
出典 : (C) 2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND.Photo courtesy of Lionsgate.
「ラ・ラ・ランド」は、2016年に公開されたアメリカのミュージカル映画です。
脚本・監督はデイミアン・チャゼル、主演はエマ・ストーンとライアン・ゴズリングが務めました。
俳優を夢見る女性とジャズ・ピアニストになりたい男性の恋を描いた作品で、二人の幸福感や切ない気持ちが観ている人の心を打ちます。
特に、うまくいかなかった恋の一つや二つを経験した大人のあなたにおすすめしたい作品です。
ミュージカルで数々の賞を獲得しているベンジ・パセックとジャスティン・ポールのコンビが作詞をしたことでも話題になりました。
この映画のラストシーンの意味やオマージュを捧げた映画など、小話・ネタバレ・考察をご紹介していきましょう。
ラ・ラ・ランド(2016年)
見どころ
高速道路で人々が一斉に踊り出す冒頭シーンは圧巻。R・ゴズリングが代役なしでピアノ演奏に挑み、エマ・ストーンがブロードウェイ経験を生かした歌やダンスで魅せる。
出典 : video.unext.jp
あらすじ
夢追い人が集まる街・ロサンゼルス。女優志望のミアはオーディションに落ちてばかり。ある日彼女は、場末の店でセブというピアニストに出会う。彼にもまた、いつか自分の店を持つという夢があった。やがて2人は恋に落ち、互いの夢を応援しあうが…。
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ラ・ラ・ランド(ネタバレ・考察)
チャゼル監督は、2010年に「ラ・ラ・ランド」の脚本を執筆しました。
しかし、ミュージカル全盛期の1940年~1950年代とは違って収益が上がらないという理由で、なかなか制作が実現しませんでした。
チャゼル監督がリリースした2014年の映画「セッション」が高い評価を受け、ヒットを飛ばしたことが認められ、本作の映画化が実現可能になったのです。
「ラ・ラ・ランド」が公開されると大方の予想を裏切ってブームとなり、ミュージカルが嫌いな人々の間でも評判になって世界で4億4,600万ドル(491億3,000万円)の興行収入を記録しました。
そんな本作の背景についてご紹介しましょう。
「ラ・ラ・ランド」とは
タイトルの「ラ・ラ・ランド」とは、ロサンゼルス市(LA)のニックネームなのですが、実はもう一つ意味があります。
「夢に浮かされて現実離れしている心の状態」という意味です。
ロサンゼルスには映画の都・ハリウッドがあります。
ここには、世界各地からハリウッドで俳優になりたいという人々がやって来るのをご存知でしょう。
ロサンゼルスは、「夢が存在する場所」の象徴なのです。
オープニングの高速道路の大渋滞シーン
冒頭の高速道路での大渋滞シーンでは、100人を超えるダンサーたちの爽やかな歌と踊りが印象的でした。
彼らは、ロサンゼルスの映画界で俳優になる夢に向かって努力している人々です。
本作のヒロイン・ミア(エマ・ストーン)もその中にいました。
歌は「アナザー・デイ・オブ・サン(Another Day of Sun)」で、歌の主人公が「自分の彼氏と別れてロサンゼルスに出てきた」といった歌詞になっています。
まさにミアが、恋人と別れて女優になったという、この映画の内容を表しているのです。
このシーンは実際にロサンゼルスの高速道路をニ日間封鎖して、気温43度の過酷な状況で撮影されました。


二人の夢とは?
二人の男女の恋と夢を描いた「ラ・ラ・ランド」。
彼らが抱く夢とは、どんなものだったのでしょうか。
ここでは、二人の夢について迫ってみましょう。
お互いの夢
映画スタジオが集まるハリウッドのカフェでバイトするミアは女優志望で、彼女は次々とオーディションに応募しますが、選考に落ちてばかりいます。
クリスマスの日、ミアは、偶然通り過ぎたレストランから流れるジャズの音色に惹きつけられ、そのレストランに入っていくのです。
レストランのピアノでジャズを演奏していたのがセブ(ライアン・ゴズリング)でした。
ミアはそれが、高速道路での大渋滞のとき、クラクションを鳴らして早く車を出すようミアをせっついた男だと気が付きます。
思いもよらぬ再会でした。
ミアはセブに話しかけますが、セブは、クリスマス・ソングを弾くよう命令した店のオーナーの言うことを聞かずにジャズを弾いたため、その場でピアニストの仕事をクビになってしまいます。
打ちひしがれたセブは、ミアの言葉を無視して店から出ていくのです。
しかしミアはセブの弾くジャズの音色が忘れられなくなりました。
程なくして、ミアはあるパーティーでセブとまた出逢います。
三回目の出会いで、ようやく二人は会話を始めるのです。
セブはジャズを愛していて、いつか自分のジャズバーを開店して、その店で思うままにジャズを演奏する日を夢見ているとミアに言います。
ミアは女優に、セブはジャズバーのオーナーになりたい…。
それぞれの夢を持って出逢った二人は意気投合し、互いを応援し合えるいい関係になっていきます。
ロサンゼルスの夕景をバックにお互いの心が触れ合う
この映画の一番の名シーンをご紹介しましょう。
ミアとセブが夕暮れの中、公園のベンチの前でタップダンスを踊るシーンです。
ミアが黄色いドレスを着てセブと踊る姿が可愛らしく、二人が恋に落ちていくのがよくわかるロマンチックなシーンになっています。
名シーンにふさわしい歌詞
この場面は、CGではなく、実際の夕暮れの中でロケをしたいと監督がこだわっています。
そのため、撮影するチャンスは、2日間で30分間しかありませんでした。
この時の音楽「ラブリーナイト(A Lovely Night)」は、実は歌詞が男女の恋の駆け引きになっています。
「そもそも君は僕のタイプじゃないし、恋に落ちるなど絶対あり得ない!」
「私には何も感じないって言った?私たちに何かあるとしたら、私が決めるから!」
作詞を担当した名コンビ、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールは、「恋の始まりでの微妙な心の動きを表現するため、わざと浮わついた、自惚れた歌詞にした」と語っています。
このコンビらしいオシャレな歌詞で、私たちを楽しませてくれます。
ダンスシーンのお茶目な設定
ところで、このシーンでエマとゴズリングが踊るダンスがあまり上手ではないという声もあるようです。
しかしミアとセブの素人っぽい踊りが、夢を持つ普通の人々の人生を描写している様子がうかがえ、かえってリアリティーがあるのではないでしょうか。
また、ミアが踊りだす前に、ヒールのある靴からタップ・シューズに履き替えるところがご愛嬌です。
実際、リハーサル中ミアを演じたエマ・ストーンはそれまで履いていたハイヒールではダンスが踊れませんでした。
そのため振付師が「それなら、靴を履き替えたらどうか?」と提案し採用されたもので、チャゼル監督らしいお茶目でこだわりのあるシーンになりました。


夢があるからこその仲違い
二人の恋は順調でしたが、セブが生活資金を稼ぐために、知り合いの誘いでジャズのバンドではなくR&Bバンドに加入したことで二人の関係が変わってきてしまいます。
バンドの音楽は本当にやりたい音楽なのか、自分の店を開くという夢はどうなったのか…。ミアはセブを問い詰めてしまうのです。
また、バンドは大成功し、セブはツアーで旅に出る機会が多くなり、二人はすれ違うようになります。
ミアと共に過ごしたいセブは、バンドのツアーに同行してほしいと彼女を誘いますが、一人芝居の自主公演が目前に迫っているミアはこれを断りました。
二人は口論になり、ミアは二人で住んでいたアパートを出ていきます。
恋する二人が、それぞれ夢を目指すことの難しさが表れていました。
5年後の冬・ラストシーンの意味
二人が別れてから5年が経ちました。
ミアはハリウッド女優として成功しています。別の男性と結婚し、子どもも生まれていました。
今や彼女は、かつてバイトしていたカフェで、従業員たちから憧れられる存在になったのです。
セブの店
ある日、ミアは夫とハリウッドのイベントに出かけ、その帰り道渋滞に巻き込まれますが、すぐに高速道路を降ります。
映画の冒頭では、ミアは渋滞にはまり長時間動けなかったのですが、今回はすんなりとインターチェンジを下りて渋滞を抜け出すことができました。
これは、女優として成功したミアは、「夢の象徴である高速道路」にはもはや用が無いことを意味しています。
ミアと夫が街で夕食をとって帰宅するために車に乗り込もうとした矢先、ジャズの曲がミアの耳に入ってきました。
ジャズが聴こえてくる店には、「セブズ(SEB’S)」という看板が掛かっています。
「セブズ」は、以前ミアが、将来のオーナーになる店の名前としてセブに提案したものです。
ミアと夫が「セブズ」に入って席に着くと、ステージ上でピアノを弾くセブの姿がありました。
夢を叶えたのはミアだけでなく、セブも夢を叶えてジャズバーを経営していたのです。
予期せぬ再会に驚く二人でした。ミアは夫と肩を並べてセブの演奏を聴きます。
それはミアとセブが出逢った時に弾いていた思い出の曲、「ミアとセブのテーマ(Mia & Sebastian’s Theme)」でした。
懐かしい曲が流れる中、ミアとセブはそれぞれ空想に入っていきます。
それは、お互い結婚していたらどうなっていたか、という空想でした。
出逢った時にミアとセブが結ばれ、ミアはオーディションに合格し、二人は撮影があるパリへ行きます。そして結婚して娘が生まれるというストーリーです。
「こういう道もあったかもしれない」という二人の想いが描かれます。
曲が終わると、二人の空想は終わり、彼らは現実に戻りました。
ミアは「もっと聴くかい?」と尋ねる夫と静かに席を立ち、ジャズバーを後にします。
店の出口でミアが振り返るとセブと目が合うのです。彼は微笑み、ミアも微笑み返して映画は終わりとなります。
後悔と古き良き思い出
このラストシーンは何を意味しているのでしょう?
単に恋が成就しなかったバッドエンドなのでしょうか?
チャゼル監督はこう語っています。
「一緒にいることがすなわち愛というわけじゃない。実際に関係自体に終止符を打ったとしても、お互いを思い合う気持ちがあるなら、それは愛なんだ」
映画の空想シーンで描かれたのは、「もし彼が私と一緒にパリに来てくれていたら」「もし僕が彼女と一緒にパリに行っていたら」というシーン。
「こういう道もあったかもしれない」という二人の想い、それはまさに「ラ・ラ・ランド(現実離れした心の状態)」でした。
誰にだって、過去に辛い失恋の経験があります。後悔することもあるでしょう。
失恋を経験したことがある人が抱く後悔を、洗練されたシチュエーションで表現したのがこのラストシーンであり、これに私たち視聴者は共感し涙するのです。
この映画は、たとえ恋人と別れても、お互いの心の奥深くには生き続けてゆく愛があるのだ、それも一つの愛なのだということを教えてくれます。
二人の恋は叶いませんでしたが、こんなに素敵な愛のシーンがあるでしょうか?
そしてミアとセブが最後に微笑み合うシーンでは、映画を観ている私たちの「過去の選択」さえもが正しかったのだと思わせてくれるのです。
後悔が伴う辛い思い出を、「古き良き思い出」に変えて癒やしてくれる…それが「ラ・ラ・ランド」という映画なのではないでしょうか。


名作映画のオマージュ
本作は、エンターテインメント業界が舞台となっているだけあって、主にミュージカル映画のオマージュが満載です。
どんな映画が引用されているのでしょうか。
「ロシュフォールの恋人たち」(1967年)
冒頭の高速道路での群舞のシーンや、ミアとルームメイト4人が道路を並んで踊るシーンはファッショナブルなミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」から引用されています。
ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、カトリーヌ・ドヌーヴなど豪華キャストが共演した映画のオマージュになっているのです。
「フォーリング・ダウン」(1993年)
冒頭の高速道路・大渋滞のシーンは、「フォーリング・ダウン」という映画からも引用されています。
この作品は、真夏の太陽が照りつける高速道路でイライラを募らせた中年男性が銃を乱射するというちょっとあぶない映画ですが、チャゼル監督が大好きな映画だそうです。
「カサブランカ」(1942年)
「カサブランカ」は第二次世界大戦中のモロッコを舞台にした再会と別れのドラマで、ミアが幼いころに叔母に連れられて観た映画とされています。
ミアの部屋の壁にも「カサブランカ」のヒロイン、イングリッド・バーグマンの顔を大きく写したポスターが飾られ、ミアがバーグマンに憧れを抱いていることがわかるのです。
ミアのバイト先のカフェの向かい側には「カサブランカ」の撮影で使われた窓があり、これもミアが女優を目指すモチベーションになっています。
「シェルブールの雨傘」(1964年)
本作は場面ごとに「春」「夏」「秋」と時系列で字幕が出ますが、「シェルブールの雨傘」での「1957年11月」「1958年1月」と字幕を出す演出を引用しているのです。
また、ミアが公演を行なった一人芝居のヒロインの名前が、「シェルブールの雨傘」のヒロイン名「ジュヌヴィエーヴ」になっていました。
「シェルブールの雨傘」は、恋人たちが戦争によって引き裂かれ、お互い別の人と結婚するというストーリーのミュージカル映画で、「叶わない恋」のモチーフともなっています。
「雨に唄えば」(1952年)
夕暮れの中、ミアとセブがタップダンスを踊りだすシーンの、セブが街灯に手を掛けるところは、「雨に唄えば」のジーン・ケリーが街灯につかまりながら回るシーンのオマージュです。
「雨に唄えば」は、サイレントからトーキー(音声が入った映画)の時代に移り変わろうとしている時期のエンターテインメント業界の舞台裏を描いた作品でした。
「バンド・ワゴン」(1953年)
夕暮れのミアとセブのタップダンスのシーンは、「バンド・ワゴン」のフレッド・アステアとシド・チャリシーのオマージュです。
「バンド・ワゴン」は、ショービズの世界を描いたミュージカル全盛期のダンス映画になっています。
「踊らん哉(Sall we dance?)」(1937年)
ミアとセブの二人がタップダンスを披露するシーンは、「踊らん哉」からの引用でもあります。
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース共演の恋の騒動を描いたロマンチックでコミカルなミュージカル映画です。
「ムーラン・ルージュ」(2001年)
天文台でミアとセブが踊りながら次第に浮上して、またたく星の中で踊る幻想的なシーンは、「ムーラン・ルージュ」からの引用です。
「ムーラン・ルージュ」はバズ・ラーマン監督したニコール・キッドマンとユアン・マクレガーが共演した19世紀・パリを舞台にしたミュージカル映画になっています。
「眠れる森の美女」(1959年)
ミアとセブが空の上でダンスするシーンは、ディズニー・アニメーション映画「眠れる森の美女」のラストシーンからも引用されました。
オーロラ姫と王子が踊るシーンを、チャゼル監督が実写で美しく引用しています。
「パリの恋人」(1957年)
もしもミアとセブがパリに行っていたら…という空想の中で、ミアがパリへ行き、凱旋門の前に立ちます。画面横には風船が…。
このシーンはオードリー・ヘップバーンとフレッド・アステアの映画「パリの恋人」のオマージュとなっています。
「ウエスト・サイド物語」(1961年)
「ウエスト・サイド物語」からの引用は、マリアがトニーへの恋心を歌った「素敵な気持ち(I feel pretty)」で、布をドレスのように胸に当てて「ミス・アメリカ」を気取る場面です。
「ラ・ラ・ランド」のミアは、ルームメイトとパーティーへ着て行くドレスを選ぶシーンで、やはりカーテンをドレスに見立てて胸に当てていますね。
ミアのルームメイトたちがスカートを翻しながらパーティーに向かうシーンも、「ウエスト・サイド物語」からの引用です。
昔のミュージカルと現代
オマージュを捧げたのが、主に1940年~1950年代制作のミュージカル映画であることも監督のこだわりです。
チャゼル監督は幼い頃から音楽が好きで、昔のミュージカル映画が大好きだったそうです。
しかし、監督が本作を作るときには、「時代劇」ではなくて現代のリアルな映画にしたかったといいます。
リアルな映画とは、「叶う想いもあり、叶わない想いもある」といった現実を描いた作品です。
昔のロサンゼルスと現代のロサンゼルス、昔の音楽(ジャズ)と現代の音楽、クラシックな映画と現代の映画をそれぞれ描くことによって現代の人が観て共感できる映画を作りたかったそうです。
古き良き1940年~1950年代のミュージカル映画へのオマージュを通して、現代のロサンゼルスを描いたのが「ラ・ラ・ランド」でした。


トリビアの数々
ここでは、知っておくとより「ラ・ラ・ランド」を楽しむことができる小話をご紹介したいと思います。
ライアン・ゴズリングは自分でピアノを弾いている
ピアノ演奏は、ゴズリングが吹き替えなしで演じています。
ゴズリングは3ヶ月もの間、ピアノを猛練習しました。
一日2時間のレッスンを週6日こなし、撮影初日を迎える頃には全曲を自分で演奏できるようになっていたそうです。
手元のクローズアップも、代役を立てずに本人が演奏した映像が採用されました。
共演したミュージシャンが嫉妬したほどの腕前だったそうです。
有名R&Bシンガーのジョン・レジェンドが出演していた
劇中でセブが加入するバンド「メッセンジャーズ」のヴォーカル担当のキースを演じたのは、ジョン・レジェンドでした。
ジョン・レジェンドは、リリースしたアルバム4作品でグラミー賞計9部門受賞、全世界累計セールスは700万枚を記録しています。
ディズニー実写映画「美女と野獣」(2017年)のエンドロールで、アリアナ・グランデと共に主題歌を歌ったことでも知られます。
カラフルな衣装
エマとゴズリングは映画の中でそれぞれ50着の衣装を着こなしました。
衣装デザイナーのメアリー・ゾフレスとチャゼル監督は、「シーンごとに感情を伝える手段として衣装の色選びを工夫した」と語っています。
例えば、ミアはパーティーに青いドレスを着て行きますが、青いドレスには「開放感」「信頼」といった意味が込められ、ミアが友人をとても信頼していることを表していました。
また、衣装は、ミュージカル映画の最盛期の1940~1950年代を彷彿とさせるレトロなデザインとなっていて、これもチャゼル監督のこだわりです。
なぜチャイコフスキーの名曲が?
映画の冒頭、大渋滞の高速道路に止まっている車のカーラジオから聴こえてくる音楽は、チャイコフスキー作曲の「序曲・1812年」です。
なぜこの曲が冒頭の音楽に選ばれたのでしょうか。
もちろんこの曲が「序曲(オペラなどの冒頭に流れる曲)」だからなのですが、さらに、この曲はナポレオン軍の敗走をモチーフにしたもので、「叶わなかった願い」を意味しています。
恋が叶わなかった本作の序曲としてふさわしいと選ばれたそうです。
ちなみに、本作で使われた「序曲・1812年」の音源は、なんと日本の武蔵野音楽大学管弦楽団演奏のものでした。
日系女優が出演していた
「ラ・ラ・ランド」には、日系の俳優が出演していました。
ミアのルームメイトの一人で、黄色のドレスのケイトリンを演じたソノヤ・ミズノです。
彼女は東京に生まれ、日本人の父とアルゼンチン系イギリス人の母を持つ女性で、もとはバレリーナでしたが、モデルや俳優業をしています。
「エクス・マキナ」(2015年)や「ハートビート」(2016年)などに出演していて、日本では、2016年にユニクロのCMで話題になりました。
まとめ
お茶目な演出、リアルな映画作り、登場人物の衣装や過去の映画へのオマージュなど、監督のこだわりが楽しめる映画「ラ・ラ・ランド」。
素敵なダンスシーンの連続で、ミュージカルの醍醐味を味わうことができます。
この映画を観て、主人公たちが奏でる恋と夢のストーリーに浸ってみるのはいかがでしょうか。
あなたの失恋の思い出を優しく癒やしてくれるでしょう。
そして、新たな恋を始めてみよう、夢に向かって歩き出してみよう…と思わせてくれるに違いありません。