
「本当の悪は笑顔の中にある」
そんなキャッチコピーを掲げ、映画界に新たな風を吹き込んだ「ジョーカー」は、2019年にアメリカで上映されたスリラー映画です。
監督は映画「ハングオーバー!」(2009年)等で有名なトッド・フィリップス、主演はホアキン・フェニックスが務めています。
この映画は「バットマン」(1989年)シリーズの名悪役であるジョーカー誕生の経緯を描いた物語です。
その過程で描かれたあまりにも道徳的・倫理的に問題ある内容の本作は、決して万人にオススメ出来る作品ではありません。
しかし、それと同時にこの映画は非常に素晴らしい出来の作品でもあり、ジョーカーの狂気を表現の限界まで描いているのです。
そんな映画「ジョーカー」について、さまざまなネタバレや考察を交えながら紹介をしていきます。


ジョーカー(2019)
貧富の差が激しく治安の悪い町、ゴッサム・シティで暮らすアーサー・フレックは、緊張すると急に笑い出す発作を患っているが、心優しい男性である。
彼は憧れの大物芸人、マレー・フランクリンの番組に出る事を夢見て、日々大道芸人として生活を送っていたが、世界は彼に優しくなかった。
仕事中に暴行を受ける、大道芸人の仕事を首になる、発作を抑える薬を手に入れられなくなるといった不幸が彼の身に降りかかる。
こうして失意の中家路についたアーサーは、地下鉄で富裕層の男達に絡まれ暴行を受け、衝動的に銃で彼らを撃ち殺してしまう。
混乱したまま家に帰ったアーサーは、富裕層に反逆した英雄として貧困層に祀り上げられている自身のニュースを見る。
それを見たアーサーの中には、今まで感じた事の無い、言い知れぬ高揚感が己を満たしており、この事件を境に狂気的な一面を見せるように…。
ジョーカー(ネタバレ・考察)
映画「ジョーカー」は、さまざまなトリビアに彩られています。
この映画を見たことがある人も、無い人も思わず観たくなるようなトリビア等を用意しましたので、是非ご覧になってください!
体調に影響を与える程の印象的な映画
映画「ジョーカー」はグロテスクな描写や性的な表現があまり無いのにも関わらず、R15+指定をされた映画です。
例えば映画「バトル・ロワイヤル」では残酷な描写が多かったため、R15+に指定されています。
この映画がR15+になった原因は、作中で社会がアーサーに与える生々しくも残酷な仕打ちや、彼に対する余りにも救いのない惨状が細かく描写される、精神的にダメージを与える作品であったためです。
また、社会問題を風刺する内容と、暴力を肯定しかねない表現を描いた作品となっていたため、R15+というレーティング指定が行われたと考えられます。
映画の放送後、アーサーに感情移入した観客が体調を崩してしまうちょっとした事件もあり、体調が悪い時は絶対に見てはいけない作品と言われるようになりました。
どうしてアーサーはジョーカーになったのか
アーサーは障害を抱えながらも必死に母を養うために仕事をして、ピエロを演じて子供に笑顔を届けようとする、ジョーカーという人物にはとても似つかない人物でした。
そんなアーサーをジョーカーに変えてしまった原因は、アーサーではなく社会にあります。
彼の暮らすゴッサムシティは、貧富の差が非常に激しく、貧困層は強く虐げられながらも反抗する機会を伺う生活をしていました。
そんなある日アーサーが衝動的に行ってしまった富裕層の殺害がメディアで報道され、貧困層の人々から称賛を受けます。
これは今まで社会に居場所もなく、人々には忌み嫌われ、誰からも称賛される事も無かったアーサーにとっては未知の感覚です。
貧困層はアーサーを偉業を成し遂げた英雄として祭り上げ、彼を模したピエロたちが日々暴動を起こし、社会は混沌としていきます。
そしてアーサーは、混沌の中に自分の居場所を見つけました。
混沌の中にしか居場所が無いと分かってしまったから、彼はジョーカーとして混沌を振りまくようになったのです。
アーサーの出生の秘密
映画の中盤で、アーサーは後にバットマンとなるブルース・ウェインの父、トーマス・ウェインの息子では無いかという疑惑が母の手紙によって浮上します。
アーサーは真相を確かめる為にトーマスの元を訪ねますが、彼はアーサーの母親は狂っていると断言、アーサーの父親である事を強く否定しました。
後に自身が養子であり、母親は精神疾患であるというトーマスの言っていた事が正しいと証明する資料が出てきますが、そこでおかしな点が一つ見つかります。
それは母親の持っている古い写真に「君の笑顔が好きだ T.W」というトーマスが直筆で描いたであろう文章が残されていたためです。
トーマスは昔、ペニーと本当に関係を持っていたが、市議会議員という重役に就いている今、スキャンダルが発生するのは好ましくありません。
その為権力を使って病院の資料を捏造し、事実を捻じ曲げたという可能性も否定出来なくなりました。
もし、この親子関係が本当であるならば、この世界でのジョーカーとバットマンは兄弟という、なんとも奇妙な関係性になってしまいます。


物語は「バットマン」に繋がっていない
この映画は「バットマン」の名悪役であるジョーカーの成り立ちを描いた映画です。
しかし、ここで誕生したジョーカーが「バットマン」のジョーカーにはならず、話も繋がっていかないと言われています。
その理由は、この映画が他のバットマン作品との繋がりを持たない、単独の作品であるという事が公式から明言されているためです。
あくまでジョーカーという人物は、バットマンと対極の位置に存在する悪役という設定であり、彼の在り方や持っている過去はその時々によって変化します。
ジョーカーという人物の起源を確定させないために、この映画はシリーズものではなく、一つの作品として成り立つように作られました。
そのため、映画「ジョーカー」は他のバットマンシリーズを一切見てなくても十分に楽しめる作品になっています。
踊りながら階段を降りるあのシーンは観光名所に
映画「ジョーカー」で特に有名なシーンは、アーサーがダンスを踊りながら長い階段を降りていく場面です。
作中で複数回登場するこの長い階段ですが、アーサーがこの階段を使う時はある一回を除いて全て登っていく描写のみがされています。
長い階段を上っている時、彼はアーサーであり、さまざまな物事に苦労している彼の重い心情を表現していました。
そしてアーサーが唯一階段を下る場面は、ジョーカーとしての内面が現れているからか軽快にダンスを踊っており、その心情の表現方法に思わず驚かされてしまいます。
そんなジョーカーが軽快に踊っていた階段は、アメリカのニューヨーク市にあるアパートの一角に実在し、映画公開後から多くの映画ファンが集まる観光名所になりました。
公開当初は連日、ピエロやジョーカーのコスプレをした人たちが大勢訪れ、大賑わいになったと言われています。
ホアキン・フェニックスによる徹底した役作り
この映画の大きな見どころは、ホアキン・フェニックスが演じるアーサー・フレックとジョーカーの名演です。
アカデミー主演男優賞を始めとした多くの賞を獲得するなど、その演技は世界で認められる素晴らしいものになっています。
そんなホアキンは、アーサーとジョーカーの役作りをする為に異常なまでの拘りを見せていました。
徹底して行われた極端な減量
彼はまずやせ細った風貌のアーサー役になりきる為、4か月で約24㎏もの減量を行っています。
その減量方法は、一日の食事をリンゴ一つと少量の野菜だけで過ごすという余りにも過酷な方法でした。
ホアキンは元々厳格なベジタリアンで、野菜だけを食べる生活は問題無かったそうですが、それでも非常に厳しい減量であったと彼は後に語っています。
あまりに極端な減量を行ったため、最初の方はまともに動く事も出来なく、撮影をするどころでは無かった程です。
狂気的な笑い方の研究
アーサー・フレックは、脳の障害が原因で、笑いたい訳でも無いのに笑いが制御出来なくなってしまう、情動調節障害という疾患を持っている人物です。
その設定を聞いたホアキンは実際の症例や、過去にジョーカーを演じたヒース・レジャーの笑い方を参考にしながら、ジョーカーとしての笑い方を深く学んでいきました。
そうして出来上がったのが、聞いた人を思わず震え上がらせる、狂気のこもった異常な笑い方です。
悪人を分析し、自身に取り込む
ホアキンはジョーカーというキャラの役作りを深く行う為に、政治暗殺者や暗殺者志望についての本を読み漁り、悪人という物についてを学んでいきます。
そして悪人に対する分析をさまざまな方面から行っていき、内面を変化させる程の理解を進めていました。
この様に精神的に自身を追い込む事で、本当にジョーカーになったかのような演技をすることに成功しています。
撮影の順番を巡って監督にマジ切れ
アーサーとジョーカーの両方を演じるホアキンですが、彼は最初アーサーを深く理解した上でジョーカーを演じたいと考えていました。
しかし撮影スケジュールの都合により、ジョーカーを先に演じないといけない場面が出てきます。
それに対してホアキンは「今のままでは彼を演じる事は出来ない!」と猛抗議し、監督らに怒りをぶつけたこともありました。
それほどまでに彼はアーサーとジョーカーを演じることに対して、力を入れていたと分かります。
余談ですが、ホアキンは後にジョーカーを先に演じて見て本当に良かったと語っていました。
先にジョーカーを演じたことによって、アーサーへの理解がより深まり、より上手く演じられたからです。


全てはジョーカーの妄想!?
映画の最後でジョーカーは手錠に繋がれたまま、病室でカウンセラーと会話をしています。
彼は捕まった後にカウンセリングを受けており、自身の過去である映画の内容を語っていたと考えられるでしょう。
しかしさまざまな理由から、映画で語られた物語が実はジョーカーの妄想では無いかという疑問が浮かび上がるのです。
それらについてを考察していきます。
ジョーカーという人物像
ジョーカーは「バットマンシリーズ」の映画では毎回話す内容が異なり、話す内容が信頼出来ないという印象を受ける人物です。
そんな彼が人に語った物語は、どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか非常に判断が難しい物になっています。
ジョーカーについて全て知っているのはジョーカー本人だけであり、答えは世界中でも彼しか持っていないです。
もしかしたらジョーカー自身も本当の事を覚えていないかもしれません。
また、ジョーカーは映画の最後で面白いジョークを思いついたと語っているため、この映画の内容は彼の考えたジョークであると捉えることも出来ます。
都合の良すぎる展開は妄想?
物語の中で、ソフィーという隣人の女性と付き合っていたこと、ショーに出て憧れの司会者、マレー・フランクリンから称賛されるという出来事があります。
しかしその二つの出来事は間違いなくアーサーの妄想であり、実際にはソフィーとの面識は殆どなかったことや、マレーからは笑いものにされているのが現実でした。
これらの要素から考えられる物は、アーサーに都合の良い願望等は殆ど妄想であり、アーサーにとって都合の悪い物は事実ではないかという事が挙げられます。
彼は映画の前半で、貧困層向けの医療サービスが終了させられて、自身の患っている精神疾患の薬を手に入れる事が出来なくなり、次第に病状が悪化をしていきました。
そこからアーサーは苦しい現状に置かれた自分をごまかすために幻覚を見るようになり、自身にとって都合の良い妄想をしていた可能性が出てきます。
ジョーカーが知らないはずの事も知っている
ジョーカーが暴動の主導者として祭り上げられる裏では、後にバットマンになるブルース・ウェインの両親が暴徒によって殺害されている事がジョーカーの回想によって分かります。
しかし、彼はブルース両親の殺害を聞く機会は存在しておらず、そもそも護送車の事故によって気絶していたため周りの状況すら理解していない可能性が高いです。
そんなジョーカーが何故その出来事についてを知っているのか、それは彼の語った両親の殺害については彼の考えたジョークだったからだと見る事も出来ます。
自分がヒーローとして祭り上げられている裏で、両親を殺されて復讐に燃えるバットマンが誕生しているなんて、余りにも都合が良すぎる物語です。
彼が思いついた面白いジョークと言うのは、ジョーカーとバットマンの誕生についての話なのかもしれません。
11時11分を指している多くの時計
この映画では時計が移る場面がいくつかありますが、その時計が指している時間の殆どが11時11分を示しています。
カウンセリングを受ける場面、タイムカードの機械を壊す場面など、至る所まで時計がこの時間を指しています。
これはカウンセリングを受けている場面のみが真実で、後はジョーカーがその場で語り始めた妄想の話である可能性が浮上します。
そして話を語り始めたのが11時11分であったため、あらゆる場所の時計の時間が11時11分になっていたのかもしれません。
ただし、アーサーがジョーカーの名前を使ってテレビ番組に出演する時は時計が10時40分であったため、この番組に出た時間だけ正しい時間を覚えていたのかもしれないです。
余談ですが11時11分という時間は数秘術や占星術という分野では神秘的な数字と扱われており、物語の始まりを意味する数字であるとも言われています。
何か神秘的な意図を持っていたからこそ、作中に登場する時計の殆どをこの時間に設定したのかもしれません。
社会が人をジョーカーに変える
この映画は、元々優しい男性であったアーサー・フレックが、ジョーカーという狂気的な犯罪者に堕ちるまでを描いた物語です。
そしてこれは、誰もがアーサーのように堕ちてしまうかもしれないということを示しています。
この映画で彼が悪に堕ちていく過程には、常に社会の残酷さが付きまとっていました。
貧富の差、障害を持つ者への差別・偏見、社会への不満等、さまざまな要因が彼を変えてしまったと言えます。
そしてこれらの出来事は、私たちにとっても決して他人事ではありません。
もしこのような仕打ちを受けた時、私達はアーサーと同じ様に変貌してしまう可能性もあります。
映画「ジョーカー」はこの様な社会問題を我々に訴えかけてきている映画なのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この映画は、「バットマン」の名悪役、ジョーカーの誕生についてを知る事が出来る映画です。
映画を見た人は、社会の抱える問題に必死に抗おうとしていたアーサーを思わず応援したくなってしまうかもしれません。
しかし、ここで語られた過去についてはどれが真実で、どれがジョーカーの作り話なのかは分からずアーサーやジョーカーに対する感情は人によって異なってくるでしょう。
間違いなく名作と言える出来の映画ではありますが、感性によって賛否両論が大きく分かれる映画「ジョーカー」。
もしここまで記事を読んで面白いと思って貰えたなら、映画を見てみることを是非お勧めします!