「聲の形」は京都アニメーションが制作した長編アニメーション映画で、原作は大今良時による漫画「聲の形」です。
主人公・石田将也と先天性の聴覚障害を持つ西宮硝子を中心に、人との繋がり、人と人との心の交流を描いた感動作となっています。
「聲の形」は国内だけでなく海外からも高い評価を得ており、第40回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞など、数々の賞を受賞しました。
今回は映画「聲の形」からあらすじや作品の考察、物語におけるトリビアなどを一挙紹介していきたいと思います!!
聲の形(2016年)
小学生のガキ大将・石田将也が通う学校に聴覚障害を持つ少女・西宮硝子が転校してくる。
最初は硝子の存在を快く受け入れるクラスメイト達だが、そのうち硝子の存在によってクラスには段々とひずみが生まれ始める。
好奇心から将也を筆頭に、硝子へのいじめが始まるが、とある決定的な出来事をきっかけに将也はクラスで孤立してしまうのであった。
そしてそのうちに、硝子も転校してしまう。
5年後、高校生になった将也は心を閉ざし、友達も作らず、孤独な高校生活をおくっていた。
そして将也は自身の過去と向き合う為、硝子に会いに行く事を決意するが…。
聲の形(ネタバレ・考察)
「聲の形」の映像化は決して順調なものではなく、講談社や京都アニメーションを始めとし、様々な人の苦悩や葛藤が詰まって完成した作品です。
山あり谷ありの過程を経てできた映画「聲の形」。
作品にまつわる小話を紹介していきましょう。
「聲の形」は幻の作品となるところだった!?
作者の大今良時は、2008年にこの作品で第80回週間少年マガジン新人漫画賞で入選を受賞します。
しかし、この「聲の形」がいじめや聴覚障害など、きわどい内容をテーマにしている事から作品の掲載が見送られ、一時“幻の作品”となりました。
別冊少年マガジンを担当していた班長の「大今良時の受賞作をぜひ読者に読んでほしい」との想いから事態は動き始めます。
講談社の法務部、弁護士、全日本ろうあ連盟とも協議を重ね、晴れて「聲の形」は日の目を見ることとなりました。
「進撃の巨人」を超えた!!「聲の形」
「聲の形」オリジナル版は該当号の読者アンケートで「進撃の巨人」「惡の華」「どうぶつの国」など連載作を抑えて堂々の1位を獲得します。
これが後押しとなり、「聲の形」は週間少年マガジンへの連載が内定する事となりました。
しかし、大今良時が連載版の第1話を提出した結果、この時の編集部の条件としてはまずは“読み切り掲載”となります。
その後、紆余曲折を経て、ツイッターなどでの反響の大きさから、「聲の形」は連載作品として認められる事となりました。
「聲の形」は「進撃の巨人」の作者である 諫山創からも絶賛され、「このマンガがすごい!2015」オトコ編第1位に選ばれるなど、数々の賛辞を得たのでした。
映画化はあの京都アニメーション!!
2014年、京都アニメーションのプロデューサーが講談社にアニメーション化の話を持ちかけた事から、アニメ映画化の話が決まりました。
監督に大抜擢されたのは、映画「けいおん!」、「たまこラブストーリー」、「リズと青い鳥」などの監督を手掛けた山田尚子です。
映画「聲の形」は各方面から大絶賛され、「君の名は。」などでその実力を証明した新海誠監督からも激賞されました。
京アニ制作映画の中で歴代興行収入NO.1!!
公開劇場が120館と他の映画に比べ小規模にも関わらず、封切り5週目・約1ヶ月を経過した時点で観客動員数は125万人を突破しました。
興行収入も最終的に23億という驚異の数字を叩き出し、京アニ制作の映画の中では歴代興行収入NO.1となっています。
世界30ヶ国の国と地域で上映され、世界的に見た興行収入では約35.3億円という数字を叩き出しました。
イギリスの新聞・Daily Telegraphでは山田尚子監督の才能が絶賛された内容の記事もあります。
その内容は新海誠・細田守・スタジオポノックに加えて、山田尚子監督の名を必見のリストに追加するというものでした。
主題歌はaikoが歌う「恋をしたのは」
aikoは元々「聲の形」の大ファンで、原作を読んだ時、あまりの感動からライブのMCで1巻のストーリを丸々話したという逸話があります。
なぜ、「声の形」ではなく「聲の形」なのか?
“聲”という漢字は一見難しくも見えますが、この漢字の中には声があって耳も手もあります。
聲の右上は“ほこづくり”といって手に関する意味を持っているのだそうです。
人間は色々な手段を用いて人に自分の意思を伝えます。
伝える手段も声以外に色々な手段があるんだよ、という想いを込めてつけられたタイトルなのだそうです。
何故将也は硝子に会いに行った?
物語は将也が硝子に会いに行くところから始まりますが、何故、将也は硝子に会いに行く事を決意したのでしょう?
その謎を紐解いていきましょう。
贖罪のため
将也は小学校時代に硝子をいじめた事をとても悔いていました。
高校生になった将也はガキ大将だった頃の将也と比べると、性格が180度変わってしまったのです。
将也が硝子に会いに行ったのは贖罪の為でした。
自己満足と言ってしまえばそれまでですが、筆談ノートを硝子に渡す事で、罪から解放されたかったのです。
「友達になれないかな?」という言葉は最初から考えていたものではなく、硝子に再会して不意に出た言葉だったのでしょう。
クラスの全員が共犯
「お前さ、もっと上手くやんねーとウザがられちゃうんじゃねーの?」という台詞通り、将也は女子の間で浮く硝子の事を最初は気にかけていました。
しかし、硝子があまりにも真っ直ぐに自分に向かってくる為、将也は戸惑ったのです。
その戸惑いがいじめへと繋がったのでした。
硝子へのいじめにおいて、将也だけでなくクラスの全員が共犯といえます。
将也以外は見えない形で、硝子を疎ましい存在として扱っていたのです。
見える形でいじめていたのは将也だけで、将也はある意味自分に正直なのでしょう。
その正直さが仇となり、将也もいじめの対象となりました。
将也が硝子に会いに行ったのは、失われた過去の時間を取り戻したかったのです。
将也と硝子の共通点
不思議な再会を果たした将也と硝子ですが、二人には共通点が幾つか存在します。
その共通点について、考察していきたいと思います。
自己肯定感が低い
あだ名が“しょうちゃん”であるという事も二人の共通項ですが、将也と硝子はいい意味でも悪い意味でも似ています。
特に、自分に対する自信のなさ、自己肯定感の低さではその似ている部分が顕著に浮き彫りになっているといえるでしょう。
“自分さえいなければ”という考えが強く、人の顔色を見て生きているようなところがある二人。
まさに同じ鏡を見ているような二人です。
いじめにあった事がその性格に大きく関係しているのでしょうが、自分を大切にできない事が他人をも真剣に愛せなくなっている要因なのです。
似ているからこそ感情をぶつけ合えた
将也と硝子が小学校時代に取っ組み合いの喧嘩をする場面がありますが、このシーンは二人の感情の解放と呼べるでしょう。
特にいつも自分の感情を抑え込んできた硝子にとっては、将也が初めて自分の“怒り”という感情を露わにできた人物だったといえます。
似ている部分が多いからこそ感情をさらけ出せる事のできた将也と硝子。
あの取っ組み合いがなければ、二人の未来は全然違うものになっていたといえます。
裸の心をぶつけ合えたからこそ、二人は未来において再会できたのです。
何故、将也は泣いたのか?
ラストシーンで周りの人の顔の×印が剥がれていき、将也は号泣します。
このラストシーンが意味するものとは何なのでしょう?
将也と硝子が心を取り戻していく物語
将也も硝子もずっと心に蓋をして生きてきました。
この「聲の形」という映画は将也と硝子が過去に向き合い、周りの人々と真剣に向き合っていく事で心を取り戻す物語と呼べるでしょう。
この映画の最大の良点は、将也と硝子の恋愛模様だけに収まっていないところです。
人間対人間、それがちゃんと描かれているところに良さがあるといえるでしょう。
未来は明るい
将也も硝子も自分の本音に蓋をして、人に心を閉じて生きてきました。
周りの人の顔から×印が剥がれていく様子は、将也が生きる事を自分に許した証といえます。
“自分には生きる価値がない”そんな漠然とした想いを抱えながら生きてきた将也。
そしてそれは硝子にも同じ事がいえるのでした。
その二つの想いが二人を引き合わせ、孤独や悲しみから解放させてくれたのです。
「君に生きるのを手伝ってほしい」この将也の台詞に全てが詰まっています。
そして将也が流した涙には、どんなに過去が酷な物であっても、人に与えられている未来は平等に明るい、そんな意味が込められているのです。
まとめ
映画「聲の形」のネタバレ・考察記事を書いてきましたが如何でしたでしょうか!?
繊細なテーマながら、決して涙・涙だけで終わらせず、観た後に不思議な爽快感を与えてくれるこの作品。
その映像美と細やかなキャラクターの設定、そして脚本の仕上がりの良さ、さすが京都アニメーション!といった感じです!
原作と映画は異なる部分もありますが、原作のイメージを壊さずとても綺麗な仕上がりとなっています。
京アニが誇る青春アニメ映画の金字塔「聲の形」。
何度も観返したくなる作品です!!