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映画「眺めのいい部屋」は、20世紀初頭の身分階級がまだ厳しかった時代の恋愛模様と、イタリア・イギリスの優美な風景、そして美しい衣装の数々も楽しめるラブロマンス映画です。
E・M・フォースター原作の同名小説(1908年)をイギリスの名匠ジェームズ・アイヴォリー監督が映画化しました。
人気女優ヘレナ・ボナム=カーターの長編映画初出演作品で、「ハリー・ポッター」シリーズでマクゴナガル副校長を演じたマギー・スミスや、イギリス演劇界の大御所ジュディ・デンチが出演しています。
情熱を秘めた若い令嬢と、「生きること」への熱い思いを抱く青年の心の旅路を描いた傑作です。
映画に出てくる「?」の意味やヒロインの心の変遷など、この映画のネタバレ・考察・小話をご紹介しましょう。
眺めのいい部屋(1986年)
見どころ
格調高い美術や衣装、美しい映像が高い評価を受け、アカデミー賞3部門を受賞した名作。ヘレナ・ボナム=カーター、ダニエル・デイ=ルイスら後の名優が顔を揃える。
出典 : video.unext.jp
あらすじ
20世紀初頭。イギリスの良家の令嬢・ルーシーは、旅先のフィレンツェで風変わりな青年と出会い強く惹かれあう。しかし、それに気づいた従姉は、ルーシーをイギリスに連れ帰ってしまう。数カ月後、ルーシーは家柄の良いセシルの求婚を受け入れていたが…。
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眺めのいい部屋(ネタバレ・考察)
「眺めのいい部屋」は、イギリスの良家の令嬢・ルーシーが、イタリアに旅をし、本来なら出逢うことがなかった階級が違う青年ジョージと出逢って真実の愛に目覚める映画です。
階級の違う者同士の交際に悪いイメージを持たれていた時代背景の中で、令嬢と下層階級の男の旧時代的なしきたりを壊す様がとてもドラマチックに美しく描かれています。
物語の中心となる二人が出逢った経緯についてお伝えしましょう。
「眺めが良くない部屋」
ルーシーは、年配の従姉で付添いのシャーロットと、イタリア・フィレンツェを旅していました。
イギリス人観光客が多く宿泊するペンション「ベルトリーニ」に着いて、楽しみにしていた眺望を確かめようと部屋の窓を開けてみると、予約時に約束した「眺めのいい部屋」ではなかったのです。
ルーシーとシャーロットが食堂で部屋のことを愚痴っていると、見知らぬ男性二人から話しかけられます。
エマソンとジョージと名乗った英国人父子の二人は、眺めのいい部屋との交換を申し出てくれたのでした。
しかし、シャーロットの表情は険しくなります。
見知らぬ女性にいきなり話しかけるのはマナー違反で、大変失礼なふるまいなのです。
また、彼らの使っていた言葉は、下層階級の英語でした。当時は同じ英語であっても、下層階級の人々が使う言葉には訛りがあることが多かったのです。
このぶしつけな男性たちに部屋を交換してもらうことは、体面を考えると慎みが無い行為のようにシャーロットは考えました。
彼女は本当は部屋を替えて欲しかったのですが、丁寧にエマソン父子に断りの返事を伝えます。
ルーシーとシャーロットは、ペンションのラウンジで話し合いました。
若いルーシーは彼らが親切心から申し出てくれているのだから、部屋を替えてもらうべきと主張します。
ルーシーは、良家の生まれではあるものの比較的身分にこだわらない新しい考えを持っていたのです。
シャーロットは、仕方なく、そこに居合わせた同宿のイギリス人牧師・ビーブ氏の仲介で大聖堂とアルノ川が見える部屋に交換してもらうのでした。
時代背景
時は1907年のイギリス。ヴィクトリア朝時代(1837年~1901年)が過ぎ、身分の違いを気にしない新しい考え方の人々が台頭し始めていました。
ヴィクトリア朝時代は、イギリスが世界の工場にのし上がり、多数の植民地をかかえ、最も裕福だった時代。
人々は階級にはっきり分かれ、社交マナーが細かく決まっていて、昔ながらの格式張った考え方がはびこっていた時代です。
階級は、大きく分けて上流階級(貴族、大地主)、中流階級(新興ブルジョワ階級)、下層階級(労働者)の3つでした。
上流階級の貴族は領地を小作人に耕させ、自分は馬車で領内を見回るだけという、働く必要が無い優雅な暮らしをしていたのです。
中流階級の「新興ブルジョワ」とは、弁護士や医者など、事業で成功して裕福になった人を指します。
下層階級は、会社の従業員として働いている人、清掃業、農場、鉱山、工場などで働く人々です。
上流・中流階級の慣習やマナーは、下層階級のそれとは全く違うものでした。
ルーシーは亡き父親が弁護士だったので、中流階級に属しています。
エマソン父子は下層階級でした。
部屋を交換してもらったことが階級の違うルーシーとジョージが出逢うきっかけになって、恋愛の障害を乗り越えていくドラマに繋がります。
ビーブ牧師の「予言」
ピアノ演奏が趣味のルーシーは、ラウンジでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」を弾きました。
ルーシーのしとやかな立ち居振る舞いにはまるで似つかわしくない迫力ある演奏に、ビーブ牧師は驚嘆し、ルーシーに「ピアノを弾く情熱を『生きること』に向けるなら、あなたは素晴らしい人生を送れるでしょう」と声をかけます。
ルーシーが「生きること」への情熱を手に入れる道程を描くこの映画に欠かすことのできない、作品の先行きを暗示するような牧師の言葉でした。
死ぬこと、生きること
ストーリーが進んでくると、視聴者は、ジョージが何かに疑問を持っていることに気が付きます。
そして、彼はある事件によってその疑問を解いていきます。
どういう考察ができるかお伝えしていきましょう。
ジョージが描いたクエスチョンマークとは?
ジョージは、食事中、なぜかお皿に載った食べ物を、「?(クエスチョンマーク)」の形に並べていました。
また、ジョージが譲ってくれた眺めのいい部屋に掛けてあった備え付けの絵画の額が裏返しになっていて、大きい「?」の字が描いてあります。
この「?」は何を意味しているのでしょう?
ジョージは相当深い悩みに取り憑かれているようです。
ルーシーがサンタ・クローチェ教会でエマソン氏と偶然会ったとき、彼は悩んでいる息子のことを、いつも生きること・世の中のことを考えていて暗く沈んでいると、心配していました。
ジョージの愛読書はショーペンハウエルの哲学の本だということからも、彼は「生きること」とはどういうことかという、とても抽象的な悩みを抱えているのがわかります。
彼にとって人生とは具体性のない、ぼんやりしたものだったので、「?」と表現するしかなかったのでした。
しかし、やがて彼は「生きること」への情熱に目覚めていくのです。
ジョージの目覚め
ある日、フィレンツェの街を一人で観光していたルーシーは、シニョーリア広場にたどり着きました。
すると、なんと広場で、地元の青年たちが喧嘩を始め、一人が刺されて殺される騒ぎになります。
血を見て気絶したルーシーを、偶然行き合わせたジョージが抱きとめて介抱します。
目覚めたルーシーは、ジョージに助けてくれたことについてお礼を言って「こんな事件って簡単に起こるものなのですね。でも人はすぐにまた元の生活に戻るのでしょう」とつぶやきました。
しかし、ジョージは「僕は元の生活には戻らない。僕には何かが起こった。あなたにも」と言うのです。
「元の生活には戻らない。何かが起こった」とはどういう意味でしょうか。
ジョージに起こった変化を考察してみましょう。
彼は、人が死ぬところを見てショックだったに違いありません。
しかし、疑問だった「生きること」の答えをこの時、得たように思われたのでした。
彼は人の死に接して「生きること」への情熱に目覚めたのです。
人は「死」で終わるのなら、悔いなく思いのままに生きてみようとジョージは思うのでした。
映画「眺めのいい部屋」は、思い切り「生きること」を肯定するストーリーとなっています。
「何かが起こった。あなたにも…」
今、まさにジョージの目の前には未知の世界が広がっていて、これからの人生への期待で胸が一杯になります。
すると、腕に抱きとめたルーシーがこの上なく愛しいものに思えたのです。
原作にはこんなジョージの言葉が載っています。「僕は生きたかった。喜びをつかみたかった」
心に情熱を秘めた魅力的なルーシーは、彼にとって、「生きる上での喜び」になりました。
ジョージはルーシーに恋したのです。
「僕は元の生活には戻らない」とは、ジョージは情熱や恋を知る以前には、もはや「もう戻れない」という意味でしょう。
そして彼はこの瞬間を共有したルーシーに、「あなたにも」つまり「あなたも恋に落ちたはずだ」と言いますが、自分の気持に気がつかないルーシーには何のことかわかりませんでした。
映像と音楽の美しさが堪能できる
映画「眺めのいい部屋」では、みずみずしく美しい風景、優雅な音楽が楽しめます。
例えば、ルーシーとシャーロットは、ビーブ牧師、エマソン父子など同宿の客たちと馬車でフィレンツェ近郊にピクニックに出かけますが、その時の主人公二人のキスシーンが美しかったです。
野原を歩いていたルーシーは、突然、ジョージがいる麦畑に出ます。
ジョージは、ルーシーが現れたので驚きました。彼女が天国から来た女神のように、喜びに満ちあふれて見えたのです。
彼は、何も言わず彼女に駆け寄りキスをします。
太陽の光がさんさんと降り注ぐ午後のことでした。
ポピーの花が咲き、金色の麦畑に立つ、オフホワイトのジャケットを着たジョージと、白いドレスを着たルーシー。
まるで一枚の絵画のような美しさです。
流れるのは、有名なオペラ歌手キリ・テ・カナワが歌う、プッチーニ作曲・オペラ「つばめ」のアリア「ドレッタの夢」でした。
この歌は、裕福な王からのプロポーズを拒否して、恋する男子学生とキスをする女性の熱い思いを歌っているので、ルーシーとジョージの情熱あふれるキスシーンにピッタリの曲になっています。
ロマンチックなこの歌をキスシーンに合わせてくるとは、叙情的な表現を好むジェームズ・アイヴォリー監督らしい心憎い演出です。
本作を観て映像と音楽の美しさをお楽しみください。
セシルとの婚約
ジョージとのキスの事件は、ただの旅の出来事として、ルーシーの心の奥深くにしまい込まれました。
イギリスに帰国して数ヵ月後、ルーシーは、自分の家よりも上の階級のセシル・ヴァイズからのプロポーズを受け入れます。
ここでは、セシルとジョージの二人の男性の間で揺れるルーシーの女心が描かれるのです。
情熱がない男
良家の令嬢・ルーシーにとって、高い階級のセシルと結婚することは自然でした。
婚約者セシルは、「働く必要」が無く、上流階級の英国紳士として非の打ち所がない服装をし、折り目正しくふるまい、常識から外れたことをしない男でした。
セシルとルーシーは照れたような面持ちで、二人で連れ立って散歩に出かけます。
おそるおそるルーシーにキスをしていいか尋ねるセシル。
不器用なキスが、閉鎖的で禁欲的なセシルの性格をよく表しています。
ルーシーはこの時、ジョージとキスした時とは違って、何の感動も無いことに気づくのです。
セシルは、ルーシーを魅了することができません。
彼には自分の感情に素直に行動するような「生きること」への情熱が無いのでした。
二人の男性の間で
上流階級の婚約者・セシルのキスに違和感を感じるルーシーでしたが、婚約披露パーティーを開くなど、二人は社交界で忙しい日々を過ごしていました。
そんな折に、なんと偶然にも、ルーシーの屋敷の近所にエマソン父子が引っ越してきます。
単なる旅先の出来事でしかなかったジョージとのキスの思い出が、ルーシーの心に蘇るのです。
ジョージとセシルの違い
ジョージとセシルの違いが描写されているシーンをご紹介しましょう。
ルーシーの弟・フレディーは、ジョージと親しくなります。
ある暑い日の午後、フレディーと意気投合したビーブ牧師とジョージの三人は、近くの池で、服を脱いで水浴びを始めました。
三人は子どものように水を掛けあってはしゃぎます。
彼らは、ついには裸で池の周りを走って、追いかけっこを始めるのです。
そんなとき、池を通りかかったのが、ルーシーとセシル、ルーシーの母の三人です。
ジョージは、一糸まとわぬ姿でルーシーの前に姿を現しました。
水浴びしていた男性たちは、裸でいるところを見られてしまいますが、逆にセシルは、男性たちの裸を見せまいと、池から女性を遠ざけようとして「こっちへ」と導くのです。
セシルは、ジェントルマンとして、女性とは男性が導き守るものだと思っているのでした。
それはもはや過ぎ去ろうとするイギリス・ヴィクトリア朝時代的な価値観による考えにほかなりません。
このシーンは、情熱あふれるジョージと、池からルーシーを遠ざけようとする、上流階級の人間として慎み深いセシルの違いを表しているのです。
セシルは古い時代を、ジョージは新しい時代を象徴していることを示しています。
「眺めのいい部屋」
ルーシーは、誰も見ていないところで二回目のキスをしたジョージに、「私は婚約しているから、二度と来ないでください」と言い渡します。
そして、彼女はセシルとの婚約をも解消してしまうのです。
セシルばかりか、ジョージまで拒絶してしまったルーシー。
彼女はこれからどういう道をたどるのでしょうか?
婚約破棄をした彼女は世間体を考え、今度はギリシャへ旅立とうとしていました。
この時点でまだルーシーも世間体などという、ヴィクトリア朝時代的な価値観にとらわれていたのです。
しかし、彼女は牧師館で会ったジョージの父親・エマソン氏に、「あなたはジョージを愛していますね?それなのに何故ギリシャへ旅立とうとしているのですか?」と問われます。
「あなたは自分にウソをついている。それは、本当はジョージと一緒に居て楽しいのに、身分が違うから嫌だと言ってみせるとか、そういうことですよ」
慎みや体面を気にして、望む物があるのに望まないふりをするというのは、上・中階級のたしなみとされます。
しかしエマソン氏の言葉で我に返ったルーシーは、ようやく涙を流しながら満面の笑みを浮かべ、口に出して言うことができました。
「もちろんジョージを愛しているわ!」
この時、彼女はヴィクトリア朝時代的な価値観から完全に抜け出し、「生きること」への情熱を手に入れたのです。
このシーンでは、原作者のE・M・フォースターが言いたかったことが表現されています。
英国人は、慎みやたしなみといったものにとらわれるあまり、「自分の考えを表に表すことはしない」ということです。
フォースターは、この作品を描くことで英国人の言動を指摘し、皆に「生きること」への情熱を持つことを勧めているのです。
映画は、ルーシーとジョージの新婚旅行で終わりとなります。二人が宿泊したのは、フィレンツェのぺンション「ベルトリーニ」の「眺めのいい部屋」でした。
脇役の活躍
この映画の魅力の一つに、個性豊かな脇役たちの描写があります。
それら脇役たちの間で揉まれて、ルーシーは成長していくのです。
ルーシーを育てた脇役たち
それぞれの登場人物の性格が実に多彩に描かれています。
古い価値観にとらわれている旅の付添人・シャーロット、読書するだけの面白みのない上流階級の男・セシル、人間臭く聖職者らしからぬビーブ牧師、子どものように純粋なフレディーなど…。
ルーシーは、シャーロットに反発して、セシルという男を知り、ビーブ牧師やフレディーをお手本に、これらの一癖も二癖もある人たちの間で、ジョージとの愛を選ぶ大人の女性になるのです。
シャーロットの役割
シャーロットは、脇役ですが、本作の中で重要な役割を担っています。
彼女は悪気はなくとも、つい他人に迷惑をかけてしまい、「かわいそうなシャーロット!」と皆に言われてしまうような人物です。
そして、ヴィクトリア朝時代的な価値観から抜け出せない女性として描かれています。
ルーシーは、シャーロットを反面教師として古い価値観に気が付くのです。
しかし、劇中で、ルーシーの母親がルーシーとシャーロットがどんどん似てきていると言うシーンがありました。
シャーロットは、ルーシーがジョージに出逢った後に「男については、私にもわかるのよ」と言っていたので、恐らく若い頃身分違いの恋をして叶わなかったことがあるのではないでしょうか。
シャーロットはルーシーの気持ちの移り変わりをよくわかっていたのです。
だからこそシャーロットは最後に、牧師館で、ルーシーとエマソン氏とが二人きりで話すように仕向けました。
古い価値観から抜け出せなかったシャーロットが、いつの間にか、良き従姉としてルーシーの背中を押す役割を果たしています。
トリビアの数々
ここでは「眺めのいい部屋」をもっと楽しめる小話をご紹介しましょう。
スミレの花畑で撮影する予定だった
原作では、ルーシーとジョージの一回目のキスは、麦畑ではなく、スミレの花畑ですることになっています。
スミレ(violet) の花言葉は「愛」。 白いスミレの花言葉は「あどけない恋」「無邪気な恋」。 黄色いスミレの花言葉は「つつましい喜び」。
まさにルーシーとジョージにピッタリですね。
しかし、監督は撮影時期がスミレの咲く季節ではなかったため、実がなっていない大麦の畑での撮影を決断しました。
美しい映像がこの映画の特長の一つですが、原作通りスミレの花畑で二人がキスするシーンがあれば、もっと素晴らしかったのではないかと思うのは私だけでしょうか。
美術の美しさ
本作では、ルーシーの自宅の室内装飾、ピアノやカーテン、ウィスキーのデキャンタなど、20世紀初頭当時の豪華で繊細な家具調度の再現が見事です。
また、劇中、セシルが美術館の絵画の前で、偶然エマソン父子と出逢うシーンがあります。
その絵画は、ルネサンス期の画家、パオロ・ウッチェロ(1397~1475)の「サン・ロマーノの戦い」です。
ルネサンスは、「人間らしさ」に重きを置いた芸術の革命でした。
ルネサンス以前の時代では、絵画はキリスト教の教義に合う形式に沿って描かれていたのですが、この絵は、人間からの視点である遠近法で描かれたのです。
「サン・ロマーノの戦い」は、「人間の視点」にフォーカスしたイタリア初期ルネサンスの革新的な作品でした。
まさにジョージが「人間らしい情熱」に目覚めていく過程で接する絵画としてふさわしい作品となっています。
ちなみに、美術館シーンの撮影はロンドンのナショナル・ギャラリーで行なわれました。
まとめ
「眺めのいい部屋」には、「体面を気にしすぎて、本当に欲しい物を見失わないで」「生きることへの情熱を忘れないで」というメッセージが込められているのです。
もちろん、「私はセシルの方が好みだしお金持ちだからいいわ」という女性もいるとは思うのですが…。
あなたはジョージとセシル、どちらの男性に心惹かれるでしょうか?
美しい風景・音楽・美術が、あなたをまるで旅に出たかのような気持ちにさせてくれるでしょう。
この映画を観て、ぜひ素敵な想像の旅にお出かけください。