映画華麗なるギャツビーネタバレ・考察

「華麗なるギャツビー」は2013年に公開されたアメリカ映画です。

「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオが主演し、「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマンが監督した作品です。

若くて、顔もかっこいい、大金持ちで毎夜豪華なパーティーを開いているギャツビーの野心と恋と孤独を描いて好評を博しました。

映画「華麗なるギャツビー」よりネタバレ・考察、あらすじや作品にまつわる裏話を徹底紹介してきたいと思います!!

華麗なるギャツビー(2013年)

1920年代、好景気に湧くニューヨーク・ウォール街の証券会社に務めるニック(トビー・マグワイア)は、隣家の豪邸に住む謎の大富豪、ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)からパーティーに招待される。

ギャツビーと仲良くなったニックは、実はギャツビーが、ニックの従妹で彼らの家と対岸にある邸に住む人妻・デイジー(キャリー・マリガン)と過去に恋仲だった事を知る。

二人を引き合わせるためニックが催したお茶会で再会したギャツビーとデイジーは、再び激しい恋に落ちる。

デイジーはギャツビーの車を運転し、夫の愛人マートルを轢き殺してしまう。

マートルを轢いたのがギャツビーだと勘違いしたマートルの夫は、ギャツビーを恨み、彼の邸宅にピストルを持って忍び込む…。

華麗なるギャツビー(ネタバレ・考察)

不思議な魅力のある映画「華麗なるギャツビー」。

ここではこの映画にまつわる小話や考察をご紹介していきたいと思います!

堪能できるレオナルド・ディカプリオの美しさ

ニックの回想でストーリーが進んでいくので、ニックの体験によって私たちもギャツビーがどういう男か次第にわかっていきます。

ニックが、見知らぬ男ギャツビーからのパーティーの招待を受けて、隣のギャツビー宅に行ってみると、大勢の人々でごった返していましたが、誰一人として、ギャツビーの正体を知らず、ギャツビーに会った者がいないという事がわかります。

突然「私がギャツビーです」と言って彼が現れますが、その初登場シーンがあまりにも魅力的で、ハッとさせられます。

ギャツビーが毎夜パーティーを開いているのは、実は富豪トムの妻になったかつての恋人デイジーただ一人に来てほしいためなのですが、その純粋すぎる男の邪気のない微笑みが、華のある美しいディカプリオにピタリとはまっているのです。

この初登場シーンを観るだけでも、映画「華麗なるギャツビー」を観た甲斐があると言っても過言ではありません。

最後まで忠実

映画の中で、ギャツビーの邸宅の門に「Ad Finem Fidelis」というフレーズが刻まれています。

これは「最後まで忠実」を意味するラテン語で、ギャツビーが彼の人生の終わりまでデイジーに忠実であり続けたという事を象徴しているそうです。

映画スタッフのこだわりが見て取れますね。

ギャツビーは、デイジーの家の川を隔てた対岸に住み、デイジーの事が載った新聞記事をスクラップするほど彼女を愛していたのです。
今で言うストーカーですね?!文字通りデイジーに忠実すぎます!!

ギャツビーとデイジーのお茶のシーンでの苦労は?

撮影初日は晴天でしたが、ギャツビーとデイジーが再会する土砂降りのシーンを撮影予定だったので、映画スタッフたちは止むを得ず10万リットルの水を手配しなくてはなりませんでした。

その後3日間雨が降ったため、バズ・ラーマン監督は、以後、映画スタッフとして気象予報士を雇ったそうです。

天候がままならない事は映画撮影に良くありますが、この映画にもそんな苦労があったのですね。

黄色いオープンカーの購入

ギャツビーの黄色いオープンカーは、デューセンバーグ社のものでした。

デューセンバーグの車は、1910年代から1937年にかけて販売されたアメリカの高級車として有名で、クラーク・ゲーブル、ゲイリー・クーパー、グレタ・ガルボといった大スターたちが愛用しています。

この映画のために、オークションで販売されたデューセンバーグモデルSJコンバーチブルクーペが購入されました。

2013年3月当時450万ドル(4億6千万円)以上だったといわれています。

購入した車を黄色に塗装しなおして映画で使用したそうですね。
この黄色いオープンカーは、ギャツビーの最期に関わる重要なアイテムとなっています。

華麗なる美術セットと衣装の数々

映画の中の家具調度や人々のファッションが当時の時代を表わしていて、視聴者は魅了されます。

バズ・ラーマン監督作品と言えば、ディカプリオと初タッグを組んだ「ロミオ+ジュリエット」や「ムーラン・ルージュ」で見られるように、壮麗な美術セット・衣装で知られます。

実は、これらのセット・衣装のスタイリングは、1997年にバズ・ラーマン監督が結婚した美術監督のキャサリン・マーティンが全て担当していて、この「華麗なるギャツビー」と「ムーラン・ルージュ」で二度、アカデミー美術賞とアカデミー衣装デザイン賞に輝いています。

また、本作では、女性のドレスをプラダ、ミュウミュウ、ジュエリーや食器をティファニー、男性服をブルックス・ブラザーズが提供し、1920年代の華やかな時代を再現していて、美しい画面に酔える映画となっています。

狂騒の1920年代

この映画は、ただ何も考えずに観ていると、「単なるバカ騒ぎのパーティー映画」になってしまいますが、実は、舞台となった1920年代の世相をよく表した映画になっています。

ここで、この映画の時代背景について解説しましょう。

実際、この映画の舞台となった1920年代は、アメリカが最もバカ騒ぎをした10年間として「狂騒の1920年代」と呼ばれました。

前例が無いほどの株の高騰と生活様式の大きな変化があった時代だったのです。

株の高騰

1920年代のアメリカは、株で儲け投資だけの不労所得であっという間に億万長者になる人が続出した時代です。

株価は高騰し続け、過熱した投機行動と相まって、強気相場は永遠に続くとものという幻想を人々に与えました。

その中心となったのがウォール街、つまり「華麗なるギャツビー」の舞台となったニューヨーク周辺だったのです。

ニックも、証券会社に勤務していてまあまあ裕福な生活を送っていましたね。

禁酒法の時代

当時は、アメリカでは禁酒法が制定されていたので、法外な値段でお酒が闇で売買され、そのために高額な所得を得た人がたくさんいました。

密造酒の売買の利益は、マフィアなどの資金源にもなりました。

映画では、ギャツビーとランチに出たニックが紹介された人物・ウォルシャイムは、ギャツビーのビジネスパートナーでしたが、彼のビジネスは、表向きは薬局の経営で、そのライセンスを利用して、陰で密造酒の販売で収益を上げていたのです。

ギャツビーの家は城のような大邸宅です。

ギャツビーもウォルシャイムと組んで、違法な密造酒売買で莫大な所得を得ていたのです。

パーティーピープル全盛の時代

当時、そういった株や密造酒売買で一攫千金を掴んだ成金と呼ばれる人たちがニューヨークにはうようよしていました。

ギャツビーが大邸宅でしょっちゅう開く大がかりなパーティーに訪れる、今で言う「パリピ」の人たちは、成金の大金持ちかそれに憧れる人々だったのです。

実際に、1920年代は、派手なパーティーがあちこちで日夜開かれた時代でした。

パーティーでは新しい音楽・ジャズが演奏され、ダンスが繰り広げられ、次々と密造酒が供され、プールに飛び込むといったバカ騒ぎのパーティーが全盛でした。

まさに、この映画のカオスな乱痴気騒ぎの通りの事が実際に行なわれていたのです。

変化した女性の生活

第一次世界大戦以前は、女性は慎ましく、くるぶしまでの丈のドレスを身にまとい、ロングヘアを結い上げて、娼婦以外は化粧などしませんでした。

しかし1920年代になってから、お金のある女性たちは、ひざ丈かそれより短いドレスを身に着け、ヘアスタイルはショートで、厚化粧して毎夜パーティーに繰り出すようになります。

彼女たちはチャールストンを踊って、強いお酒を飲み、喫煙、ドライブを楽しみました。

そういう女性たちは「フラッパー」と呼ばれました。

映画のヒロイン・デイジーやその友人たちもフラッパーだったのです。

貧富の差が開く

しかし、好景気の恩恵に与った人たちばかりではありませんでした。

ニューヨークの中心部とロング・アイランドの間に、ニューヨークの人々が使用した石炭の燃え殻を処理する、通称「灰の谷」と呼ばれる場所がありました。

煌びやかな「パリピ」たちの住まいとは対照的な、灰だらけのくすんだその町に、貧しい労働者が住んでいました。

トムの愛人・マートルとその夫ジョージもそこに住んでいて、「持たざる者」の代表として描写されています。

ジョージは、自動車整備店に勤めていますが、うだつが上がらず、妻のマートルは、貧乏に嫌気が指してパーティーピープルに憧れていました。

1920年代は貧富の差が極端に広がった時代でもあったのです。

この映画は、そんな当時の社会状況を描いています。

素晴らしきギャツビー

この映画の原作は、F・スコット・フィッツジェラルド作の小説で、格調高い文章で執筆され、英語で書かれた20世紀最高の小説の一つであると評価されています。

では、この映画がただのパーティーピープルの映画ではないとしたら、テーマは何でしょうか。

映画の中で、ニックがギャツビーに言います。「ギャツビー、君に比べたら他の連中はくだらないよ。束になっても君には敵わない」

虚飾の時代、誰もが自分の事しか考えない狂った1920年代に、ただ一人、ある女性だけを追い求めていたギャツビーの純粋な美しさ、それこそがこのストーリーのテーマなのです。

タイトルは「華麗なるギャツビー」と日本では訳されていますが、原作の原題は「ザ・グレート・ギャツビー」で、「偉大なる」「素晴らしき」ギャツビーという意味合いもあり、ニックや私たち視聴者の心を捉えるピュアな人物として描写されています。

この映画は、私たちに、純粋に生きる事の難しさ・素晴らしさを教えているのです。

舞台となっている1920年代というのは、好景気だったのでアメリカ人が一番回帰したいと思う時代だという説がありますね。
そのためか、「華麗なるギャツビー」はこれまでに5回映画化されています。興味のある方は、旧作の映画も観てみてはいかがでしょうか。

「神の目」は何を表わしている?

映画の中で「灰の谷」にある、「神の目」と比喩されている目を描いた眼科医の宣伝看板が不気味さを放っています。

これは何を意味しているのでしょうか。

金に群がる人間たちを淡々と見ているのが「神の目」だと思います。

そして、デイジーが、ギャツビーの黄色いオープンカーを運転していて起こした轢き逃げ事故もその目がお見通しであるといった意味があるのではないでしょうか。

また、神様は見ているだけで何もしてくれないという意味もあるでしょう。

その通り、ギャツビーに神の助けは無く、程なく死を迎える事になるのです。

ギャツビーの死

ラストシーンで、ギャツビーは、ジョージにピストルで殺されます。

ジョージは、黄色いオープンカーで妻マートルを轢き逃げしたのは、ギャツビーだと誤解して彼を殺したのです。

しかし、デイジーをかばって、彼女の代わりに恨みを受けて殺されたのだから、ギャツビーにとっては本望なのかもしれません。

デイジーは轢き逃げを追及されないようトムとニューヨークを離れ、以後も素知らぬ顔をして生き続けます。

ギャツビーだけが貧乏くじを引いた形になります。

史実では、1929年10月29日、ウォール街の株価が暴落して、時代は世界恐慌と呼ばれる大不況となりました。

ギャツビーの死は、狂騒の1920年代が終わった事を象徴しています。

事あるごとに、ギャツビーは自宅の桟橋に立って、対岸のデイジーが住む家の灯を見つめ、手を伸ばしていましたが、それは「いつか絶対に手に入れると誓う憧れ」を表わしていて、ついにギャツビーはそれを手に入れる事はできなかったのです。

この作品は、ある女に最後まで忠実に生きた男の一代記なのでした。

まとめ

以上、「華麗なるギャツビー」のネタバレ・考察、あらすじや作品にまつわる小話をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか!?

単なるパーティーピープルの映画ではない、一筋縄ではいかないこの映画。

「素晴らしき」ギャツビーの正体が分かった時、私たちの心の中に何とも言えない切なさ、そして彼を応援したくなる気持ちが溢れます。

そんな映画「華麗なるギャツビー」を、ぜひご覧になってください!!

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