バケモノの子 レンが仲間と共に渋谷の街にいるキービジュアル

「バケモノの子」は2015年に公開された、細田守監督のオリジナルアニメ映画です。

バケモノ(獣人)である熊徹と、人間の子でありながらバケモノの世界で暮らす九太(人間界での名前は蓮)を中心に描いたアクション・アドベンチャー作品になっています。

過去作品の「サマーウォーズ」(2009年)や「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)に引き続き、テーマに”家族の絆”を扱っていますが、より広い層が楽しめるのが特徴です。

様々なテーマを感じるストーリー、視線を釘付けにするアクション、現実世界とバケモノ界の描きわけによる映像美など、観客を魅了するポイントが満載の本作。

登場キャラの成長や変化を中心に、楽しめるポイントや監督が何を観せたかったのかを考察していきましょう。

バケモノの子(2015年)

見どころ
バケモノ界に迷い込んだ少年の冒険を通し描かれる絆や淡い恋愛に、あらゆる世代が共感。役所広司、宮﨑あおい、広瀬すずら、日本映画界を代表する豪華俳優が声優に挑戦。
出典 : video.unext.jp

あらすじ
母親を亡くし一人ぼっちになってしまった渋谷に住む少年・九太は、強さを求めてバケモノたちが住む「渋天街」に行くことに。そこで出会ったバケモノ・熊徹との奇妙な共同生活と修行の日々を送り成長した九太は、現実の世界に戻り女子高校生・楓と出会う。
出典 : video.unext.jp

「バケモノの子」(ネタバレ・考察)

「バケモノの子」はアクションとほのかな恋心、家族の絆に巨大な怪物の大暴れなど、観客の興味を惹く要素が目一杯詰め込んである、宝石箱のような映画です。

子供から大人まで見入ってしまう楽しさが用意されており、男の子女の子はもちろん、お年寄りまで楽しめるようになっています。

また細田監督作品に共通する”家族の形”などを始め、いくつものメッセージが入っているので、気付きを得ると新しい発見があるでしょう。

テーマとして”家族”や”強さ”がどのように劇中で示されているのか、見どころを中心に触れながら考察していきます。

生きていくための”強さ”とは?

母子家庭で育つものの、母を事故で亡くしてしまう主人公の蓮(宮崎あおい)が、親族に引き取られる際に逃亡します。

蓮は自分が親族に歓迎されていないことを理解している賢さと、自分1人で生きていけると考える幼さを持ち合わせているのです。

行き場のない蓮は、周囲に頼らず生きていくための”強さ”を欲しがりますが、明確にはなにが”強さ”なのか分かっていません。

問いかけられる”強さ”の形は大人でも理解が難しいですが、蓮が成長することで得る”強さ”の正体は蓮と観客で共有されます。

細田監督が伝えたい生きるための”強さ”を蓮が手にしていくことで、観客は強さの形が複数あることに気づいていくのです。

幼い考えが危うさを感じさせる蓮ですが、観客は”同じ状況になったとき、こういう選択をするかもしれない”という共感を蓮から受け取り、応援する気持ちになります。

蓮と観客は”強さ”をテーマとして思い描き、蓮が”強さ”を手に入れていく過程は観客の喜びになるのです。

共に囲む食卓は”家族”の証

渋谷の路地裏にたどり着き、そこで明らかに人間とは違う”バケモノ”の熊徹(役所広司)と出会う蓮。

強者である熊徹はバケモノ界を治める”宗師”の次期候補ですが、粗暴すぎるため弟子を取ることを義務付けられるものの、悪名が知れ渡っており弟子候補がいません。

そのため人間の弟子を探しに来た熊徹と、強さを求める蓮は運命的に出会いますが、すんなり弟子入りとはならないのです。

2人の距離を縮めたのは、バケモノ界で起きたケンカが発端でした。熊徹がライバルとしているイノシシのバケモノ、猪王山と衝突します。

実力は同じぐらいですが、野次馬たちは猪王山しか応援しません。圧倒的な武力という”強さ”を持ちながらも一人ぼっちである熊徹。

一人ぼっちの辛さを知る蓮は熊鉄を応援し、熊徹はそれが嬉しかったのか、熊徹と蓮の間には今後育んでいく”絆”が生まれてくるのです。

弟子入りを決めた蓮は熊徹の家で、食べれなかった卵かけご飯をかきこむことで、自分の意志で苦手なものを克服してみせます。

師匠と弟子の関係が始まると同時に、同じ釜の飯を食うことで”家族”となった2人は、1人ぼっちではなく、親子2人として一緒に過ごすことを表明しているのです。

最初に提示された”強さ”の追求に加えて”家族の成長”というテーマも描かれるため、物語は深みを増していきます。

1人では気づけなかった”強さ”

熊徹は蓮にバケモノ界での名前を与えますが、「9歳だから九太」と命名するなど熊徹は悪いバケモノではないが雑な性格である様子が描かれます。

不完全な熊徹が幼い九太と組み合わさることで、不安はあるものの、この先成長が楽しみな親子として物語を引っ張っていくのです。

熊徹が九太に自身の”強さ”を教えられないシーンは、1人で生きてきた熊徹が初めて弟子を持つ体験を”子育ての難しさ”として表現しています。

不器用な親である熊徹に対し、九太は表現が伝わらなくても親の行動を手本にし影響を受ける”子育ての仕組み”に則って熊徹の立ち振舞いを学びます。

熊徹の一挙手一投足を覚え、真似をすることで九太の中で理解が進み、熊徹が指導で伝えられなかったことを身に着けて行くのです。

九太が身につけた技術は”九太流の武術”になり、九太を見ている熊徹にも影響を与え、師匠と弟子がお互いに改良点を取り入れることで、”強さ”が磨かれます。

一人ぼっちだった熊徹と九太は親子の間で師弟関係を結ぶことで、自分以外からヒントを得られるようになりました。1人だけでは解決できない問題を親子でクリアしたのです。

キーワードである”強さ”は、1人だけで鍛えるには限界があり、家族や師弟など自分以外の誰かといることで気づきが得られる描写になっています。

成長するためには家族や友人、師弟など、自分が信頼できる人と”強さ”を共有して切磋琢磨することが大切だと伝えているのです。

最終的に九太は熊鉄を投げ飛ばすほどの実力を身に着けますよね!
弟子が師匠を超えるという”強さ”の目安が次のレベルに達したことが分かります。

バケモノ界での交友関係

九太は熊徹と修行するだけでなく、バケモノ界で友人関係も構築していたことで、親の粗暴さを受け継ぐことなく育ちました。

熊徹が一方的に嫌っている猪王山ですが、猪王山の子供である一郎彦と次郎丸は九太といい関係を築いていくのです。

特に「親同士がライバルでも子供たちの関係は別、どっちが試合で勝っても恨みっこなし」という次郎丸の考え方は、素直に育った朗らかさを感じさせます。

その一方で猪王山を尊敬し、絶対的な存在として目標にしている兄の一郎彦は、九太と交流しつつも将来的にライバルになると考えているようです。

ですが考え方や置かれた環境、成長するきっかけなどの差異が、親に武人を持つという共通項がある九太と一郎彦の間で大きな違いが出る結果になりました。

九太の成長と熊徹の不安

九太は熊徹のもとで修業に励み、バケモノ界で立派な青年へと成長します。

少年時代から声変わりしたため、声優も宮崎あおいから染谷将太にバトンタッチし、子供ではなくなったことが強調されるのです。

17歳になった九太は肉体だけでなく、人間界で精神的にも成長するきっかけを掴み、バケモノ界以外の生き方を知ると同時に親離れが始まります。

多彩な形の”強さ”を学ぶことで、より優れた1人の男として育った九太が子供を卒業していく様子が描かれるのです。

一方で初めての家族が失われるかもしれないという不安に襲われる、九太を好きすぎる熊徹の不安やストレスにも触れています。

九太と熊徹の心情を作中から汲み取りつつ、大人の階段を登ることで”家族”が乗り越えるべき問題について考察していきましょう。

楓に感じるトキメキと青春

バケモノ界で青年に成長した九太は、いままで戻れなかった人間界に戻れるようになります。その際トラブルに巻き込まれた人間の女子高生・楓(広瀬すず)を助けるのです。

このことをきっかけに九太は楓と交流するようになり、文字の読み書きから始めて年齢相応の学力を身につけるなど、今まで鍛えてきたものとは違う”強さ”を獲得します。

初めてできた”異性の友人”かつ”学びの師匠”である楓は、九太にとって魅力的な存在となり、いままでの人生には無かった感覚を味わうのです。

九太は武術という形でしか実感できなかった”強さ”が数ある中の1つでしかなく、”学びの強さ”や”好きな人を思う強さ”など様々な形の”強さ”があることを知ります。

楓と過ごす時間は勉強や異性への好意などを学ぶ体験となり、バケモノ界と人間界の両方で青春を過ごす九太は彼だけの成長を遂げ、観客も特別な時間を共有するのです。

楓と出会ったことで”初恋”や”青春”を感じさせる要素が九太を変えていく様は、青春を経験した大人には眩しく、子供には憧れとして映るでしょう。

バケモノ界にも女性はいるのですが熊徹の周囲には気配がありませんね。
九太は家族も知り合いも友人も男しかいないので、楓との出会いは衝撃でしょう。

熊徹が見せる”親の弱さ”

九太が人間界にたびたび出かけていることを熊徹は面白く思っていません。同時に九太も熊徹に対して反発するようになります。

客観的に見て思春期の九太が自然と親離れすることは当然ですが、当事者の熊徹には子供を育てて大きくした事も、思春期の反発も初めてなのです。

親子であり、師弟でもある九太との関係を築いてきた熊徹にとって、九太がそばに居なくなることは考えたこともなかったのでしょう。

今までは”強さ”の象徴であった熊徹が見せる初めての”弱い”シーンになりました。

熊徹は気づいていないのですが、九太という家族がいることで、武力だけではない”強さ”を手に入れていたのです。

九太がおらず気力がまったく充実していない熊徹は、不完全な状態で猪王山との試合に臨み、実力を発揮できずダウンしてしまいます。

大切な家族を失うかもしれない不安は、強い人でも乗り越えることが難しいことを熊鉄の窮地で描き、どう克服するかが注目するポイントになるのです。

対立していた親子のわだかまりが消える

カウントが10数えられると負けになってしまう試合で、カウント9になったところに九太が駆けつけ、熊徹を怒鳴りつけます。

その声を聞いた熊徹は力が戻ったかのように起き上がって九太に反論し、2人は試合そっちのけで口論するのです。

お互いに踏み込めなかった2人はストレートに文句を伝え合うことで絆を取り戻し、親子の間にあったわだかまりが消滅します。

問題に打ち勝った熊徹は”強さ”を取り戻し、猪王山を圧倒しました。多くのバケモノたちが見守る中で、熊徹の目指していたゴールの1つである最強を証明したのです。

常に”強さ”の象徴であった熊徹が、1人ではたどり着けない心身の”強さ”を育み、絆を深めたからこそ訪れた弱さも乗り越えた、ドラマチックな勝利でした。

ですが勝利に喜ぶ熊徹に抜身の刀が突き刺さり、祝福のシーンは反転します。猪王山の息子である一郎彦が、父が負けたことに納得できず、闇の力を使って熊徹を襲ったのです。

熊徹の”強さ”と九太との成長を描いたところで、隠されていた事実が明らかになり、”家族”と”強さの形”というテーマはそのままに、場面は一郎彦と九太が中心となって進みます。

対照の存在になる九太と一郎彦

「バケモノの子」では、バケモノ界でも生き方や家庭の事情で育ちかたが違ってくる様子が描かれています。

熊徹と猪王山、九太と一郎彦は親子ともどもライバルですが、家族がどのように過ごしたかによって、明暗が別れてくるのです。

なぜ九太は光になり、一郎彦は闇になったのか、対決に至るドラマと示されたメッセージを考察していきます。

猪王山の深い悩み

熊徹のライバルである猪王山は、多くの門下生を持ち武術を教える傍ら、2人の息子の父として家族に惜しみなく愛を注ぐなど、強い上に人格者というキャラクターです。

熊徹と互角の強さを持ちますが、立派な存在として尊敬される猪王山は”宗師”の第一候補として期待されています。

ですが猪王山は一郎彦が自分の血を引く子供ではなく、人間界で拾った捨て子だったことを隠してきたのです。

バケモノ界の言い伝えでは、バケモノ界で人間を育てると心に闇を持つようになるため、災いをもたらすとされています。

この言い伝えで一郎彦が迫害されるのを恐れたのか、人間であることを一郎彦にも伝えず、バケモノの子として育てました。

人間はバケモノではないという決定的な違いを埋めることができなかったため、猪王山は結果的に一郎彦の闇を作る原因になってしまうのです。

九太が輝くほど一郎彦は闇に落ちる

一郎彦は成長するにつれて、父や弟が持つイノシシの特徴が現れないことから、自分が人間ではないかという疑問を持つようになります。

若い頃からイノシシの特徴である鼻や牙をあしらった被り物をしていたのは、特徴が現れない一郎彦にとって”猪王山の息子”という誇りがあったからでしょう。

自分が一番の”強さ”を持つバケモノの子であることは、彼にとって重要なアイデンティティであり、人間かもしれない一郎彦が持つ不安に対しての防壁に見えます。

そんな一郎彦にとって、最初から人間であることを明かしながら、バケモノの子として受け入れられている九太の存在はジレンマを生むのです。

なぜ九太は人間なのに迫害されないのか?自分は出自を明らかにしたら問題になる?などいろんな思いが交錯したことが想像できます。

青年になった一郎彦は体が育ったものの、猪王山から人間であることを伝えられることもなく、親子の間に見えない壁があるかのように絆を深められませんでした。

親子が付き合うには隠し事は無いほうが良い

猪王山が一郎彦に伝えなかった理由は、自身が多くのバケモノたちにとって師匠であることが原因でしょう。

子供たちが幼少の頃から門下生を多く抱え、名士として成功していた猪王山は、生徒たちに嘘をつくと同時に一郎彦にも嘘をついています。

事実を明らかにすれば嘘をついていたことから門下生が去り、一郎彦の信頼も失うと考えた猪王山にとって、明かすことはマイナスにしか働かないと考えたのではないでしょうか。

その結果として信頼している父が最強であり、その息子であることに意味を見いださなければ生きていけないという、一郎彦の歪んた闇を育てる結果になります。

すれ違いながらも隠し事をせずぶつかりあった親子と、秘密を隠しながらお互いの大切さだけが膨らみ問題を解消しなかった親子で明確に違いが生まれました。

2つの「バケモノの子」がいる家庭を比べることで、より良い関係はどちらなのか浮き上がってくるのです。

小説「白鯨」が表す止められない脅威

熊徹と猪王山の対決で、絶対的な存在の父が敗北したことを認められず、一郎彦は闇の力を使って刀を操り、熊鉄を刺します。

怒りに我を忘れた九太も闇の力に飲まれ一郎彦を襲いそうになりますが、感情を抑えることが出来た九太は自分を取り戻し、攻撃を止めました。

人間でありながら”バケモノの子”として育った2人ですが、自身の闇を自覚できていた九太との差が明らかになった一郎彦は、決定的な差を突きつけられて闇に飲まれます。

バケモノ界から消えた一郎彦は自我を失った状態で人間界の渋谷に現れ、楓と遭遇し、彼女が落とした小説「白鯨」に触れることで鯨のバケモノに变化し街を破壊します。  

絶対的な”強さ”の象徴だった父ではなく、自分の闇を力とした何者も敵わない存在が、巨大な鯨だったのでしょう。

映画の中では語られていませんが、ノベライズではバケモノ界でも優秀なものは読み書きを教育する場所があることが明かされているので、一郎彦は鯨を知っているようです。

この場面だけでなく「バケモノの子」では、小説「白鯨」がキーアイテムとなっており、蓮が親戚に引き取られるシーンや、九太と楓の出会いで「白鯨」が登場します。

この作品では鯨に対して、人間が制御できない巨大な脅威としてのイメージと、鯨がどういう姿を取るのかは人間の心しだいで変わる”鏡”としての役割を与えているのです。

闇を受け止める九太と親の愛

九太は鯨の前に立ちはだかり、自分を犠牲にして闇を受け止めようとします。”人間であるバケモノの子”にしか分からない共感があったのかもしれません。

また人間界で九太と合流した楓が加勢し”あなたは1人じゃない”と告げるシーンは、九太の築いてきた信頼関係を感じさせます。

そして鯨が近づいてきた瞬間、九太の前に神の力を宿した”御神刀”になった熊徹が現れるのです。

熊徹は九太が置かれている危機を知り、助けられる方法があると知るや、自身に何が起こるかも構わず助ける道を選びました。

九太に対して立派な父や師匠ではなかった自身を”半端者”と称した熊徹は、それでも九太の役に立ちたいという一心で神になり、九太の危機に駆けつけます。

九太の”胸の中の剣”として熊徹は1つになり、一振りで一郎彦の闇を祓うのです。最後は九太の中に入っていき、親子は1つの存在になりました。

姿や形でなく思いや気持ちがお互いにあれば、家族の絆が消えることはなく、続いていくことを示して、戦いは終わります。

最終的に人間界で暮らすことを選んだ九太は蓮に戻り生きていきますが、父である熊徹が常に蓮の中に生きているのです。

救われない者がいない幸せな映画

鯨になった一郎彦は、闇を祓われたことで元の姿に戻ることができました。渋谷の街で暴れたときの記憶を失っており、気づいたときにはバケモノ界に帰されていたのです。

目覚めた一郎彦の処遇が取り沙汰されますが、猪王山が一郎彦を正しく育てられなかったことを詫び、改めて正しく我が子と絆を深めていきたいと訴えます。

バケモノ界での功績がある猪王山の直訴と、人間界での被害が最小限で死傷者も無かったことから親子は許され、不問となり、バケモノ界に残ることになりました。

猪王山は一郎彦に事件の経緯と一郎彦の出自を伝えた上で正しく対話できなかったことを謝罪し、親として自分の子を愛していると伝えたのでしょう。

親子関係を正しく修復できた2人はお互いを大切にするために、父として息子の目標になり、息子として父に恥じない人生を歩むと思われます。

2つの”バケモノの子”がいる家族を描き、どちらかが悪であるという表現ではなく、かけちがえたボタンは直すことで再起できると伝えているのです。

この描写が加わることで、細田監督作品で語られてきた”家族”の形が明確になり、大切にしていこうというメッセージを感じます。

主題歌であるMr.Childrenの「Starting Over」が作品にマッチしてますね!
自分の心の弱さを克服して、そこから再出発するという内容が本作にぴったりです。

「バケモノの子」を構築する映画たち

細田監督は本作公開の際に様々なインタビューを受けており、その中で「バケモノの子」のエッセンスになった映画作品について言及しています。

どういった名作が引用されているのかを、劇中のキャラクターや場面と照らし合わせながら解説していきましょう。

「七人の侍」(1954年)

強さはあるが知性に欠ける描写や手にした大太刀から、映画ファンの間で熊徹は黒澤明監督作品である「七人の侍」に登場する菊千代(三船敏郎)をモデルにしていると噂されていました。

スペインの映画祭で「バケモノの子」が上映された際に細田監督が質問に答える形でこれを認め、元はモノクロ映画ですが菊千代は朱色の鞘を使ったのではと考え着色したと発表したのです。

また熊徹の友人である多々良と百秋坊は、同じく「七人の侍」に出演していた役者から名前を頂いています。

多々良は侍を仲間に引き入れるきっかけとなる人足を演じた多々良順から、百秋坊は侍として百姓を守る林田平八を演じた千秋実が由来になっているのです。

「スネーキーモンキー 蛇拳」(1978年)

もはやレジェンド級のアクション俳優であるジャッキー・チェンの出世作で、彼の名が広くファンに知られるきっかけとなった映画です。

それまでのカンフーものは親や師匠の仇討ちをテーマにしたものが多く、アクションはあるものの暗いトーンの作品ばかりでした。

ですがこの作品では修行の場面や戦闘シーンなどにコミカルな要素が含まれるため、明るいエンターテイメントとしてカンフー映画が評価されるきっかけになったのです。

師匠の教えが分からず、九太が動きを真似して熊徹の強さを身につけるシーンは、「蛇拳」の明確なオマージュとして描写されています。

アクションとしての楽しさだけではなく、”父と子(家族)”と共に”師匠と弟子”という、継承される強さや成長の由来についても伝えたい事がわかるのです。

「スリーメン&ベビー」(1987年)

明確に意図して描かれたのではなく、映像を作り上げていくうちに作品の共通項が観られるようになったのが「スリーメン&ベビー」です。

この作品は独身貴族の男性3人が共同生活しているところに赤ん坊が預けられ、子育てやトラブルに巻き込まれるコメディで、元はフランス映画でした。

九太が赤ん坊、熊徹とその友人である多々良と百秋坊がスリーメンという配役ですが、子育ては多々良と百秋坊が中心で熊徹はあまり役に立っていないあたりの食い違いが楽しめるポイントになります。

細田監督の過去から考察する「バケモノの子」の裏テーマ

本作は1本の作品として観ても楽しめますが、細田監督の人生とクリエイターとしての経歴、関わってきたアニメ映画を知ることで細田監督の挑戦を感じることができます。

そのカギとなるのが、映画好きなら知らぬ人がいないであろうアニメ制作会社”スタジオジブリ”と宮崎駿です。

「バケモノの子」がどうして生まれたかを、細田監督の歴史と照らし合わせながら、情報を元に考察していきます。

ジブリ入社を目指すも才能がありすぎて落選

細田監督は若い頃に宮崎駿監督作品である「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年)を観て夢中になり、アニメ業界へ進むことを決めるのです。

細田監督はジブリの研修生になる試験で、提出ノルマがイラスト2枚のところを150枚描いて送りますが、宮崎駿は「ジブリでは細田くんの才能が削がれる」と判断します。

結果として才能を認められながらもジブリには入れず、東映アニメーションに入った細田監督は才能を発揮しアニメ業界での評判を獲得するのです。

細田監督は「ハウルの動く城」を作っていた

細田監督がアニメクリエイターとして実績を積み上げたころ、宮崎駿が「千と千尋の神隠し」(2001年)で引退を宣言したため、細田監督とジブリが再び交わります。

指名を受けジブリ作品の次作「ハウルの動く城」(2004年)を作ることになった細田監督は作品に取り掛かりますが、ジブリ側の手が空かず作業ができない状況が続くのです。

そのため細田監督が確保しているスタッフはなにもできず時間だけが過ぎ、最終的には復帰宣言をした宮崎駿が「ハウル」を監督、細田監督は降板させられてしまいました。

細田監督は声をかけたクリエイターたちに迷惑をかける結果になり、かなり悔しい思いをしたそうです。

このときに感じた思いが、細田監督作品を創る上で原動力の1つになっていると考えると、自分のスタジオを作って制作し、オリジナルにこだわる作家性の由来が見えてきます。

過去が細田監督の未来につながる!

何度かの引退宣言と復帰を繰り返しながら、宮崎駿とジブリは”すべての年齢層が楽しめる映画”を世に放ち続けます。

細田監督もいくつもの映画を発表しつづけ、”家族”を軸にした物語で多くのファンを獲得していくのです。

そんな細田監督が全世代に向けての映画を考えるきっかけが、ジブリ最後の宮崎駿作品「風立ちぬ」(2013年)の公開でした。

この作品は戦闘機を作る若者たちが戦争などに直面したときの人間ドラマであり、それまでの宮崎駿作品と違い大人向け映画として発表されたのです。

また公開のときに、ジブリが公式に宮崎駿の引退を発表。このことで”すべての年齢層が楽しめる映画”が空白になると考えた細田監督は、アクションを起こします。

その結果、ジブリ最大のヒット作「千と千尋の神隠し」に対しての返答と、細田監督が考える”全年齢層が楽しめる映画”として「バケモノの子」を生み出したのです。

宮崎駿監督が作ってきた”すべての年齢層向けアニメ映画”に対して同じスタンスでありながら、新時代の作品はこうあるべきという細田監督のメッセージが伝わる作品になりました。

でも結局、宮崎駿監督は復帰して「君たちはどう生きるか」を製作中ですよね?
「風立ちぬ」が最後にやりたかったことだと当時は言ってたんです!

2つの映画に見る共通項と細田監督作品の強み

「バケモノの子」は、人間界と別世界が近いところで繋がっていて、別世界で暮らすために新しい名を得た上で経験を積み、成長した主人公が人間界へと帰っていきます。

さらにお祭りのような雰囲気の別世界、初めて体験する修業や家事、神が身近な存在として現れるなど「千と千尋の神隠し」との共通項が多く意識していることが良く分かるのです。

声を担当しているのが声優ではなく俳優であることや、別の世界の入り口は人間界から道一本外れただけでも行ける近い存在という描写も影響を感じさせます。

その上で「バケモノの子」は初めて映画を観る人に対して非常に親切な設計なのが大きな違いであり、新しい映画の形が見えるのです。

特に注目したいのは、映像に意味深なイメージを持たせず、映画内で起きていることを観客の想像や解釈に任せずに、全部説明している点が挙げられます。

細田監督は、「バケモノの子」で伝えたいイメージがあればキャラにセリフとして喋らせて、分からない要素をなくすことで、映画についていけない観客をゼロに近づけるのです。

映画体験の浅い人にも”映画は楽しい!”と思ってもらえるように、ハードルは下げて作品の質は上げるという挑戦をし、結果的に成功を収め新たな道を切り拓きました。

家族向けアニメの後継者ではなく、映画経験の”初めの一歩”に選ばれるアニメ映画を撮る”開拓者”として細田監督は進んでいくように感じられます。

昔ながらの映画ファンからは説明が多いことに反発もあったようですが?
”映画好きなら分かる”という曖昧な表現を避け、理解度を優先させているのです。

「バケモノの子」(ネタバレ・考察)

「バケモノの子」は、今まで脚本に携わってきた奥寺佐渡子が初めて参加せず、細田監督自ら原作と脚本を担当するなど、方向性に変化が見られます。

飲料会社とタイアップして地上波テレビやネットで公開前にCMを打つなどの事前準備はもちろん、舞台となる渋谷でイベントを開催するなど盛り上がりを見せました。

結果的に2021年6月時点で、細田監督の作品で一番興行成績が良い作品となり、国内外の賞を獲得するなど人気と評価が比例してアップしたのです。

この映画を観る上で楽しめる副次的な情報をお伝えしていくので、気になった方は掘り下げてみましょう。

リアルに描かれた渋谷の街並みの美しさ

センター街や渋谷駅、宮益坂、代々木公園など渋谷区で事件は起こりますが、街の描き方が完璧で、渋谷に詳しい人は舞台となっているエリアに親近感を覚えるでしょう。

他にも協力しているのかと思うぐらいにお店が明確に描かれているため、ファンタジーな戦いがリアルな場所で起きている感覚になります。

この描写の細やかさは、渋谷区とエリア開発を担っている東急グループらが全面協力してくれたことによって可能になったのです。

現在の渋谷は当時と多少風景がが変わっていますが、特徴のあるシーンはいくつか残っていますので、ガイドマップを参考に聖地巡礼するのもいいでしょう。

劇団四季によってミュージカルに!

日本を代表する演劇とミュージカルの集団である劇団四季が、2022年に「バケモノの子」をミュージカルとして開幕することを宣言しています。

細田監督の作品がミュージカルになるのは初めてのことで、かなり長期的に公演されるスケールの大きな演目になりそうです。

渋谷の街並みやバケモノが暮らす渋天街の世界の違いをどう表現し、キャラクターたちの造形とアクションを限られたステージの上で展開するのかも気になります。

ミュージカルということで、特徴的なシーンをどのように歌曲にするのかなど、演劇ファンと映画ファンの両方から今後の発表を期待されているのです。

まとめ

細田監督自ら次世代の家族向け作品の担い手になり送り出した「バケモノの子」は多面的な見方ができます。

今までの細田監督作品で脚本を担当してきた奥寺佐渡子とのタッグではなく、自身のオリジナル脚本で勝負したのも、こだわりと意思表示を織り込むためと考えられるのです。

興行収入は56億を超え、2021年6月現在で、細田監督作品としては歴代一位の記録となっていることからも、多くの層が評価したと考えるべきでしょう。

これからも作品をつくり続けていく細田監督のターニングポイントとなる本作を、この記事でより深く理解できたのではないでしょうか。

ぜひ1度と言わず、2度3度と鑑賞して、自分の中の「バケモノの子」を色々な視点から楽しんでください!

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