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アニメ版「君の膵臓をたべたい」は2018年に公開されたアニメ映画で、作家・住野よるの2015年に出版された同名小説を原作とした作品です。

小説投稿サイトに掲載された原作を他のプロ作家が目にし、出版社を紹介したところ、デビュー作でありながら爆発的な売れ行きを見せベストセラー小説になりました。

オーディオブック、実写映画、そしてアニメ化とメディアミックスすることでファンを増やし、各メディアで人気を博し「キミスイ」の愛称で知られるようになるのです。

アニメ版は最後に登場したメディアですが、原作の雰囲気を最も忠実に表現している作品として非常に評価が高く、映像美と人物描写が素晴らしいアニメになっています。

桜良と「僕」(春樹)が紡いだ物語のなかで、アニメ版だったからこそ表現できたシーンや原作から追加されたことで変化した要素を中心に考察していきましょう。

君の膵臓をたべたい(2018年)

見どころ
印象的なタイトルと、切なくも美しい内容で大きな反響を呼び、実写映画化もされた住野よるの小説が原作。アニメならではの繊細な表現で『キミスイ』の世界が描かれる。
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あらすじ
他人に興味を持たず、ひとりで本を読んでいる高校生の「僕」は、病院の待合室で手書きの『共病文庫』と題された文庫本を拾う。その本は、天真爛漫なクラスの人気者・山内桜良が密かに綴った日記帳だった。桜良は膵臓の病気で余命いくばくもないことを告げる。
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君の膵臓をたべたい(ネタバレ・考察)

「キミスイ」は原作小説の出版、実写映画化を経てアニメ映画公開となりましたが、実は原作小説が出版される前にアニメ映画になることが決まっていました。

「キミスイ」の小説を刊行している双葉社が配本しているサンプルを、アニメ配給会社・アニプレックスのプロデューサーが発売前に読み、アニメ化を即決したのです。

発売された小説は300万部を売り上げ、本屋や読書家から絶賛された結果を見るに、プロデューサーの慧眼は間違いなかったと言えるでしょう。

そんなエピソードを持つアニメ版「キミスイ」に関する、ちょっとした情報をご紹介させていただきます。

「キミスイ」の監督は本作で監督デビュー!

本作の監督は牛島新一郎で、主にアクションの多い作品で助監督や副監督を務め評価されていましたが、実力を認められ監督デビューすることになりました。

監督デビュー作であるうえに、メディアミックスされている人気小説の満を持してのアニメ化ということで、慎重に制作が進められたのです。

脚本は原作者の住野よると牛島監督で担当し、どういう映像作品になるかを常に想像しながら組み立てていったとのこと。

結果として監督が生み出した「キミスイ」は、美しい世界の中で人はどう生きるかというテーマを描き、小説の読後感に負けない、観終わったときの深い余韻を味わえます。

高杉真宙も声優デビュー!

主人公である「僕」こと志賀春樹を演じたのは、俳優の高杉真宙になります。

子供時代から芸能界で活躍し、キャリアを積み上げてきた彼ですが、自分の演技力に悩むこともあり、壁を乗り越える努力をしてきたそうです。

結果として若手俳優の中でもトップクラスの演技力を身に着けた高杉真宙の、次の挑戦が「キミスイ」での声優デビューでした。

声質や雰囲気から「僕」にマッチするとプロデューサーや監督から指名されたのですが、もともとアニメ好きの高杉はアニメへ出演するプレッシャーで緊張したそうです。

そこで監督は物語の進行に併せて収録する”順撮り”で高杉の声優としての経験を積ませることで、成長する高杉の演技と劇中での「僕」の進歩を合わせることにしました。

この目論見は大当たりし、感情の振れ幅が大きくなっていくストーリーの進行に併せて高杉の演技がハマり、良い結果となったのです。

演技のレベルが上ったせいで、初期に収録した過去を振り返るシーンを撮りなおしたとか!
それだけポテンシャルが高かったということでしょう。今後の声優活動に期待です。

アニメ版が細かく描いた心の交流とは

アニメ版「君の膵臓をたべたい」は実写版と違って、成長した「僕」(春樹)が過去を振り返るのではなく、現在進行形の物語として進みます。

「僕」は前述の通り高杉真宙が、桜良は声優のLynnが演じており、この2人の交流をしっかり描くことで人間関係や考え方の変化を表現しているのです。

ここではアニメ版がなぜ主人公2人を徹底的に描いたのかを考察していきます。

友達の居ない「僕」の進歩

「僕」が病院で桜良の秘密を書き記した”共病文庫”なる本を拾ったことから物語は始まります。

家族以外、誰にも教えていない病気の秘密を知った「僕」は、本の持ち主である桜良と約束して秘密を共有する仲間になるのです。

序盤で描かれる2人の会話は、「僕」が経験してこなかった人付き合いのスタートとして、コミュニケーションが得意でない様子が演技から伝わってきます。

社交的な桜良と孤高に生きてきた「僕」を対比させることで、違う世界の2人がどう交わっていくかが焦点になるのです。

「僕」を演じた高杉真宙がアニメ作品での演技に慣れていないため、桜良との会話が噛み合わないと感じるのは、監督が意図した”関係のぎこちなさ”を表現しています。

物語が進み「僕」が桜良と対話を重ねることでお互いの会話がスムーズになり、「僕」(と高杉真宙)の進歩が伝わるのです。※誤字

桜良という存在が「僕」とつながったことで、他者との交流を経て感情の変化を知るなど、彼の人生の中で大きな転換点になりました。

残された寿命で願いを叶えたい桜良

自分の寿命を知った上で病と向き合い、死ぬまでにしたいことを「僕」と叶えていく桜良は、友達も多くコミュニケーションも上手、そして非常にアクティブです。

周囲を振り回す元気を見せるなど一見ポジティブに見える桜良は、心のなかでは迫りくる寿命に怯えています。

明るい性格を装いごまかしながら、自分の価値を見いだせない中で「僕」と出会いますが、その過程で自分の存在価値と生きがいを得る桜良は、心の機微を丁寧に表す必要があり、難しい役どころです。

「僕」の成長と距離の近づきを喜びつつ、自分の不安と戦う桜良をLynnは見事に演じ、高杉の演技を引き出した上で桜良というキャラの深みを見せました。

時間が進むことで縮まる距離や関係と、確実に減っていく寿命の中で「僕」にふと見せる弱い一面など、儚いながらも魅力的で心に残るヒロインになっています。

「僕」と桜良が放つメッセージ

実写版では大人になった「僕」と桜良の親友である恭子が、桜良からのメッセージを受け取るというオリジナルの展開を付けたことで、映画としての起伏を作っていました。

アニメ版では原作者が脚本に加わったことで、小説をアニメ映画にどうやって変換し、伝えたかったメッセージをどのように織り込むかが重要視されたのです。

結果的に本作は「僕」と桜良の関係を中心に、二人の出会いから絆が芽生え、お互いを大事に想う交流による成長を、原作に加える形で描いています。

その最たる場面として注目したいのが、病院に入院していた桜良が「僕」を連れ出して花火を見に行くシーンです。

原作では病室で桜良と花火を見るのですが、アニメ版では花火がよく見える場所で、美しい夜空の大輪をバックに抱き合う2人が描かれます。

人生最後の打ち上げ花火であることを桜良は理解していたのでしょう。「僕」はそんな桜良の不安を察知し「君に生きていて欲しい」と真っ直ぐに伝えるのです。

「僕」にとって桜良が何よりも大事で、1番の存在として見てくれている事を理解し、2人が重ねてきた時間が結実したことを感じた桜良はこの瞬間に救われました。

アニメ版独自の描写ですが、最後の花火を大事な人と見て気持ちが伝わるシーンは映像として非常に美しく説得力もあり、クライマックスとして観客を魅了するでしょう。

なぜ桜良は殺された?

あとわずかの寿命で、限られた時間の中「僕」と過ごすことを楽しみにしていた桜良は通り魔に刺されてこの世を去ります。

寿命が限られているからといって、それを全うできるとは限らない衝撃的な展開は、観る人にショックを与えるでしょう。

この展開は、病気の有無に関わらず、”人生をどう生きるか?”というメッセージになっているのです。

普段、何気なく過ごしている日常はとても尊いもので、残されている寿命は誰にも分かりません。

死ぬ側も、残される側も、最期を迎えたら関係は絶たれてしまいます。

桜良の最期は人間関係を含めて、いつ死んでも悔いの残らない生き方をしようという気持ちにさせてくれるのです。

やりたいことリストから見る桜良の気持ち

桜良は余命を告げられていることから、自分が大人になれず命が終わる事実を理解しています。

そのために「僕」と仲良くなった桜良は、共病文庫に”やりたいことリスト”を書き、叶えていくことにしました。

限られた条件の中で、やり残したことが無いように生きようという彼女の決意を感じます。

劇中で細やかに描かれている”やりたいこと”と、それを願った桜良の気持ちを推察してみましょう。

男の子とお泊り旅行をしたい

異性とお泊り旅行するというのは、普通の女子高生ならなかなか踏み出せない願いに感じます。お互いの関係性として、異性とお泊りするというのは、かなり心の距離が近くないと言い出せないからです。

ですが絶対に叶えたいと決めている桜良は、「僕」と一緒に富山から博多へ向かい、内緒の一泊旅行にでかけます。

本当は別々の部屋で寝る予定が、ホテル側のミスで1つの部屋に泊まることになった2人は、緊張しつつも同じベッドで寝ることになりました。

ここでお互いに緊張しつつも手を出すわけでもなく、二人で夜を過ごし、心の距離を縮めていくのです。

持病がある桜良は、容態が変化する可能性が高いため遠出が許されていないのですが、「僕」と一泊旅行をすると決めた彼女は親友の恭子の家に泊まると嘘をついてまで決行したことに満足します。

ですが「僕」と秘密を共有し仲良くなったことで、元気なふりをしていても実際は近づいてくる死の不安に怯えていることを告白できました。

強がりの自分ではなく、本当の自分を見せてもいい相手として、仲の良い異性である「僕」の存在が桜良の中で支えになっていることを示しているのです。

美味しいラーメンを食べたい

一見、なんでもないようなことにも思えますが、膵臓の病気を患っている人にとってラーメンは基本的に食べられないメニューです。

膵臓は食べた脂肪分を分解する物質を出すため、食事で脂っこいものを食べると膵臓の働きが強くなり、負担をかけてしまいます。

残り少ない人生で美味しいラーメンを食べるチャンスは、体調が良好であり、その上で美味しいお店は行列ができるであろうことから、実は難度の高い願いなのです

桜良は「僕」と博多旅行に行った際に、博多一幸舎でとんこつラーメンを食べることができました。幸せな瞬間として彼女の胸に刻まれたのではないでしょうか。

※紐付け ラーメン 体調と関連させる

恋人じゃない男の子といけないことをしたい

自宅に「僕」が来たときに、桜良はやりたいことの1つとして”恋人じゃない男の子といけないことをしたい”と告げます。

ここで桜良が考えていた”いけないこと”は、男女のキスを想定していたようですが、「僕」に迫るふりをして、自分から冗談めかしてごまかしてしまうのです。

その結果、「僕」は自分の気持ちを弄ばれたと思い、怒って桜良を押し倒します。

桜良と自分は直接的な言葉が無い関係でもお互いに好意を抱いていると思ったからこそ、「僕」は怒ってしまうのです。

なぜ桜良は恋人じゃない男の子といけないことをしたい、と共病文庫に書いたのかは理由があります。

いけないことをしたいと思ったのは「僕」と一泊旅行した後に追加された願いで、同じベットにいながらも接触すること無く緊張して一晩を過ごしたため、いけないことをしたいと考えたのです。

“恋人じゃない男の子”という前提は、桜良が過去に男子と付き合っていて、恋人同士の関係ではありましたが上手く行かなかった経験があったからでしょう。

恋人というものを経験している桜良にとって、もっと尊い存在である「僕」を”恋人”と表現するのがイヤだったように見えます。

桜良の表現を分かりやすく翻訳すると”「僕」とキスしたい”という願いになりますが、叶わずに終わりるものの、お互いの理解を深める結果となり、2人はより強く結びつくのです。

「君の膵臓をたべたい」の意味

短い期間でありながら、桜良と「僕」(春樹)の絆は深まっていきます。死ぬことに怯えていた桜良はかけがえのない関係を「僕」と構築していくのです。

お互いが思っているよりも深く、強い気持ちで通じ合った2人は、恋愛を遥かに超える感情を共有します。

そのことを表す「君の膵臓をたべたい」に含まれる言葉の意味や、以心伝心で繋がっていたからこそ明らかになったメッセージをお伝えします。

爪の垢を煎じて飲みたい

優れた人にあやかって、自分も成長したいということわざですが、春樹はメールを打つときに一回書いたものの、取り消して別の言葉を送ります。

桜良の死後、共病文庫に書いてあった遺言の中に、”爪の垢でも煎じて飲みたい”と書いてあるのを見つけた春樹は、送らなかった言葉が届いていたことに驚くのです。

2人がどれほど通じ合っていたかを表す描写であり、お互いに敬意を持っていたかが分かるシーンになります。

君の膵臓をたべたい

タイトルにもなっているこの言葉は、好意だけでは表せない相手への強い思いが含まれています。

春樹から桜良へのメッセージは、君の患っている病を無くしてしまいたい、という意味と、君と1つの存在として生きていきたい、の両方を含んでいるのでしょう。

2人の間には凡百の言葉を超えた相手を思うメッセージとして、「君の膵臓をたべたい」が共有されていたことが分かるのです。

最後に見たメールの内容が遺書に書かれていたことで、桜良と想いを共有できていたと知った春樹は、始めて桜良の死に泣くことができました。

桜良は、春樹と会える嬉しい気持ちで亡くなったことは幸せなのかも?
残された人は秘密の有無に関わらずショックを受けますし、見解が分かれるでしょう。

桜良と春樹の会話に見る運命

 

知り合ってすぐの頃に、桜良は春樹の名前を知る機会がありました。

”桜の花は散ったすぐ後に蕾をつけ、春を待つところが好き”と桜良が言ったあとに、共病文庫を拾った相手の名前が春樹と知り、名前の関連性に驚きます。

桜という春の花が咲く自分の名前に紐付けられるような“春の樹”が現れ、仲良くなったことは、桜良にとって運命的な出会いだったのでしょう。

そして桜良は、自分が春樹にとって必要な存在になりたいと願っており、そのことを含めて”桜は咲くべき時(春)を待ってる”と考えるのです。

その気持ちが通じたのか、春樹が桜良に対して”桜良の名前は君にぴったりだ”と告げるシーンに、作者のメッセージを感じます。

”春を選んで咲く花の名前は、出会いや出来事を偶然じゃなく選択だと考えている”と答えた春樹も、桜良に運命を感じたのです。

導かれたような出会いから、人生で大切な時間を過ごせたことが登場人物と観客の間で共有され、感情を揺さぶられるようになっています。

恭子と春樹が1年かけて友だちになり、他にも人付き合いができたのは桜良のおかげですね。
墓参りに来た恭子と春樹を見守るように、桜の花びらが揺れるシーンに桜良の気持ちを感じます。

「星の王子さま」と「こころ」が意味すること

映画の中で、桜良は「星の王子さま」を好み、「僕」は「こころ」を持っているシーンが描かれます。

読書が好きな「僕」ですが、原作では太宰治が好きと言っており、なぜアニメ版では夏目漱石の「こころ」を持ち歩いているかについては明かされていません。

桜良はお気に入りの「星の王子さま」がなぜ好きか理由を明言していませんが、劇中での表現から考察できます。

対になっている2人の本が何を意味しているか、ここで解説していきます。

サン・テグジュペリ「星の王子さま」

「星の王子さま」に登場する王子は地球にやってきましたが、自分の星を出るときに、一輪だけ咲いていたバラと喧嘩してしまうのです。

地球にやってきた王子さまはたくさんのバラが咲いているのを見て、バラは特別な存在では無かったと考えますが、すぐにその考えを改めます。

星にあったバラは、王子が丁寧に手入れをして、会話をし、費やしてきた時間があるからこそ特別だと知るのです。

モチーフとして“バラと王子”は桜良と「僕」であることを示しています。2人は関わり合った時間は短くとも、深くお互いを認めあい、特別な存在になりました。

桜良の遺書を読むシーンで映像が流れ、小さな星の上に桜があるのは、彼女の名前に入っている花という理由だけではなく、「星の王子さま」で描かれている世界を映像化しています。

王子が暮らしていた星の上に、バラ科の植物である桜を描くことで、「星の王子さま」のバラは桜良であり、王子である春樹との特別な時間があったことが伝わるのです。

”いちばん大事なものこそ見えない”という「星の王子さま」を代表するメッセージからも、桜良の心情を表す作品として選ばれているように感じます。

夏目漱石「こころ」

「僕」が読んでいる「こころ」には”恋愛とはどういうものか”や、”死生観”というテーマを主人公が先生に問う内容になっています。

好きな人ができたときに変わってしまう心のエゴや、死は必ず人生の中に含まれることなどの内容が、「僕」が置かれている状況を示しているのです。

また「こころ」には、桜良を知り仲良くなるうえで、心においておきたい2つのメッセージが書かれています。

”愛を求めると最終的には相手を抱きしめることができない”ことと、”秘密を抱えたままでは生きていけない”という2点が、「僕」の未来を変えるヒントになっているのです。

花火のシーンで「僕」は桜良を抱きしめますが、愛を求めると抱きしめられないことを知っている「僕」は愛という言葉で括れないほどの気持ちで桜良を包みます。

また恭子に共病文庫を見せたのは、桜良の遺言に従い秘密を明かすことで、「こころ」に描かれている“秘密を抱えたまま死んでいく”の対比として秘密を明かして生きていく春樹を表現しているのです。

「こころ」を読んでいる「僕」が小説の出来事をなぞりながらも、自分と桜良が選んだ道を生きていくことから、「こころ」は越えていくべき自分を意味しているのではないでしょうか。

劇中曲が描いている「キミスイ」の世界観

劇中で使用されている歌曲を担当しているのが、4ピースのロックバンドであるsumikaです。

明るくポップな音作りを得意としており、ファーストシングルから3枚続けてアニメ作品とのタイアップをするなど、アニメと相性のいいバンドでもあります。

オープニング、劇中、エンドロール中の主題歌と、作品のイメージに関わる根幹の曲を任されたsumikaは、間違いなく最高の仕事を成し遂げました。

3つの曲がどのように「キミスイ」の世界観を構築しているかをお伝えしていきます。

原作者の住野よるがsumikaの大ファンだったこともあってタイアップが実現したそうです。

ファンファーレ

オープニング曲として流れる「ファンファーレ」は、制作された画面を観て曲イメージを作ったのではなく、曲を先に出して欲しいというオファーから始まっています。

sumikaのメンバーは自分たちの楽曲が「キミスイ」を見始める観客に対して、最初の印象を与える主役となることにプレッシャーを感じたそうです。

作詞作曲を担当した片岡健太は何曲も挑戦して、最終的に「キミスイ」の登場人物たちが高校生ということで、その頃どう音楽に向き合ったかの初期衝動を曲にしました。

暗いネガティブなイメージすら飲み込んで、美しい瞬間を見つけに行こうという、「僕」に待ち受ける人生の大きな変化と美しい世界を思わせる一曲になっています。

このオープニング曲に合わせてアニメーションが作られ、音と絵が合わさったときに片岡は愛情に満ち溢れたオープニングをみて嬉し涙が出たそうです。

「僕」が迎える新しい世界に、美しいものが待っているという祝福を込めた曲と映像美のコラボレーションは非常に印象的で、引き込まれます。

秘密

劇中で桜良と「僕」が花火を見ながら抱き合い、お互いを大事に想う気持ちを確認するというシーンで流れるのが「秘密」です。

曲中では、自分が夢に見たようなことが叶う嬉しさと戸惑い、相手と自分とが抱き合うことで伝わる熱など、作中で桜良と「僕」が感じてる気持ちを表現しています。

桜良には、生きているうちに見られる最後の花火であることを分かっており、かけがえのない瞬間を共有して、「僕」の中の特別でありたいと考えているのです。

「僕」はそれを理解し、気持ちを伝えたことで、桜良が胸に抱えている願いが叶い救済となるクライマックスのシーンなので、強く印象に残る曲になっています。

春夏秋冬

映画のラストで流れる曲として、「春夏秋冬」は後味を決める重要な役割を持っています。

初めてsumikaのメンバー全員で作曲を手がけており、作曲名義もsumikaになりました。

歌詞の中で、思い出にずっと残り続ける桜良を想うようなメッセージが込められており、季節が巡るたびに桜良へ伝えたいことが増えていくような描写があります。

春樹(「僕」)の中で桜良は大事な存在として、悲しみで終わるのではなく、絆はきちんと繋がったまま未来へ進む意志も感じられるのです。

ラストにこの曲が入っているおかげで、辛い別れで終わるわけではなく、二人の出会いが新しい世界を広げてくれたというメッセージがあるため、前向きな気持ちを感じます。

3曲とも手に入れたいのですけれど、どうしたらいいですか?
セカンドフルアルバム「Chime」に3曲全部入っているので、チェックしてください!

実写版とアニメ版、どっちを先に観る?

「キミスイ」は先に実写映画化されており、後からアニメ版が登場しました。原作ファンとしては実写版からアニメ版を観た方も多いでしょう。

映画の「キミスイ」をまだどちらも観ていないのであれば、アニメ版から実写版という順番で観ることをおすすめします。

アニメ版は原作に忠実に作られており、基本となるストーリーラインを落ち着いて追えるからです。

寿命を迎えることなく、通り魔に刺されて亡くなる桜良と、残された遺志を受け進む「僕」たちというプロットをアニメ版で学んで、実写版の「キミスイ」を観ましょう。

実写版は映画化する上で原作になかった”12年後の春樹”が登場し、過去を思い出す中で桜良が残したメッセージを恭子に届ける仕掛けが加わっているため、印象が変わるのです。

桜良が残した謎というギミックを加えることで、過去パートに加えて現在パートも盛り上がり、悲しみや感動に加えて幸せな空気も流れるなど実写版ならではの追加要素があります。

そのため、アニメ版を先に観てから実写版を観ると、原作のストーリーラインを把握した上で追加された要素を楽しめるので、混乱が起きません。

それぞれ楽しみのポイントが変わるので、どちらも鑑賞していただき、違いを堪能してください。

まとめ

一番早くメディアミックスが決まりながら、より良い作品づくりのために最後に登場することになった本作。

原作者の住野よるも「最後のメディアミックスかも知れない」という覚悟があり、世界観を描く上で楽曲を自分が信頼するバンドであるsumikaに任せるなど本気度が高いです。

製作者全員のモチベーションが高く、回想シーンでは桜良が何を考えて遺書を残したのかを悲しくない映像で表現するなど、泣ける映画にとどまらない工夫が観られます。

製作期間は約2年用意され、じっくり取り組んだ結果名作となって世に出た「君の膵臓をたべたい」をぜひおうちシネマで楽しんでください。

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