立場とリンクする曲となっています。

眺めのいい部屋(1986年)

見どころ
格調高い美術や衣装、美しい映像が高い評価を受け、アカデミー賞3部門を受賞した名作。ヘレナ・ボナム=カーター、ダニエル・デイ=ルイスら後の名優が顔を揃える。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
20世紀初頭。イギリスの良家の令嬢・ルーシーは、旅先のフィレンツェで風変わりな青年と出会い強く惹かれあう。しかし、それに気づいた従姉は、ルーシーをイギリスに連れ帰ってしまう。数カ月後、ルーシーは家柄の良いセシルの求婚を受け入れていたが…。
出典 : video.unext.jp

眺めのいい部屋(ネタバレ・考察)

「眺めのいい部屋」は、イギリスの良家の令嬢・ルーシーが、イタリアに旅をし、本来なら出逢うことがなかった階級が違う青年ジョージと出逢って真実の愛に目覚める映画です。

階級の違う者同士の交際に悪いイメージを持たれていた時代背景の中で、令嬢と下層階級の男の旧時代的なしきたりを壊す様がとてもドラマチックに美しく描かれています。

物語の中心となる二人が出逢った経緯についてお伝えしましょう。

「眺めが良くない部屋」

ルーシーは、年配の従姉で付添いのシャーロットと、イタリア・フィレンツェを旅していました。

イギリス人観光客が多く宿泊するペンション「ベルトリーニ」に着いて、楽しみにしていた眺望を確かめようと部屋の窓を開けてみると、予約時に約束した「眺めのいい部屋」ではなかったのです。

ルーシーとシャーロットが食堂で部屋のことを愚痴っていると、見知らぬ男性二人から話しかけられます。

エマソンとジョージと名乗った英国人父子の二人は、眺めのいい部屋との交換を申し出てくれたのでした。

しかし、シャーロットの表情は険しくなります。

見知らぬ女性にいきなり話しかけるのはマナー違反で、大変失礼なふるまいなのです。

また、彼らの使っていた言葉は、下層階級の英語でした。当時は同じ英語であっても、下層階級の人々が使う言葉には訛りがあることが多かったのです。

このぶしつけな男性たちに部屋を交換してもらうことは、体面を考えると慎みが無い行為のようにシャーロットは考えました。

彼女は本当は部屋を替えて欲しかったのですが、丁寧にエマソン父子に断りの返事を伝えます。

ルーシーとシャーロットは、ペンションのラウンジで話し合いました。

若いルーシーは彼らが親切心から申し出てくれているのだから、部屋を替えてもらうべきと主張します。

ルーシーは、良家の生まれではあるものの比較的身分にこだわらない新しい考えを持っていたのです。

シャーロットは、仕方なく、そこに居合わせた同宿のイギリス人牧師・ビーブ氏の仲介で大聖堂とアルノ川が見える部屋に交換してもらうのでした。

シャーロットはずいぶん格式張った考えの人ですね。
当時の上流・中流階級の人はそれが当たり前だったようです。

時代背景

時は1907年のイギリス。ヴィクトリア朝時代(1837年~1901年)が過ぎ、身分の違いを気にしない新しい考え方の人々が台頭し始めていました。

ヴィクトリア朝時代は、イギリスが世界の工場にのし上がり、多数の植民地をかかえ、最も裕福だった時代。

人々は階級にはっきり分かれ、社交マナーが細かく決まっていて、昔ながらの格式張った考え方がはびこっていた時代です。

階級は、大きく分けて上流階級(貴族、大地主)、中流階級(新興ブルジョワ階級)、下層階級(労働者)の3つでした。

上流階級の貴族は領地を小作人に耕させ、自分は馬車で領内を見回るだけという、働く必要が無い優雅な暮らしをしていたのです。

中流階級の「新興ブルジョワ」とは、弁護士や医者など、事業で成功して裕福になった人を指します。

下層階級は、会社の従業員として働いている人、清掃業、農場、鉱山、工場などで働く人々です。

上流・中流階級の慣習やマナーは、下層階級のそれとは全く違うものでした。

ルーシーは亡き父親が弁護士だったので、中流階級に属しています。

エマソン父子は下層階級でした。

部屋を交換してもらったことが階級の違うルーシーとジョージが出逢うきっかけになって、恋愛の障害を乗り越えていくドラマに繋がります。

さすが良家の令嬢!付添人とのイタリアの旅なんてルーシーは優雅ですね!
当時、付添人と旅に出るのは、良家の子女の教育の一環でもありました。

ビーブ牧師の「予言」

ピアノ演奏が趣味のルーシーは、ラウンジでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」を弾きました。

ルーシーのしとやかな立ち居振る舞いにはまるで似つかわしくない迫力ある演奏に、ビーブ牧師は驚嘆し、ルーシーに「ピアノを弾く情熱を『生きること』に向けるなら、あなたは素晴らしい人生を送れるでしょう」と声をかけます。

ルーシーが「生きること」への情熱を手に入れる道程を描くこの映画に欠かすことのできない、作品の先行きを暗示するような牧師の言葉でした。

死ぬこと、生きること

ストーリーが進んでくると、視聴者は、ジョージが何かに疑問を持っていることに気が付きます。

そして、彼はある事件によってその疑問を解いていきます。

どういう考察ができるかお伝えしていきましょう。

ジョージが描いたクエスチョンマークとは?

ジョージは、食事中、なぜかお皿に載った食べ物を、「?(クエスチョンマーク)」の形に並べていました。

また、ジョージが譲ってくれた眺めのいい部屋に掛けてあった備え付けの絵画の額が裏返しになっていて、大きい「?」の字が描いてあります。

この「?」は何を意味しているのでしょう?

ジョージは相当深い悩みに取り憑かれているようです。

ルーシーがサンタ・クローチェ教会でエマソン氏と偶然会ったとき、彼は悩んでいる息子のことを、いつも生きること・世の中のことを考えていて暗く沈んでいると、心配していました。

ジョージの愛読書はショーペンハウエルの哲学の本だということからも、彼は「生きること」とはどういうことかという、とても抽象的な悩みを抱えているのがわかります。

彼にとって人生とは具体性のない、ぼんやりしたものだったので、「?」と表現するしかなかったのでした。

しかし、やがて彼は「生きること」への情熱に目覚めていくのです。

ジョージの目覚め

ある日、フィレンツェの街を一人で観光していたルーシーは、シニョーリア広場にたどり着きました。

すると、なんと広場で、地元の青年たちが喧嘩を始め、一人が刺されて殺される騒ぎになります。

血を見て気絶したルーシーを、偶然行き合わせたジョージが抱きとめて介抱します。

目覚めたルーシーは、ジョージに助けてくれたことについてお礼を言って「こんな事件って簡単に起こるものなのですね。でも人はすぐにまた元の生活に戻るのでしょう」とつぶやきました。

しかし、ジョージは「僕は元の生活には戻らない。僕には何かが起こった。あなたにも」と言うのです。

「元の生活には戻らない。何かが起こった」とはどういう意味でしょうか。

ジョージに起こった変化を考察してみましょう。

彼は、人が死ぬところを見てショックだったに違いありません。

しかし、疑問だった「生きること」の答えをこの時、得たように思われたのでした。

彼は人の死に接して「生きること」への情熱に目覚めたのです。

人は「死」で終わるのなら、悔いなく思いのままに生きてみようとジョージは思うのでした。

映画「眺めのいい部屋」は、思い切り「生きること」を肯定するストーリーとなっています。

「何かが起こった。あなたにも…」

今、まさにジョージの目の前には未知の世界が広がっていて、これからの人生への期待で胸が一杯になります。

すると、腕に抱きとめたルーシーがこの上なく愛しいものに思えたのです。

原作にはこんなジョージの言葉が載っています。「僕は生きたかった。喜びをつかみたかった」

心に情熱を秘めた魅力的なルーシーは、彼にとって、「生きる上での喜び」になりました。

ジョージはルーシーに恋したのです。

「僕は元の生活には戻らない」とは、ジョージは情熱や恋を知る以前には、もはや「もう戻れない」という意味でしょう。

そして彼はこの瞬間を共有したルーシーに、「あなたにも」つまり「あなたも恋に落ちたはずだ」と言いますが、自分の気持に気がつかないルーシーには何のことかわかりませんでした。

映像と音楽の美しさが堪能できる

映画「眺めのいい部屋」では、みずみずしく美しい風景、優雅な音楽が楽しめます。

例えば、ルーシーとシャーロットは、ビーブ牧師、エマソン父子など同宿の客たちと馬車でフィレンツェ近郊にピクニックに出かけますが、その時の主人公二人のキスシーンが美しかったです。

野原を歩いていたルーシーは、突然、ジョージがいる麦畑に出ます。

ジョージは、ルーシーが現れたので驚きました。彼女が天国から来た女神のように、喜びに満ちあふれて見えたのです。

彼は、何も言わず彼女に駆け寄りキスをします。

太陽の光がさんさんと降り注ぐ午後のことでした。

ポピーの花が咲き、金色の麦畑に立つ、オフホワイトのジャケットを着たジョージと、白いドレスを着たルーシー。

まるで一枚の絵画のような美しさです。

流れるのは、有名なオペラ歌手キリ・テ・カナワが歌う、プッチーニ作曲・オペラ「つばめ」のアリア「ドレッタの夢」でした。

この歌は、裕福な王からのプロポーズを拒否して、恋する男子学生とキスをする女性の熱い思いを歌っているので、ルーシーとジョージの情熱あふれるキスシーンにピッタリの曲になっています。

ロマンチックなこの歌をキスシーンに合わせてくるとは、叙情的な表現を好むジェームズ・アイヴォリー監督らしい心憎い演出です。

本作を観て映像と音楽の美しさをお楽しみください。

セシルとの婚約

ジョージとのキスの事件は、ただの旅の出来事として、ルーシーの心の奥深くにしまい込まれました。

イギリスに帰国して数ヵ月後、ルーシーは、自分の家よりも上の階級のセシル・ヴァイズからのプロポーズを受け入れます。

ここでは、セシルとジョージの二人の男性の間で揺れるルーシーの女心が描かれるのです。

情熱がない男

良家の令嬢・ルーシーにとって、高い階級のセシルと結婚することは自然でした。

婚約者セシルは、「働く必要」が無く、上流階級の英国紳士として非の打ち所がない服装をし、折り目正しくふるまい、常識から外れたことをしない男でした。

セシルとルーシーは照れたような面持ちで、二人で連れ立って散歩に出かけます。

おそるおそるルーシーにキスをしていいか尋ねるセシル。

不器用なキスが、閉鎖的で禁欲的なセシルの性格をよく表しています。

ルーシーはこの時、ジョージとキスした時とは違って、何の感動も無いことに気づくのです。

セシルは、ルーシーを魅了することができません。

彼には自分の感情に素直に行動するような「生きること」への情熱が無いのでした。

二人の男性の間で

上流階級の婚約者・セシルのキスに違和感を感じるルーシーでしたが、婚約披露パーティーを開くなど、二人は社交界で忙しい日々を過ごしていました。

そんな折に、なんと偶然にも、ルーシーの屋敷の近所にエマソン父子が引っ越してきます。

単なる旅先の出来事でしかなかったジョージとのキスの思い出が、ルーシーの心に蘇るのです。

ルーシーは、どちらの男性を選ぶのでしょうか。
上の階級のセシルを選ぶのか、下の階級のジョージを選ぶのか…。女性にとって重要な問題ですね。

ジョージとセシルの違い

ジョージとセシルの違いが描写されているシーンをご紹介しましょう。

ルーシーの弟・フレディーは、ジョージと親しくなります。

ある暑い日の午後、フレディーと意気投合したビーブ牧師とジョージの三人は、近くの池で、服を脱いで水浴びを始めました。

三人は子どものように水を掛けあってはしゃぎます。

彼らは、ついには裸で池の周りを走って、追いかけっこを始めるのです。

そんなとき、池を通りかかったのが、ルーシーとセシル、ルーシーの母の三人です。

ジョージは、一糸まとわぬ姿でルーシーの前に姿を現しました。

水浴びしていた男性たちは、裸でいるところを見られてしまいますが、逆にセシルは、男性たちの裸を見せまいと、池から女性を遠ざけようとして「こっちへ」と導くのです。

セシルは、ジェントルマンとして、女性とは男性が導き守るものだと思っているのでした。

それはもはや過ぎ去ろうとするイギリス・ヴィクトリア朝時代的な価値観による考えにほかなりません。

このシーンは、情熱あふれるジョージと、池からルーシーを遠ざけようとする、上流階級の人間として慎み深いセシルの違いを表しているのです。

セシルは古い時代を、ジョージは新しい時代を象徴していることを示しています。

「眺めのいい部屋」

ルーシーは、誰も見ていないところで二回目のキスをしたジョージに、「私は婚約しているから、二度と来ないでください」と言い渡します。

そして、彼女はセシルとの婚約をも解消してしまうのです。

セシルばかりか、ジョージまで拒絶してしまったルーシー。

彼女はこれからどういう道をたどるのでしょうか?

婚約破棄をした彼女は世間体を考え、今度はギリシャへ旅立とうとしていました。

この時点でまだルーシーも世間体などという、ヴィクトリア朝時代的な価値観にとらわれていたのです。

しかし、彼女は牧師館で会ったジョージの父親・エマソン氏に、「あなたはジョージを愛していますね?それなのに何故ギリシャへ旅立とうとしているのですか?」と問われます。

「あなたは自分にウソをついている。それは、本当はジョージと一緒に居て楽しいのに、身分が違うから嫌だと言ってみせるとか、そういうことですよ」

慎みや体面を気にして、望む物があるのに望まないふりをするというのは、上・中階級のたしなみとされます。

しかしエマソン氏の言葉で我に返ったルーシーは、ようやく涙を流しながら満面の笑みを浮かべ、口に出して言うことができました。

「もちろんジョージを愛しているわ!」

この時、彼女はヴィクトリア朝時代的な価値観から完全に抜け出し、「生きること」への情熱を手に入れたのです。

このシーンでは、原作者のE・M・フォースターが言いたかったことが表現されています。

英国人は、慎みやたしなみといったものにとらわれるあまり、「自分の考えを表に表すことはしない」ということです。

フォースターは、この作品を描くことで英国人の言動を指摘し、皆に「生きること」への情熱を持つことを勧めているのです。

映画は、ルーシーとジョージの新婚旅行で終わりとなります。二人が宿泊したのは、フィレンツェのぺンション「ベルトリーニ」の「眺めのいい部屋」でした。

最後に流れる音楽も、冒頭と同じプッチーニ作曲の「私のお父さん」です。
素敵なエンディングとなっていますね。

脇役の活躍

この映画の魅力の一つに、個性豊かな脇役たちの描写があります。

それら脇役たちの間で揉まれて、ルーシーは成長していくのです。

ルーシーを育てた脇役たち

それぞれの登場人物の性格が実に多彩に描かれています。

古い価値観にとらわれている旅の付添人・シャーロット、読書するだけの面白みのない上流階級の男・セシル、人間臭く聖職者らしからぬビーブ牧師、子どものように純粋なフレディーなど…。

ルーシーは、シャーロットに反発して、セシルという男を知り、ビーブ牧師やフレディーをお手本に、これらの一癖も二癖もある人たちの間で、ジョージとの愛を選ぶ大人の女性になるのです。

シャーロットの役割

シャーロットは、脇役ですが、本作の中で重要な役割を担っています。

彼女は悪気はなくとも、つい他人に迷惑をかけてしまい、「かわいそうなシャーロット!」と皆に言われてしまうような人物です。

そして、ヴィクトリア朝時代的な価値観から抜け出せない女性として描かれています。

ルーシーは、シャーロットを反面教師として古い価値観に気が付くのです。

しかし、劇中で、ルーシーの母親がルーシーとシャーロットがどんどん似てきていると言うシーンがありました。

シャーロットは、ルーシーがジョージに出逢った後に「男については、私にもわかるのよ」と言っていたので、恐らく若い頃身分違いの恋をして叶わなかったことがあるのではないでしょうか。

シャーロットはルーシーの気持ちの移り変わりをよくわかっていたのです。

だからこそシャーロットは最後に、牧師館で、ルーシーとエマソン氏とが二人きりで話すように仕向けました。

古い価値観から抜け出せなかったシャーロットが、いつの間にか、良き従姉としてルーシーの背中を押す役割を果たしています。

トリビアの数々

ここでは「眺めのいい部屋」をもっと楽しめる小話をご紹介しましょう。

スミレの花畑で撮影する予定だった

  
原作では、ルーシーとジョージの一回目のキスは、麦畑ではなく、スミレの花畑ですることになっています。

スミレ(violet) の花言葉は「愛」。 白いスミレの花言葉は「あどけない恋」「無邪気な恋」。 黄色いスミレの花言葉は「つつましい喜び」。

まさにルーシーとジョージにピッタリですね。

しかし、監督は撮影時期がスミレの咲く季節ではなかったため、実がなっていない大麦の畑での撮影を決断しました。

美しい映像がこの映画の特長の一つですが、原作通りスミレの花畑で二人がキスするシーンがあれば、もっと素晴らしかったのではないかと思うのは私だけでしょうか。

美術の美しさ

本作では、ルーシーの自宅の室内装飾、ピアノやカーテン、ウィスキーのデキャンタなど、20世紀初頭当時の豪華で繊細な家具調度の再現が見事です。

また、劇中、セシルが美術館の絵画の前で、偶然エマソン父子と出逢うシーンがあります。

その絵画は、ルネサンス期の画家、パオロ・ウッチェロ(1397~1475)の「サン・ロマーノの戦い」です。

ルネサンスは、「人間らしさ」に重きを置いた芸術の革命でした。

ルネサンス以前の時代では、絵画はキリスト教の教義に合う形式に沿って描かれていたのですが、この絵は、人間からの視点である遠近法で描かれたのです。

「サン・ロマーノの戦い」は、「人間の視点」にフォーカスしたイタリア初期ルネサンスの革新的な作品でした。

まさにジョージが「人間らしい情熱」に目覚めていく過程で接する絵画としてふさわしい作品となっています。

ちなみに、美術館シーンの撮影はロンドンのナショナル・ギャラリーで行なわれました。

この映画は美術や衣装が素敵ですよね。
第59回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、美術賞、衣装賞、脚色賞の3部門を受賞しました。

まとめ

「眺めのいい部屋」には、「体面を気にしすぎて、本当に欲しい物を見失わないで」「生きることへの情熱を忘れないで」というメッセージが込められているのです。

もちろん、「私はセシルの方が好みだしお金持ちだからいいわ」という女性もいるとは思うのですが…。

あなたはジョージとセシル、どちらの男性に心惹かれるでしょうか?

美しい風景・音楽・美術が、あなたをまるで旅に出たかのような気持ちにさせてくれるでしょう。

この映画を観て、ぜひ素敵な想像の旅にお出かけください。

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アルマゲドン(ネタバレ・考察)感動の名作として親しまれる訳とは!?エアロスミスが主題歌を歌う理由も紹介! https://cinemaxina.com/armageddon/ https://cinemaxina.com/armageddon/#respond Fri, 25 Mar 2022 23:00:26 +0000 https://cinemaxina.com/?p=27519 出典 : https://www.amazon.co.jp/ 「アルマゲドン」は1998年にアメリカで公開されたSF映画です。 監督は「バッドボーイズ」(1995年)、「トランスフォーマー」(2007年)などを手掛けたマイケル・ベイ、主演はブルース・ウィリスが務めています。 「アルマゲドン」は小惑星の衝突で滅亡してしま

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「アルマゲドン」は1998年にアメリカで公開されたSF映画です。

監督は「バッドボーイズ」(1995年)、「トランスフォーマー」(2007年)などを手掛けたマイケル・ベイ、主演はブルース・ウィリスが務めています。

「アルマゲドン」は小惑星の衝突で滅亡してしまう地球を救うべく、宇宙へ飛び立ったならず者たちの奮闘を描いた物語です。

1998年の全世界年間興行収入1位を達成するほどの人気を持つ「アルマゲドン」は、2021年現在でも感動の名作として語り継がれる作品になっています。

本作の人気は海外だけでなく日本でも非常に高く、日本の歴代興行収入ランキングではなんと総合”15位”に入っているほどです。

そんな「アルマゲドン」の感動的な要素に力を入れた映画制作や登場人物の活躍などに触れていきながら、本作の魅力を紹介していきます。

ちなみに世界での興行収入は約600億円、日本での興行収入は約135億円と言われているよ。

アルマゲドン(1998年)

見どころ
ブルース・ウィリスが主演し、リヴ・タイラーが愛娘役を演じた本作。リヴの実父、スティーヴン・タイラーが所属するエアロ・スミスの主題歌が涙を誘う。
出典 : video.unext.jp

ストーリー
テキサス州並みの大きさを誇る小惑星が18日後に地球と衝突することが発覚。NASAは小惑星を核爆弾で破壊する計画を打ち出し、石油発掘のプロであるハリーに白羽の矢を立てる。ハリーは娘の恋人で部下のA.J.をはじめ、信頼の置ける仲間たちを招集するが…。
出典 : video.unext.jp

アルマゲドン(ネタバレ・考察)

2021年現在でも感動の名作として広く語り継がれる映画「アルマゲドン」。

そこで「アルマゲドン」が感動できる映画として親しまれる理由を、いくつかの要素に分けて考察していきます。

分かりやすく彩られた物語や演出

「アルマゲドン」のストーリー展開は非常に分かりやすく、初めてこの映画を観る人であっても楽しみやすい映画になっています。

登場人物の演技や映像、ストーリーに合わせた音楽などにより、今観ている場面がどんな状態なのか非常に理解しやすいです。

そして感動させたいと監督が意図している場面では、観客を感動させるために用意された演出がいくつも組み合わせて使われています。

そのため物語が盛り上がる場面が非常に分かりやすく、洋画の入門として非常に適した作品だといえるでしょう。

ここまで上手く映画を組み立てた監督の手腕に、思わず驚かされてしまいますね。

人間味あふれるならず者たちが地球を救う鍵!?

地球を救うために立ち上がったのは、映画の主人公にありがちな素晴らしい人格の”英雄”ではなくハリーが率いる石油採掘を生業としているならず者たちの集まりでした。

彼らは任務をこなすために必要な採掘の技術は素晴らしい腕ですが、非常に素行が悪くて人間性にも問題がある人たちです。

宇宙飛行士の適性検査は全員不合格、宇宙に行くため必要な対重力の訓練では弱音を吐き、自分の命がかかっている重要な座学すらまともに受けない彼らは正に”ならず者”であり、破天荒な連中だといえます。

また、地球の危機という一大事であるのにもかかわらず、報酬をきっちりと要求するところなどもちゃっかりしていて人間味に溢れているのです。

「アルマゲドン」は彼らが活躍する映画であるため、人間らしく等身大の姿を見せてくれる登場人物たちにとても感情移入がしやすい映画だといえます。

ならず者なのにどこか親しみやすい人たちですよね!
そんな彼らが”英雄”に変わっていくのも、本作の見所だと言えますよ。

諦めずに困難に立ち向かうならず者たち

宇宙飛行士として最低限の訓練をなんとか終えて宇宙に飛び立ったハリーたちですが、彼にはさまざまなトラブルが襲いかかってきます。

老朽化した宇宙ステーションの爆発に始まりスペースシャトルの墜落、大統領の命令による核爆弾の起爆未遂、採掘装置の度重なる故障など…。

これらのトラブルによって採掘チームたちは一人ずつ命を落としていき、ハリーたちは次第に追い込まれていきます。

特にスペースシャトルが墜落した時は、その場に居合わせた全員が絶望してしまうほどの大きな衝撃が走りました。

そんな諦めても仕方がないと思えるほどの絶望的な状況であっても、決して諦めようとしないハリーたちの胆力に心を打たれることでしょう。

ハリーとA.Jの厚い信頼関係

ハリーは娘のグレースと隠れて付き合っていたA.Jとは、表面上強くいがみ合っていました。

しかし彼らは心の底でお互いに信頼し合っていることが見えており、血が繋がっていないのにもかかわらず、本当の親子のような関係に感じられます。

A.Jたちが乗っているスペースシャトルが墜落した時、ハリーは真っ先に彼を心配するもその後「アイツが勝手に死ぬ訳がない」とつぶやいており、A.Jに対する信頼が強く現れていました。

ハリーたちはA.Jが居ないまま採掘を進めていきますが、後少しで目標地点まで掘れるという時に、突然起きた地割れで採掘機が部下ごと奈落に飲み込まれてしまいます。

数多くの困難を乗り越えてきたハリーですら絶望してしまう状況でした。

そこに駆けつけてきたのが、小惑星に墜落したものの九死に一生を得ていたA.Jたちです。

その時ハリーが感じた気持ちはA.Jが生きていたという嬉しさと「やはりアイツは生きていた!」という彼に対する信頼でした。

彼らの不器用だけどお互いを思う心が、映画に感動をもたらす一要素となっています。

ハリーが最後に取った決断とは

穴を掘り終え後は小惑星から離れるだけだった採掘チームですが、地震の影響で遠隔起爆装置が壊れてしまい、一人だけ小惑星に残って爆弾の近くで起爆装置を押す必要ができてしまいます。

ここでは採掘チームのメンバー全員が、自分で起爆装置を押しに行くと言って譲らないなど、英雄になりたいという願望や自己犠牲の精神が見えてくる一場面です。

誰も譲ろうとしなかったためこの場に残る人はくじ引きで決めますが、A.Jがハズレを引いてしまって小惑星に1人残ることになります。

しかし下まで見送りに来たハリーが突然A.Jから起爆装置を奪い取ったあと、彼を宇宙船に無理やり押し戻し、代わりに一人で起爆に向かったのです。

なぜハリーがA.Jの代わりに残る選択を取ったのか、それは娘のグレースと、彼女と付き合うA.Jのことを思った行動ではと考えられます。

既に年を取っているハリーではグレースを見守り続けることができません。

更に彼は非常に不器用な性格であり、娘とのコミュニケーションを今まで上手く取れていませんでした。

そのため、グレースが最も信頼できて共に寄り添っていける相手のA.Jを地球に帰らせることこそが、グレースの幸せにつながるとハリーは考えたのでしょう。

ハリーは自分の命を犠牲にして英雄になりたかった訳ではなく、グレースとA.Jのこれからの未来を思ったからこそ、彼の代わりに残ることを決意したのです。

ハリーの取った行動に涙が止まりません…。
これぞ”究極の親子愛”だといえる、この映画で特に感動的な場面だといえます。

皆の命を救った”ロシア式”の修理方法とは?

映画の終盤でスペースシャトルが動かなくなってしまった際、レヴが「これがロシア式の修理だ!」と言いながらレンチで機械を殴ります。

するとどういう訳か宇宙船が再び動き出し、彼らはなんとか爆発寸前の小惑星を脱出することに成功しました。

そんな不思議が詰まっている”ロシア式の修理”について考察していきます。

”叩くと直る”は本当なのか?

レヴが行っていた”機械を叩くと直る”というものは、現実世界でも見ることのできた現象ですが、一体どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。

これは昔のテレビなどで見られる、画面が映らなくなった時にテレビの本体を叩いたりすると再び映る現象のことを指しています。

それだけ聞くと叩くだけでテレビが直っているように見えますが、不具合が叩いたことで一時的に解消されただけなのです。

叩いたことで起きるのはテレビの中の接触不良が一時的に改善したり、衝撃で中に積もったホコリが落ちて電気を再び通すだけであり、故障に対する根本的な解決はできていません。

そのため、”叩くと直る”という事実は正しくなく、機械の不具合に関しては専門家に任せることが一番重要だといえます。

時代が進んで”叩くと駄目”に!

叩くと一時的に直ることがあった昔の機械ですが、現在使われている機械は決して叩いて直そうと試みてはいけません。

2000年以降続々と登場してきた電子機器は、今までの機械と違ってほんの少し衝撃を与えるだけで不具合を起こしてしまいます。

これは今の機械が昔に比べてICチップのような精密な部品を使い始めたためです。

そのため「アルマゲドン」での一場面みたいに精密な機械を叩くのは絶対に止めましょう。

今でも昔からの癖で、電子機器の調子が悪い時に叩いて直そうと考えている方は注意が必要です。

立ち寄ったロシアの宇宙ステーションで事故が起きたのは、もしかしたら”ロシア式修理”が原因かもしれませんね。

小惑星を真っ二つにする爆弾の威力はどれほどなのか?

「アルマゲドン」で宇宙から飛来してきた小惑星は、テキサス州ほどの大きさ(約1000km)の小惑星です。

映画では一つの爆弾だけで小惑星を真っ二つにしていましたが、あの小さな爆弾で破壊できるとは到底考えられません。

そこで今回は実際に練られていた小惑星を破壊する計画についてや、どんな爆弾があれば小惑星を破壊できるのかを考察していきます。

アルマゲドン計画は実際に練られていた!?

”小惑星の衝突をどうやって防ぐのか”が「アルマゲドン」の物語ですが、実は映画の上映より数十年も前にこのことについて考察をした人たちが居たのです。

19年周期で地球に接近する小惑星の「イカルス」が地球に衝突することを想定した議題で、1967年にマサチューセッツ工科大学の教授と生徒たちによって議論されていました。

そんな彼らが出した結論は早期に小惑星を発見して、爆弾の衝撃で軌道をそらすというものです。

小惑星を爆弾で破壊するためには、直径が1kmという大きさの「イカルス」ですら約1000メガトンという途轍もない威力の爆弾が必要になります。

1000メガトンというのは当時開発されていた最強の核爆弾の20倍近い出力であり、そんな爆弾を用意した上で遥か彼方の小惑星にぶつけることは当時の技術ではまず不可能です。

つまり、「アルマゲドン」で登場する小惑星を破壊するためには、よほど破壊力の高い爆弾が無い限りできないということが分かります。

小惑星を破壊するにはどれほどの爆弾が必要なのか?

直径1kmの「イカルス」を破壊するのでさえ、非常に強力な爆弾が必要だと言われています。

それよりも遥かに大きい「アルマゲドン」の小惑星を破壊するにはどんな爆弾が必要なのでしょうか。

実は2012年に「アルマゲドン」で登場する小惑星を破壊するための作戦について考察した論文が、英レスター大学の研究チームによって書かれています。

ちなみに論文の題名は「Could Bruce Willis Save the World?(ブルース・ウィリスは世界を救えるか?)」であり、非常に格好良いタイトルです。

しかし、その論文では「現在の技術だと、地球をアルマゲドンからこのような手段で守ることはできない」という結論が出されました。

理由は非常に明確で、「アルマゲドン」で登場する小惑星を真っ二つに破壊するためには地球上で使われたことのある最強の核爆弾より”10億倍”の出力を持つ爆弾が必要だと計算されたためです。

そんな爆弾は当然地球に存在せず、映画のような爆破を試みるのは無謀としか言いようがありません。

もし衝突を防ぎたいのであれば小惑星に地球とは違う方向に向かう推進装置を設置して、進路を地球からずらすことが一番現実的な方法だとこの論文では考察されています。

「アルマゲドン」という映画の内容に対して夢もロマンもありませんが、これが現在の技術で映画の作戦を考察した人たちの見解です。

映画に対して論文で科学的考証に突っ込むなんて、彼らはロマンが分かっていませんね!
逆に考えるとこの映画は論文を書く題材として認められるほど、人々から愛されている映画だといえますよ。

「アルマゲドン」をより楽しむためのトリビアたち

ここまでは”感動的な映画”というポイントに焦点を当て、「アルマゲドン」という映画を紹介していきました。

しかしそれらの要素以外でも、映画の内容に直接関わらないものの、作品を彩るトリビアなどがいくつか存在しているのです。

そんな「アルマゲドン」に秘められた、映画をより楽しむための情報などを紹介していきます。

エアロスミスがアルマゲドンで主題歌を歌った理由とは?

アルマゲドンの主題歌は、世界的に有名なロックバンドグループのエアロスミスによって歌われた「ミス・ア・シング」です。

そんな世界的なロックバンドグループのメンバーが、「アルマゲドン」の主題歌を歌ったのには一つの理由がありました。

実はハリーの娘役、グレースを演じた女優のリヴ・タイラーはエアロスミスのボーカルであるスティーヴン・タイラーの娘だったのです。

スティーヴンはリヴに対してとても甘く、女優を目指す彼女の活動をエアロスミスのボーカルという立場を使いながら手助けしています。

「アルマゲドン」の主題歌を担当したのも、彼女の俳優業をサポートしてあげたかったためなのではないでしょうか。

余談ですが、グレースがハリーに泣きながら別れを告げる場面で、リヴの演技は父役であるブルース・ウィリスではなく実の父、スティーヴンの写真を見ながら演技していました。

彼女は実の父を見ながら別れの場面を演じることによって、よりリアルな感情表現ができたそうです。

親子の仲がとても良好であることが見えてくる、とても微笑ましいエピソードになっています。

最高と最低の賞に同時ノミネートされた!?

「アルマゲドン」がノミネートされた最高の賞とは、ほとんどの人が一度は耳にしたことがある”アカデミー賞”のことを指しています。

アカデミー会員からの支持が最も多かった映画がノミネートされ、これに選ばれるのは映画業界でとても名誉なことです。

一方最低な映画に与えられるのは”ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)”で、これはアカデミー賞を茶化したイベントで授与されます。

ラジー賞は一年を通して特に否定的な意見が多かった映画を選び表彰するイベントであり、映画業界では絶対に選ばれたくない不名誉な賞です。

「アルマゲドン」は興行的に大成功を収めますが、作品に対して賛否両論の意見が飛び交っていました。

その結果、「アルマゲドン」はアカデミー賞で4部門にノミネートされましたが、ラジー賞でも5部門にノミネートされ、2部門で受賞してしまいます。

つまり「アルマゲドン」は最高と最低の映画を表彰するイベントの両方で複数選ばれてしまったのです。

特に主題歌の「ミス・ア・シング」はアカデミー賞とラジー賞の両楽曲部門でノミネートされるという珍しい事態を引き起こしました。

他にも両方の賞でノミネートされた映画はあるのでしょうか?
「アルマゲドン」の他には2021年現在で5作品存在しており、その中でも「ウォール街」(1988年)という映画は両方の賞を獲得してしまった作品です。

日本の有名アイドルが映画に登場していた!?

実は「アルマゲドン」に日本の名アイドル、松田聖子がカメオ出演という形で登場していました。

カメオ出演とは、有名人を一瞬だけ登場させることで作品の話題性を高める効果を狙う、映画で広く使われる手法の一つとなっています。

実は監督のマイケル・ベイが松田聖子のミュージックビデオ制作に携わっており、その縁で彼女に映画出演の依頼がきたそうです。

名アイドルの松田聖子がハリウッド映画に出演したことは上映当時の日本で話題になりました。

ちなみに彼女は映画の序盤で流星群が降り注ぐ中、早く買い物がしたいと言い出すマイペースな観光客を演じています。

出番は一瞬だけですが、松田聖子がその後どうなったのか気になった人は、是非「アルマゲドン」を観てみましょう。

まとめ

「アルマゲドン」はならず者たちが地球の命運を背負い小惑星に挑む壮大な物語です。

ハリーたちが訓練や宇宙での試練を通じて、ならず者から”英雄”に変わっていくのは涙なしには観られません。

また、個性的な登場人物たちによって描かれる人間ドラマや、間に挟まれたクスリと笑えるコメディ要素にも注目です。

映画が上映されてから長い年月の経った今でも多くの人々に親しまれる映画「アルマゲドン」。

感動できる映画が好きな人には特におすすめの作品です。

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